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【完結】食うために軍人になった女達8(ハーレクインもどきスピンオフSS)

【50000ヒット記念企画】

 サビーネの最後の時は、突然訪れた。
 9月14日、昨日まで小康状態が続いていたサビーネだったが、早朝から高熱を発し、午前9時頃には、呼吸も苦しくなって、意識が混濁し始めた。
 医師団は、懸命に治療を続けたが、どういうわけか、今まで使用していた抗生物質をいくら投与しても効かなくなっている。
「やはり、変異しています」
 感染科長の医師が、検査結果のデータを見ながら鎮痛な表情で宣告する。
 それは、これ以上の治療方法がないことを意味していた。
「他の・・・他に効く薬はないのですか?」
 予てから、この感染菌が、治療中に変異し、これまでの薬が効かなくなる可能性を告げられていたヘレーネ達だったが、それでも最後の望みを託した。
 医師は、「残念ながら・・・」とだけ言って首を振った。
 それでも、ヘレーネとカルツ夫人は、苦しそうな息のサビーネの額に冷却シートを貼り、交代で汗を拭った。
「姫様、姫様、苦しゅうございますか? 大丈夫でございますよ。もう少しご辛抱下さい。先生方が、必ず直して下さいますから・・・きっと、お元気になられますから・・・」
 カルツ夫人が、実現不可能な望みを口にして、懸命に励ましている。
「姫、大丈夫ですよ。すぐに楽になりますから、どうか・・・どうか、がんばって下さい・・・」
 ヘレーネも一緒になって同じように励ました。
 サビーネも、ずっと献身的に仕えてきたカルツ夫人のことだけは、脳が菌に犯されていても判るのか、苦しい息の下、掠れた声で「ナニィ・・・ナニィ・・・」と呼んでいる。
 看護師が、呼吸が苦しそうなサビーネに、酸素マスクをはめようとした。
 その時、サビーネが少し首を振り、マスクの装着を拒否する動きをしたと同時に、ベッド脇で彼女の左手を握り締めていたヘレーネの手を力いっぱい握り返したのだ。
 ヘレーネは、突然のことに驚いた。今まで殆ど反応がなく、瀕死のこの状態にあって、どこにこんな力が残っていたのだろうと思う。
 サビーネの口が、必死に何かの言葉を作ろうと動いた。
 看護師は、マスクの装着を一時止め、ヘレーネは、耳を口元に近づけ、懸命に最後の言葉を聞き取ろうとした。
「・・・あ・・・・・・が・・・と・・・」
 ヘレーネは、辛うじて聴こえてくる音声から、それでもサビーネが、自分に礼を言おうとしていることを理解した。
「有り難いお言葉でございます。姫」
 ヘレーネは、少し涙ぐみながら、いつものように臣下としての返事をすると、もう一度両手でしっかりと異母妹の手を握り返した。
 しかし、サビーネは、まだ何か言いたいことがあるのか、口を動かすのを止めなかった。
 ヘレーネは、もう一度全神経を聴覚と視覚に集中させる。
「・・・お・・ねぇ・・・さ・・・ま・・・」
 言葉は、意外なほどはっきりとヘレーネの耳に届いた。
 サビーネの灰色に濁った瞳が一瞬精気を取り戻したように輝き、すぅっと一筋の涙が伝った。
 しかし、やがて瞳は静かに閉じられると、二度と開くことはなく、そのまま意識を失っていった。
「サビーネ・・・!」
 ヘレーネは、久しぶりに妹を名前で呼んだ。
「サビーネ・・・サビーネ・・・サビーネ・・・!!」
 ヘレーネは、箍が外れたように、大粒の涙を流しながら、何度も異母妹の名を叫んだ。
 覚悟はしていたつもりだった。
 帝国軍人の端くれとして、決して取り乱さず、静かに見送るつもりで心の準備をしてきたはずだった。
 しかし、別れの時を目前にしたヘレーネは、そんな理性を保っている余裕など吹き飛んでしまった。
 今のヘレーネには、今度こそたった一人の肉親を亡くそうとしている悲しみだけしかない。
 この子は、私の妹だ。私達は、この世でたった2人の姉妹だ。たとえ私たちを繋ぐものが、あの最低な父親だけだったとしても、この子は、紛れも無く私の妹だ・・・!
 しかし、酸素マスクを装着されたサビーネの口からは、二度と次の言葉が発せられることはなかった。
 午前11時9分、モニターが心肺と脳波の停止を表示すると、主治医のファーレンハイト軍医中佐が、ペンライトで瞳孔の確認をし、臨終を告げた。
「姫様! 姫様・・・!」
 カルツ夫人が、痩せ衰えた主の身体に縋って号泣した。
 ヘレーネは、動かなくなった妹の手を握り締めたまま、暫く立つことができないでいた。
 サビーネ・フォン・リッテンハイム、享年16歳。
 銀河帝国の皇帝の孫として生まれ、時代の潮流に翻弄された少女は、乳母と庶姉に看取られながら、その短い生涯を閉じた。


 ヘレーネとカルツ夫人に、臨終直後のサビーネの遺体と過す時間は、そう長く与えられなかった。
 感染菌が変異している以上、一刻も早く遺体を密封し、完全に滅菌処理を施さなければならない。
 サビーネの遺体は、臨終後、清められて棺に納められる為に、処置室へと運ばれて行った。
 ヘレーネ達は、残りの医療スタッフと共に、滅菌室で全身を念入りに滅菌すると、それぞれの持ち場へと戻っていった。
 ヘレーネは帝国軍人として、サビーネの遺体が戻るまでの時間を無為に過すことは許されなかった。
 直ちに、サビーネの死をフェルナー准将に報告すると、次いで、対策室のリンザーと友人3人にもメールで知らせた。
 その時、受付とのホットラインが鳴り、コールラウシュ伯爵夫人が見舞いに訪れていることを告げた。
 サビーネの死は、埋葬が済むまで一般公表しないことが決定していた為、簡単に死亡を伝えられない。
 ヘレーネは、いつものようにお通しするように言うと、応接室でカルツ夫人と一緒にエルフリーデに対面し、つい先ほどサビーネが亡くなったことを告げた。
 エルフリーデは、成層圏の青の瞳を最大限に見開くと、やがてハンカチでそっと涙を拭った。
 ヘレーネは、サビーネの遺体とはもう暫く対面できないことと、埋葬が済むまで公表できないので、秘密を守れる人間以外に、死亡したことを知らせることができないことを伝えた。
 エルフリーデは、軍首脳の夫人故、特別に事実を教えたが、許可が下りるまで、誰にも話さないよう口止めした。
 エルフリーデは、秘密厳守を約束させるから、ここに見舞いに訪れたクラスメイトや親族の子爵夫人と、元使用人等だけは、最後の対面をさせてやってくれないかと逆にヘレーネに頼んだ。
 ヘレーネは少し逡巡した後、自分では判断できないので、少し待って欲しいとだけ言って、一旦応接室を出た。
 ヘレーネ自身も、できれば妹の死を親しかった人々に一緒に悼んで欲しい気持ちはあった。
 表向きは、姉としてではなく、軍から派遣されている護衛役として詰めているヘレーネは、事務的な仕事は怠っていない。見舞い客には、必ず身分証明書を提示してもらい、名前や連絡先、サビーネとの関係等をリストにしてデータ化してある。
 ヘレーネは、この7日間に訪れた19名程の見舞い客のリストをフェルナー准将へ送信し、特別に葬儀への列席を許可してくれないか打診した。
 フェルナー准将からは、すぐに返信があり、公開されるまで他言無用を厳重に申し付けることを条件に、あっさり許可が下りた。
 尤も、簡単に許可された背景には、軍も政府も、それほど厳重に情報規制をしようという意図が最初から無かったこともあった。
 旧王朝の時代から、致死率の高い感染症患者の遺体は、死後24時間以内に火葬することが義務付けられている。
 サビーネの遺体も、処置が施された後は、真空状態の棺に納め、明日の午前中には火葬された後、午後には埋葬される予定である。
 リッテンハイム候への国民感情を考慮し、埋葬場所も公表されないことに決まっている。
 その為、機密事項と言っても、この一両日中のことであり、もしマスコミが嗅ぎ付けたとしても、その時には既に機密ではなくなっている可能性が高かった。
 ヘレーネは、応接室に戻り、見舞い客全員には、こちらから伝えるので、伯爵夫人からは誰にも話さないで欲しいと告げた。
 エルフリーデは了承すると、何か思いついた様子で、一旦邸に帰ってからまた戻ると言って、部屋を後にした。


 午後2時少し前になって、処置を終えたサビーネの遺体が病室に戻ってきた。
 棺に入れる前に、ヘレーネとカルツ夫人だけには、特別にもう一度遺体と対面することが許された。
 サビーネの遺体は、きれいに整えられていて、窶れて痩けた頬に綿が詰められ、少し昔の面影を取り戻していた。
 ヘレーネは、暫く体温を亡くしたサビーネの身体に触れて心の中で語りかけていた。
『あなたは、私のことがわかっていたの・・・?』
 ヘレーネは、サビーネから聴いた最後の言葉を思い出していた。
 父親の若気の至りで誤って生まれてしまった姉など、皇女を母に持つサビーネにとっては、ただの一臣下に過ぎないと思い込んでいたけど・・・それは、私の心が卑屈なせいなの? それとも、こんな風になって初めて私を姉と思うようになったの?
 永遠に答えの出ない問いを、ヘレーネは、異母妹の遺体に向って呟いていた。
 ヘレーネとカルツ夫人は、サビーネの顔に化粧を施す為に、ヘレーネが化粧道具を取りに自室へ向うと、スタッフが、コールラウシュ伯爵夫人がお戻りになったと伝えてきた。
 応接室で再会したエルフリーデは、大きな白い箱を抱えていた。
「これを、サビーネに着せてあげて下さい」
 箱から取り出したのは、ソリヴィジョンで何度も流されて見ていた、エルフリーデの贅を尽くしたウェディングドレスだった。
「よろしいのですか? こんな高価なものを」
 ヘレーネが、つい平民の貧乏性を覗かせてしまうと、エルフリーデは、大きく頷いた。
「はい。私は、このドレスを着て結婚して、幸せになれました。サビーネにも次に生まれ変わったら、幸せな結婚をしてもらいたいんです」
「わかりました。ありがとうございます。伯爵夫人のお心遣いに、妹もきっと喜んでいることでしょう」
 ヘレーネは、涙ぐみながら、有り難くドレスを受取ると、病室へと戻っていった。
 ヘレーネは知るはずもないことだったが、エルフリーデが、現在の自分を真情から幸せだと他人に言ったのは、これが初めてのことだった。
 当初は、一族の為の不本意な結婚のはずだったが、その男と、やっと心を通わせることができたのだ。サビーネの身を思えば、今の自分を幸せでないなどと思ったら、罰が当るというものだ。エルフリーデは、この何日かで、そう考えられるようになっていた。
 ヘレーネは、病室へ戻ると、色素沈着した顔だけでなく、デコルテ部分にもリキッドタイプのファンデーションを塗り、カルツ夫人と共に、サビーネを出来る限り美しい姿にしようとした。
 色素沈着の目立つ場所には、コンシーラーを塗り、仕上げにおしろいを叩くと、昔のサビーネの肌色を取り戻した。
 薄くアイメイクを施し、チークを頬をつけると、顔に精気が蘇る。
 最後に、ピンク系の口紅を丁寧に輪郭を描いてつけると、昔のままの彼女が眠っているように見えた。
 化粧が済むと、看護師達にも手伝ってもらい、エルフリーデが持ってきたドレスを着せると、まるで童話の中のお姫様が、眠っているように見えた。
「コールラウシュのお嬢様のドレスが着られるなんて・・・」
 着せ終えたカルツ夫人は、少し複雑な表情でそれを見詰める。
 エルフリーデとサビーネは、身長は同じくらいだったが、エルフリーデの方が、人一倍骨格が華奢で、彼女の服を着られる人は、同年代では少なかった。
 サビーネは、中肉で少し骨太だった為、本来ならエルフリーデの寸法で作られたオートクチュールなど絶対に入らなかっただろう。
 しかし、余分な肉が全て削げ落ちた身体は、すんなりとファスナーが上がったのだ。
 2年前までは、いつもエルフリーデの体型を羨ましがっていたサビーネが、まさかこんな形で彼女のドレスを着るとは、なんという運命の悪戯だろう。
「でも、とてもきれいよ。サビーネ・・・」
 ヘレーネは、妹を見詰めてそう言うと、サビーネの細くなった指を胸の下で組ませて、最後の容儀を整えた。
 もう一度看護師達に手伝ってもらい、用意された真空仕様の棺に遺体を入れると、棺は、今まで一度も入ったことのない、やけに肌寒い広い部屋に運ばれた。
 ヘレーネは、少し間を置いて、そこが遺体安置室だということに気づいた。
 今からサビーネの病室は閉鎖され、一時的に部屋を真空にして完全滅菌される。
 明日、火葬場に搬送されるまで、サビーネの棺はこのモルグに置かれ、死を知らされた人々との最後の対面もここで行なわれる。
 ヘレーネとカルツ夫人は、もう一度自分達の滅菌を済ませると、エルフリーデの待つ応接室に向った。
 部屋には、エルフリーデの他に、ベアトリス達3人と、対策室長のマリーンドルフ伯爵令嬢が来ていた。
 ヘレーネは、ヒルダの前に立って敬礼すると、大佐待遇の伯爵令嬢は、白い百合の花束を抱えたまま、丁寧にお辞儀を返した。
「この度は、お悔やみ申し上げます。私も、せめて一度はお見舞いしたいと思っていたのですが、仕事の都合上なかなか時間が取れないうちにこのようなことになってしまって・・・」
 顔を上げた伯爵令嬢の瞳は、深い悲しみを湛えて潤んでいた。
 ヘレーネは、自分の中で育てた彼女のイメージと違うことに気づいた。
「フロイライン・マリーンドルフは、毎日、対策室に籠もって、私達が帰った後も、ずっと残って仕事なさっていたのよ。お陰で、感染の拡大は抑えられているし、感染経路もほぼ解明されたわ」 
 ベアトリスの言葉に、ヘレーネは初めて間近に見る伯爵令嬢と目が合った。
 潤んだブルーグリーンの美しい瞳は、本当に何日もろくに睡眠をとっていないのだろう。少し充血し、よく見ると目の周囲には化粧でも誤魔化し切れない隈が見え、せっかくの美貌を少し損なっていた。
 ああ、この人は、本当に誠実な人なんだ。
 ヘレーネの直感は、目の前の貴族令嬢が、決して自分の父親や最初の男と同類などではないことを感じ取っていた。
「軍のご配慮のおかげで、こうして勤務扱いで、妹の傍に最後まで居てやることができました。・・・・悲しいことではありますが、悔いなく看取ることができて、感謝しております」
 ヘレーネは、指で目尻を押さえながら、そう言った。
 本音を言えば、後悔が全くないわけではない。サビーネのことを最初から何も解らなくなっていると思い込んで接してきたので、もっと彼女の言葉を真剣に訊いてやるべきだったとの思いもあるし、何より、もう少し早く助けを求めて最善の治療を受けさせていれば、違った道があったかもしれないとの思いも拭いきれない。
 しかし、ヘレーネはカルツ夫人のことを考えて、その気持ちを封印することにした。
 あの状況下では、2人共あれが精一杯だったのだ。
「あなたの処遇も、フロイライン・マリーンドルフのご好意なのよ」
 アンナが脇から言うと、ヘレーネは、はっと顔を上げた。
 そうだ。なぜ今まで気づかなかったのか。
 軍病院ではなく、この介護者にとっても快適な環境を有する帝立病院に収容し、自分を警護と言う名目で任務のまま妹の看護ができるようにして、フェザーン行きの件も一時保留する。そんな細やかな配慮をし、且つそれを実行できる権限を持っている人間など、軍内にたった一人しかいない。男の高級武官には思いつかないだろう。
 ヒルダは、慈愛のこもった瞳を少し細めると、
「そう思って下さって何よりです。私に出来ることは、そのくらいしか思いつきませんでしたから、他にもっと何か良い方法があったのではと、気になっていたのです」
 と言って、そっとヘレーネの手を取った。
 白く美しい貴族令嬢の手は、予想外に温かかった。
「どうか、妹君の分も、お幸せになって下さい・・・」
 搾り出すように発せられた声は、震えていた。
 触れた手から伝う温かさが、その言葉が本心からのものであることを語っていた。
『この人は、自分の幸せを追求するよりも、他人の為に生きる人だ』
 ヘレーネは、生まれて初めて本物の、統治者の器を持った人間に出会った気がした。
 比類なき覇者である皇帝は、身近に接したことがないので、遠い偶像でしかない。
 だが、今直接自分が触れている女性は、紛れもなく目の前の現実だった。
 ヘレーネは、胸の内のこととは言え、一度でも彼女の不幸を願った自分の心の醜さを恥じた。
 フロイライン・マリーンドルフが、なぜ恋人でも愛人でもないのに、軍に身を置き、皇帝の傍近く仕えているのかは、今もわからない。だが、この人がそうするのは、決して女としての野心でも、門閥貴族復権の野望でもなく、きっと自分には思いもつかない事情があったのだろうと、ヘレーネは思い直した。
 ヒルダから伝わってくる、強靭な意志の力のようなものから、この女性の強い覚悟を感じ取れた。
 この女性は、たとえ自分が与した陣営が破れ、敗走するような場面になったとしても、決して、父のような卑劣な醜態は晒さないだろう。
 たとえ形勢が逆転し、自分が処刑される立場になったとしても、毅然としてそれを受け入れる人だ。
 その凛とした生き方に、ヘレーネは、性別を超えて惹かれていた。
 ヘレーネは、エルフリーデにあらためてドレスの礼を述べると、3人の友人達と順に、無言で固く抱き合った。
 間もなく、7名の女性達は、安置室でサビーネの遺体に対面し、眠るような美しい顔にそっと触れた。
「よく似合っていてよ。サビーネ」
 エルフリーデがそう言うと、他の人々も同意した。
「本当に・・・本物の花嫁のようだわ・・・」
 ベアトリスが、ハンカチで目を押さえながら言った。
「かわいい子だったのね・・・」
 窶れきった姿しか見ていないアンナも、そう言って涙を拭った。
「今度は、絶対に幸せになるのよ・・・」
 サーシャが言葉を継ぐ。
 ヒルダは、抱えていた白百合の花束をそっとサビーネの組んだ手の上に置いた。
 まるでブーケを持った花嫁のようだった。
「はじめまして。フロイライン。あなたのような方を、二度と出さない為に、一命を懸けることをお誓いいたします。どうぞ、安らかにお眠り下さい・・・」
 ヒルダが憂いを帯びた目で、厳かに宣言した時、ヘレーネはやっと、この女性の気高い志を理解した。
 5人が明日の葬儀への出席の意思を伝えて、病室を去ると、知らせを受けた人々が、次々とやってきた。
 皆、花束を抱え、それぞれが棺の中へ入れていくと、瞬く間にサビーネは花の中に埋もれた。
 夜8時になると、リンザーが一人でやって来た。
 ヘレーネは、誰もいない応接室で、彼の胸で初めて思い切り泣いた。
 ヘレーネが落ち着くと、リンザーは、初めてサビーネと対面を果たした。
 暮らしていた家から搬送する時も、病院に収容されてからも、サビーネの心理状態を気遣って、一度も彼女の前に姿を見せなかったリンザーだが、明日の朝、出発するまで、今夜一晩、ヘレーネとカルツ夫人と一緒に、ずっと遺体に付き添うつもりだと言う。
「俺の義妹になるんだから、当然だろ」
 というリンザーに、ヘレーネは言葉がなかった。
「私・・・あなたが思ってるような女じゃない。本当はとっても嫌な女なの。他人のことを羨んだり、妬んだり、不幸になればいいなんて思ったりする卑しくて浅ましい女なのよ・・・だから、あなたに相応しくない・・・あなたみたいな人に、私は似合わない・・・」
 再び泣きじゃくってそう言ったヘレーネの言葉を、リンザーは一蹴した。
「俺の方こそ、お前が思ってるほど高級な人間じゃないぞ。俺だって、士官学校の同期の奴が将官になった時は、次の出征で戦死しちまえって一瞬本気で思ったさ。しかもそいつは、同じ平民で、特に俺より有能だったわけでもない。運とチャンスと上官に恵まれて、今じゃ宇宙艦隊司令部で大将閣下さ。今度准将に昇進しても、まだまだ追い付けない。正直、その点では、これでも腐ってるさ」
 笑い飛ばすように言ってのけるリンザーに、ヘレーネは思わず一緒に小さく笑ってしまった。
「いいか? 俺もお前も、長所も欠点もあるただの人間だ。天才だの英雄だのと言われる方々とは程遠い。だが、それがどうした? 凡人には凡人の幸せってもんがある!」
 ヘレーネは、泣き笑いのような表情をした。
 そして、「あなたは、凡人ではないわ」と、言おうとしてやめた。
 この男自身もまだ気づいていない非凡さに、自分は気づいているということを、少しの間だけ、自分だけの宝物にしておきたかった。


 翌9月15日早朝、サビーネの棺は閉じられ、秘密裏に病院の裏口を出て郊外の軍用火葬場に運ばれて行った。
 白いドレスを着て、天に昇って行く妹を見上げながら、ヘレーネは、最後の涙を拭いた。
 小さな骨壷に納められたサビーネの遺骨は、ヘレーネとカルツ夫人の意向が訊き入れられ、リッテンハイム家代々の廟ではなく、親しい者達が墓参し易い都内の共同墓地に名前と生没年のみの墓標を立てて葬られることに決まった。
 また、最近フェザーン資本の会社が始めた、遺骨の一部を入れたアクセサリーを作るサービスを利用し、ヘレーネとカルツ夫人が常にペンダントとして身に着けるようにした。
 墓へは、参列した同級生や、元使用人達が、常に手入れと花を絶やさないことを約束してくれた。
 ヘレーネは、サビーネの姉として、最後に参列者の前で深く頭を垂れて、感謝の言葉を述べた。
 午後、軍服に着替え、半月ぶりで軍務省に出仕したヘレーネは、新たな辞令を受けた。
 元通り、軍務省の経理装備局付准尉として、9月30日にオーディンを発つ後発部隊に帯同して、フェザーンへの異動を命ずるというものだった。サビーネの件で、引越し準備が整っていないヘレーネの事情が考慮されたものだった。
 これで、17日に発つリンザーやベアトリス達とは、約2週間の後にフェザーンで再会できることになる。
 尚、到着後は、フェザーンにも設置される予定の、TIEG-36型感染拡大防止対策室への出向も合わせて命じられた。
 神々の黄昏作戦以降、人的交流が活発になった分、感染症の拡大速度も増した。
 フェザーンでも、一昨日、性病患者の中から、TIEG-36型が検出されたという報告が、大本営にFTLで齎されたばかりだという。
 ヘレーネは、この件に深く関わった人間として、フェザーンでの新たな仕事に強い使命感を覚えた。
 この日は、彼女の事情を汲んで、辞令を受取った後すぐに退庁を許可された。
 ヘレーネは、その足でジークリンデ皇后恩賜病院へ向うと、滅菌処理が終了した部屋で、荷物を纏めているカルツ夫人を訪ねた。
 ヘレーネは、30日にフェザーンへ出発することを告げると、夫人にも一緒に来ないかと打診した。
 向こうで将官に出世するリンザーには、広めの家が官舎として借り上げられる予定だという。ヘレーネも彼と結婚し、そこに住む予定だが、仕事を辞めるつもりがないので、一緒に住んで家を守ってくれる人がいれば助かると持ちかけた。これは、リンザーの希望でもあった。
 身寄りのないカルツ夫人は、それを自分への気遣いと理解し、数瞬迷った様子だったが、やがてゆっくりと宮廷式のおじぎを返した。
「謹んでご好意をお受けいたします。この後の人生を、ヘレーネ様にお仕えさせて頂きます」
 ヘレーネは、それをすぐに否定し、使用人としてではなく、家族として一緒に暮らして欲しいのだと言った。
 その言葉に、ずっと階級社会で生きてきた夫人は、感激の涙を浮かべた。
「わかりました。ヘレーネ様がお産みになるお子様達のお世話をさせて下さい」
「え?」
 今度はヘレーネの方が意表をつかれる番だった。


 9月17日、ヘレーネは、皇帝の本隊と共に発つリンザーを宇宙港に見送りに来ていた。
 オーディンでの最後の抱擁の後、軽く口付けを交わすと、ヘレーネはふと思いついてリンザーに問いかけた。
「ねえ、もし、私達に女の子が生まれたら、サビーネってつけていい?」
 リンザーは、穏やかに微笑すると、
「ああ、もちろんだとも」
 と言って、もう一度ヘレーネを強く抱きしめた。

Ende

******************************
50000ヒット記念のはずが、書いてるうちに60000を越えてしまいました。
しかも4回のはずが結局8回ww
この分だと、100000ヒット記念に書くはずのエリザベート編に、思ったより早く取り掛からなければならないかも。
それにしてもここのカウンタは、よくあるレンタルカウンタと違って、自分でポチポチ連続押ししても上がらないようにできてるのに、なぜ?
しかも同じIPで1時間以内にもう一度アクセスしても、上がらないよう設定されてる。
そのくらい正確に訪問者の数をカウントしたいのと、SSIを使って各ページ共通のカウンターを表示しているので、必ずしもトップページにリンクを貼ってない人が来ても、しっかりカウントされるようになってる。
お気に入り登録は、出来るだけトップページにして欲しいのが本音だけど、人様にそこまで強要できないので、こんな形にした。
ブログに直接登録してる人、倉庫に直リンしてる人、様々だけど、みんなしっかりカウントされてるよぉ~
さて、このスピンオフもいよいよ最終回を迎えたので、近々に倉庫へ収納します。
お付き合い頂き、ありがとうございました。
引き続き、ハーレクイン本編をよろしくお願い致します。

コメント一覧

bell (10/25 18:47) 編集・削除

読んだ!!!!!!!
超読んだ!!!!!!!!!
ブラーヴァー!!
ブラビシッシモっ!!!!

7では随分笑ったけど、8!
いいですねぇ。胸がぎゅっとしながら読みましたよ。
リンザーカップルに幸あれ!
エルちゃんの成長にも幸あれ!!

(もういっそ原作よりも好きかもこれ…)

Jeri Eメール URL (10/25 20:44) 編集・削除

>bell さん
うぉっ!早速のコメありがとうございます。
いやぁ~思いがけず長くなってしまって焦りました。
さあ、これから頑張って本編に戻って、平行してアンソロの原稿にとりかかります。

冒険風ライダー Eメール URL (10/25 21:42) 編集・削除

 小説の内容とは関係ありませんが、カウンタについて少し。


> それにしてもここのカウンタは、よくあるレンタルカウンタと違って、自分でポチポチ連続押ししても上がらないようにできてるのに、なぜ?
> しかも同じIPで1時間以内にもう一度アクセスしても、上がらないよう設定されてる。
> そのくらい正確に訪問者の数をカウントしたいのと、SSIを使って各ページ共通のカウンターを表示しているので、必ずしもトップページにリンクを貼ってない人が来ても、しっかりカウントされるようになってる。

 そのカウンタ、Jeriさんの思惑通りには全く動いていないですね。
 件のカウンタの「同じIPで1時間以内にもう一度アクセスしても、上がらないよう設定されてる」というのは、他のIPがその間に全くアクセスしない場合にのみ有効、という話でしかありません。
 たとえば、Jeriさんがサイトにアクセスした後、1時間以内に全く別の人がアクセスすると、件の設定はその別の人のIPに適用され、Jeriさんのアクセス記録はキャンセルされます。たとえ1時間経ってなくても、Jeriさんの前のアクセスと次のアクセスの間に別のIPによるアクセスがあれば、カウンタはJeriさんの前のアクセス記録をそのIPで上書きしてしまうため、次のアクセスを別IPとしてそのままカウントしてしまう、というわけです。
 図にするとこんな感じでしょうか↓


仕様が正確に動くパターン
Jeriさんがサイトにアクセス

他の誰もサイト訪問することなく1時間経過(この間はカウントしない)

1時間後に再アクセスするとカウントする


現実の動き
Jeriさんがサイトにアクセス

1時間以内に別の人がサイトにアクセス

Jeriさんのアクセス記録を別の人のアクセス記録で上書き

Jeriさんの1時間設定はキャンセルされる(1時間設定は別の人のIPに適用される)

その状態で1時間以内にJeriさんが再アクセス

1時間設定適用のIPとは当然異なるのでカウントされる


 特に複数のIPが入り乱れる形でサイトにアクセスしている場合は、頻繁にIPアクセス記録が初期化されますので、そのカウンタの仕様では1日当たりの訪問者数の正確な把握には全く役に立たない、ということになります。
 他にも、ネットを立ち上げる度に名前の配列そのものが変化するIP(OCNやplalaなど)もありますので、その仕様で訪問者数を把握するのは非常に難しいのではないかと。
 素直にページビュー数をカウントする仕様にした方が、まだ正確な数値を出すことができると思いますけどね。

Jeri Eメール URL (10/25 21:54) 編集・削除

>冒険風ライダー さん
お久しぶりです。
ご指摘ありがとうございます。
私も、これで正確に訪問者数をカウントできるとは思ってません。
せいぜい「連続押ししても上がらない」程度です。
IPごとの訪問者数については、アクセス解析でだいた把握しています。
カウンタは、1日だいたい300~500上がりますが、IPの種類は120~150なので、おおよそ一人の人が一日平均3、4回いらっしゃるのではないかと考えています。
アク解の取得件数もだいたい同じ数字です。
>ネットを立ち上げる度に名前の配列そのものが変化するIP
これもわかっていましたので、、本当に正確な数字を得るのは不可能だと思ってます。
まあ、私は特にカウンタを重要に考えていなくて、本当に目安程度に見ています。

葵猫 (10/26 20:32) 編集・削除

お疲れ様でした、大作でしたね!
完結編は六本木ヒルズ内の東京国際映画祭会場で読ませていただきました(あそこ圏外のエリアが多くてあちこち移動しつつ)
エルフィーの友への心遣いと、自分の心に素直になれたこと、ヘレーネのヒルダへの偏見からの解放に感動しました。
何かを憎みながらじゃ、幸せになれませんからね。
サビーネは一人っ子なんですよね?
母親や周りの手前臣下を見る風を装っていても、本当はお姉さんが出来て嬉しかったのでは?
だからたった一度しか顔を合せなかったヘレーネを覚えていたのかもしれないと思ってます。
そう思うと切ないですね。

本編の続きと、エリザベート編も楽しみにしています。

非公開 (10/26 22:02) 編集・削除

管理者にのみ公開されます。

Jeri Eメール URL (10/26 23:30) 編集・削除

>葵猫さん
ご感想ありがとうございます。
「大作」というより、紙媒体と違って字数制限がないのをいいことに、調子に乗って無駄なことも全部書き殴ったって感じですねw
よしりんに無残に忘れられ放置されたキャラその1、サビーネのその後を無事書き上げることができました。

>東京国際映画祭会場
いや、本当に演劇がお好きなんですね。
六本木ヒルズは、人がいっぱいだと確かに携帯が通じ難いみたいですね。
コミケ時のビックサイトは、各携帯キャリアが、会場の外でアンテナを付けた臨時の車を待機させたり、簡易型のアンテナを背負った職員を何人か会場内へ入れて対策してました。

エリザベート編も何とかがんばって最後まで書きます。
100000ヒット記念にしようと思っているので、もう少し先になりそうですが、またお付き合い下さい。

>非公開コメ様
腱鞘炎は、もうなってるかもw

>フェザーンの住まいの間取り
実はそれもネタにしようと思ってたんですよ。
この際だから、先発隊が気を利かせて、一緒の部屋にしちゃうとかも考えました。

今後ともよろしくお付き合い下さい。

非公開 (10/29 21:34) 編集・削除

管理者にのみ公開されます。

Jeri Eメール URL (10/30 00:09) 編集・削除

>サビーネの死に装束には貴族女学院の制服
あ、そのアイディアもあったか!しまったぁ・・w
私としては、お骨にした理由は、フェザーンに行くヘレーネが墓参りできないのと、まだ50代のカルツ夫人に、この先一生墓守で人生終わらせるのも救いがない気がしたので、感染症は単なるこじ付けです。
ヘレーネとリンザーは共働き夫婦になるので、家事と育児を引き受けてくれる人がいたら、助かるかなぁと、まあ、私の願望ですw

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食うために軍人になった女達7(ハーレクインもどきスピンオフSS)

【50000ヒット記念企画】

 午後8時をほんの少し回った時、病院のVIP専用口に、伯爵夫人が到着したとの連絡が入った。何と、ロイエンタール元帥までが一緒であるとのことで、ヘレーネも少し驚いた。
 警護の者達は、全員エレベータを降りたところで待機させられ、元帥夫妻のみが、1時間前の見舞い客達と同様、前室で自動的に全身消毒を施して入室した。
 この2ヶ月間、毎日のようにソリヴィジョンに映る男女の姿に、ヘレーネは意に反して心拍数が上がっていた。
 本当にお人形のようだ。と、サビーネと同い年の元帥夫人を間近で見てあらためてヘレーネはそう思った。人妻であるせいか、本来年齢より幼い容姿のはずなのに、他の同級生に比べて独特の色香を放っていた。新婚旅行帰りだそうだが、きっと夫に存分に愛されてきたのだろう。
 コールラウシュ伯爵夫人は、バレリーナのように細く長い手足に、気の強そうな青く輝く瞳が印象的な美少女だった。
 少し年齢が離れていることを除けば、美丈夫の元帥と並ぶと、本当に高尚な絵画のような二人だった。
「お久しぶりでございます」
 カルツ夫人が出て来て、応接室で出迎えると、歳若い伯爵夫人は、2年ぶりに会う友人の乳母の手を駆け寄って握り締めた。
 ヘレーネは、私服のまま名前と階級を名乗り、元帥に向って敬礼した。
 漁色家で名高い元帥は、軽く頷いて敬礼を返すと、そのままソファに長い脚を組んで腰掛けた。
「俺はここで待っている。時間も遅い。手短にしろ」
 彼は、少し冷たく聴こえる声で妻に向ってそう言うと、腕組みしたままテーブルのデジタル時計を見た。
 カルツ夫人が、「お手伝いさせて頂きます」と言って、伯爵夫人と更衣室に入ったのと入れ替わるように、主治医であるファーレンハイト中佐ことベルタが現れた。
「元帥閣下もいらっしゃってるとは思いませんでしたわ」
 ベルタは、型通りの敬礼をして入室した後、佐官と元帥の階級差の割には少し砕けた口調で言った。
 電子週刊誌の記事によると、彼女はロイエンタール元帥にとって士官学校の先輩に当たるらしい。また、夫と弟が、元帥や皇帝にとって古参の幕僚であり、共に死線を越えてきた僚友であることも影響しているのか、女性なら誰でも魅入られてしまいそうな男に、遠慮なく少しからかい気味な目線を向けた。
「7時に空港に着いたばかりなんでな。わざわざ車を分けるのが面倒だっただけだ」
 落ち着いた声でそう言った元帥の言葉が、ヘレーネにはどこか言い訳めいて聴こえた。
「やっぱり心配なんでしょう? でも大丈夫よ。ここの滅菌処理は完璧だし、症例数もある程度揃ったから、間もなく粘膜以外では感染しないことを正式発表することになるわ」
「べつに心配してはいない。新政府の指定病院を信用しているのでな」
 元帥は、少しむっとして反論していた。
 ヘレーネは、何か不思議なものを見ている気がした。
「あ、それから、この機会にお伝えしておきますが、奥様の検査予約を入れますので、後ほどご都合をお聞かせ下さい。出立まで時間がありませんので、急がなければなりません。その際、ついでに、れいのTIEG-36型の検査も一緒に行なってしまいます。担当医にはこちらから伝えておきますので」
 途端、元帥の目が険しくなった。
 ヘレーネは、咄嗟に身が縮む思いがしたが、ファーレンハイト中佐は平然としている。やっぱりこの女性は只者ではない。
「あれに36型の検査は不要だ。俺が陰性だったのだからな。渡航前の身体検査なら、軍病院で卿がやればよかろう」
 先月30日に感染菌が特定された時点で、感染元とされた軍は、上級大将以上の首脳陣全員と皇帝が検査を行い、世に範を示した。勿論、結果は全員陰性である。
 帝国中に顔の知られた彼らは、娼館などに出入りするはずもなく、ロイエンタールを除いては極めて身持ちの硬い人間が揃っていた為、感染している可能性はゼロに等しかったが、「いかなる要人でも、条件を備えた人間は全員例外なく検査する」という方針を国民に忠実に守らせる為の保険局からの要請に応えたパフォーマンスだった。
 おかげで、出立直前のミッターマイヤー元帥までもが、宇宙港で保険局の係官から検査キットを手渡され、その場で回収される羽目になった。
 来週には、更に徹底させる為に、皇帝の名で布告を出す予定である。
「いかなる例外も認めないというのが政府の方針であり、皇帝陛下のご意思です。性感染症は、そうしないと撲滅できません。ま、元帥閣下の奥様へのお気持ちはわかりますが」
「そういうことを言っているのではない。無駄なことに時間を割く暇があったら、他に優先させることがあるはずだと言っている。それに、卿がいるのになぜ他の担当医に検査させる?」
 ロイエンタールの目は、更に険しくなり、ヘレーネはその場から逃げ出したい衝動に駆られた。
 だが、ファーレンハイト中佐の態度には、全く変化がなかった。ヘレーネは、その様子をはらはらしながら黙って見ているしかなかった。
「私はこちらに終日詰めていますし、軍病院は今、17日に発つ当の軍人達の検査で手一杯です。こちらの病院の奥様の検査担当医は、37歳女性。内科医。二児の母。ついでに看護師も全員女性」
 ファーレンハイト中佐が、「どう? これでも文句ある?」と言いたげにロイエンタール元帥を睨み返すと、どういう訳か元帥は、言い負かされたように、ぐっと拳を握り締めて黙ってしまった。
 どうやら、元帥閣下は、男の医者が奥様の身体に触れるのがお嫌らしいと、ヘレーネは数瞬置いてやっと理解した。
 週ごとに女を変えるとか、関係した女の数が一個中隊とか言われているわりには、なんと古風なと思ったが、そのギャップが妙に微笑ましく、ヘレーネは吹き出したいのを懸命に堪えていた。
「まあ、先生。お久しぶりです」
 暫くすると、着替えを済ませた伯爵夫人が更衣室から現れた。
 軍の重鎮の夫人同士が軽く挨拶を交わすと、カルツ夫人から話を聞いたのか、伯爵夫人は、ヘレーネの前にも進み出て丁寧に会釈した。
「はじめまして。ヘレーネ様でいらっしゃいますね。サビーネの友人のエルフリーデ・フォン・コールラウシュ・ロイエンタールでございます」
 ヘレーネは、慌てて敬礼し、名前と階級を名乗る。
 毎日のようにソリヴィジョンで見る有名人に、向こうから挨拶されるのは、何だか妙な気分だった。
 エルフリーデは、カルツ夫人に案内されてサビーネの病室に入ると、前の3人同様、20分程で出てきた。夜遅かったのと、サビーネの負担を考慮した時間だということが感じ取れ、ヘレーネは、異母妹が友人に恵まれていたのだということが判って、幾分救われた気がした。
 戻ってきたエルフリーデは、流石に前の3人よりも気丈な態度で、目を腫らしてはいなかったものの、成層圏の青の瞳が潤み、今にも溢れそうだった。
「先生・・・サビーネは・・・」
 ベルタは、伯爵夫人を元帥の隣に促すと向かい合い、入院当日に、ヘレーネ達にしたのと同じ説明を行った。
「当初より体力が回復してきていますので、思ったよりも保つ可能性がありますが、いずれにしろ、既にご逝去は免れません」
 ベルタは、いつものように言葉を飾らず簡潔に事実を述べた。
「あの・・・フェザーンでは、地球学を取り入れた医療も行なっていると聞いていますが・・・」
 ベルタは、少し意外そうに薄茶色の瞳を見開いた。
「現在行なっている治療法も、その地球学の考え方から開発された薬を投与するものです。ただし、地球学自体が、この1、2年で確立した学問ですから、完全にあの当時の遺伝子科学や製薬技術を再生させるには、まだ時間がかかります」
 意外に思ったのはヘレーネも同様だった。この何不自由ないお人形のような伯爵夫人の口から『地球学』という不似合いな言葉が出たことに、先ほど夫の元帥に対して感じた以上のギャップを感じた。
「そうですか・・・」
 伯爵夫人はそう言って肩を落としたが、ヘレーネは、その姿に好感を持った。前の3人の友人同様、彼女も本気でサビーネを思ってくれているのが判って有り難かった。
 カルツ夫人が、サビーネを看に部屋を出て行くと、エルフリーデは、着ていた特殊紙製の防護服とマスクと頭に被っていたキャップを焼却ボックスに入れ、隣の洗面室で、指示された手洗いとうがいを行った。
 驚いたことに、今度はロイエンタール元帥が一緒に洗面室に入り、嫌でも二人の会話が聞こえてきた。
「手洗いが先だぞ」
「お前に言われなくてもわかってるわ」
「念のため、もう一度洗え。友達の為にも、絶対にお前が感染したりしないことだ」
「それは、先生にも言われてわかってるわ」
「おい、うがいはもっと念入りにやれ。もう一度だ」
「いちいちうるさいわね。わかってるわよ」
 ヘレーネは、今度こそ呆気にとられた。あの全く隙のない元帥が、まるで過保護な父親のようだと思ったと同時に、週刊誌で騒がれていた『お前呼ばわり』が、虚偽でも誇張でもなく、事実であったことを知って、この悲劇的な状況にも関わらず、愉快で堪らなくなった。
 足を組んでソファに腰掛けていたベルタは、小さく嘆息して、呆れた顔をしている。
「あの・・・中佐・・・ロイエンタール元帥ご夫妻って・・・」
 ヘレーネは、好奇心を抑えきれずに、ベルタに向って小声で尋ねた。世間では、政略結婚と言われながらもラブラブ映像が流れたりと、よくわからない2人とされ、何年で離婚するかが賭けの対象になっていたりする夫婦だった。
「ああ、あれがあの人達のスタイルだから、気にしないで」
 無口なベルタの短く素っ気無い返答に、ヘレーネは物足りないものを感じて更に食い下がった。
「いえ、そういう意味ではなくて・・・なんか、世間で言われてるイメージと随分違うみたいで・・・」
「あれがホントの姿よ。幼妻にぞっこんの30男と、良くも悪くも古き良き帝国貴族の矜持を失わない16の少女。まあ、あれでもお互いに惚れ合ってるみたいだし、いいんじゃない?」
「はぁ・・・」
 ヘレーネは、納得したようなしないような、まだ消化不良ぎみのような感じがした。
「ヘレーネ様、先生、サビーネをよろしくお願いします」
 洗面室から出てきた伯爵夫人は、ヘレーネとベルタに向って、深々と頭を下げて帰っていった。
 元帥夫妻とファーレンハイト軍医が病室を去った後、ヘレーネは、先ほど見聞きした事実を誰かに話したくて仕方が無い衝動に駆られた。こんな時に、そんなことを考える自分の不謹慎を恥ながらも、その欲望に勝てず、すぐさま3人の友人に同じ内容のメールを同時配信した。
 
 お疲れ様。サビーネは今のところ、小康状態を保っています。
 ところで、明日、退庁後に来られない?
 ちょっと衝撃的な話があるのよ。
 内容は、お楽しみ。

 明日はリンザーが司令部の会議で来られない日で、女同士の話をするには丁度いい。
 ワーレン提督は、地球から帰還以来、負傷療養の為、必要な日以外出仕せず、大本営移転に当っては、メックリンガー艦隊と共に、本体はオーディン残留を命じられている。
 ただし、将来の遷都を含めた首都機能の完全移行を見据え、司令部のフェザーン移転準備のみは、他の艦隊と共に進めることになっていた。その為、少数の人員が、17日の皇帝本体の出発に同行し、向こうで仮司令部を開設して、本体をいつでも迎えられるよう準備をすることに決まった。
 そのフェザーン行きのメンバーの中に、近く准将に昇進が内定しているコンラート・リンザー大佐もいる。
 ヘレーネは、当初、サビーネと共にこの移動に同行する予定だったが、現在は白紙に戻されている。
 この先、リンザーとはオーディンとフェザーンに暫く別れることになるのか、それとも一緒に行くことになるのか、今の時点ではわからない。
 彼と離れるのは辛い。物理的距離が心理的距離にもなりかねないことを、ヘレーネは、これまでの見聞で知っている。
 だが、リンザーと共にフェザーンへ行くことは、同時に17日の出発を前に、サビーネが亡くなるというもっと辛いことを意味していた。
 ヘレーネが、そんな物思いに耽っていると、端末が一度音を立てて光り始めた。
 先ほどのメールに対し、アンナからの返信だった。

 了解。明日、1830時頃、3人でそちらへ伺います。
 こっちも私とサーシャが、とっておきのネタを持ってきてるの。
 お楽しみに。

『何だろう? とっておきのネタって。まあ、いいわ。明日になればわかることだし』
 ヘレーネは、そう思いながら端末を閉じた。


 翌日の11時過ぎ、昨日のコールラウシュ伯爵夫人が、その前に来た同級生の一人と、もう一人、30代半ばの貴婦人を伴って訪れた。
 ヘレーネとカルツ夫人は相談した結果、余命少ないサビーネの為に、来て下さる見舞い客は、興味本位のマスコミの取材等以外、基本的に断らず、出来る限り会って頂こうということになった。
 この日、伯爵夫人に同行した貴婦人は、元々カルツ夫人が頼ろうとしたリッテンハイム候の従弟に当る子爵の未亡人だった。伯爵夫人が元帥と結婚したことで恩赦が出て、先月幼い息子と共にオーディンに帰還したばかりだという。
 子爵夫人は、カルツ夫人と無言で抱き合い、再会を喜び合った。
 夫と長男を処刑され、財産を没収された後、コールラウシュ伯爵夫人の計らいで、他の生き残った一族達と、別邸で細々と暮らしているらしい。
 それでも、まだ若い子爵夫人は、息子の為にも、伯爵夫人の好意に頼るだけではなく、少しでも何かしなければと思い、最近、近所の比較的裕福な家の子供を相手にピアノ教師を始め、刺繍の内職もやっていると近況を語った。
「まあ、奥様がそんな・・・」
 カルツ夫人が同情を示すと、子爵夫人の方が、「実は何もしないでいるより楽しいのよ」と言って憂いを含んだ微笑を返した。
 もう一人の少女は、昨日最初に訪れた同級生の一人で、カタリナ・フォン・リューデリッツと名乗り、元はブラウンシュバイク公の一門だったが、今は一家でレストラン経営をしているという。
「これ、父が作った薬膳粥なんです。免疫力を高める食材を多く使ってます。サビーネの昼食にと思って。食器は全部滅菌処理しています」
 そう言って、保温式のケースを手渡した。
 カルツ夫人は、それを両手で丁寧に受取ると、早速サビーネに食べさせると約束した。 3人は、入室の準備を終えると、また30分弱で戻ってきた。
 予想通り、子爵夫人の目が赤い。
 手洗いとうがいを済ませた3人は、また、ヘレーネとカルツ夫人にサビーネのことをくれぐれもよろしくと頼んで帰っていった。
 ヘレーネは、貴族女性達の意外な情の篤さを垣間見た気がして、カルツ夫人に同意を求める意味でそう言うと、予想外に夫人はそのことに対して素直に賛同しなかった。
「情のある方もいれば、そうでない方もいるのは、貴族でも平民でも同じことです。いらして下さった方々は、あまり計算高くない方々でしたから・・・」
 そう言って言葉を濁す夫人は、今来る人達は、言い方を変えれば、あまり賢い人達ではないとも言えると続けた。
 いかに完全防備しているとは言え、何と言っても帝国内での性感染症に対する偏見は根強い。加えて、リッテンハイム候の所業に対する国民の見方は今も冷淡で、そんな中で、サビーネの見舞いに訪れることは、肉体的にも社会的にも多大なリスクを負うことになる。
 カルツ夫人によると、皇女を妻に迎えたリッテンハイム候には、ヘレーネ以外の庶子はいなかったが、先代には普通の大貴族同様、数名の側室や妾が居り、その間には何人かの庶子も生まれていた。
 つまり、リッテンハイム候の異母弟妹達、ヘレーネとサビーネにとっては叔父や叔母に当る人物達が、少なくとも十数名はいるはずとのことだった。その内の何人かは、リップシュタット戦役で候と命運を共にしたが、何人かはオーディンに留まって健在のはずだという。
 彼等は、先代から相応の資産を受け継ぎ、男子は、世継ぎのない格下の貴族の家に養子に入ったり、別途男爵号を授与されたりし、女子は相応の貴族に嫁いでいた。
 それぞれ事情もあるのだろうが、血縁的に最も近い彼等の中から、誰一人として今を以って何の連絡もないのは、明らかに関わりを避けているのだろう。
 午後には、また違う同級生が両親と一緒にやってきた。
 ヴァルブルク子爵一家は、リッテンハイム一門で、今話題のロイエンタール元帥夫妻の新婚旅行先のリゾートを経営する一家であるという。
 元々あまりぱっとしない貴族で、リップシュタット戦役では、ヘレーネ同様『置いてけぼり』を食ったクチで、いわば、リッテンハイム候に見捨てられた貴族だった。
 それが、かえって幸いして生き残ったのは結果論であって、それまでの旧体制の習慣に則って処断されれば、少なくとも父親の子爵は、とっくにヴァルハラに旅立っていたはずだ。
「今日は、リッテンハイム一門の貴族としてではなく、娘の同級生の親として、付き添いで来ました」
 ヴァルブルク子爵はそう言うと、一家3人は、カルツ夫人の案内で病室に入る準備を始めた。
 昨日、経営するリゾートで元帥夫妻を見送った後、ニュースでサビーネのことを知り、大急ぎで民間機のチケットを取ると、今朝一番で、オーディンに戻ってきたのだという。カルツ夫人によると、一門とは言っても、血縁は遠く、殆ど他人なのだそうだ。
 ヘレーネは、人と人の絆は、血で決まるものではないのだということをあらためて実感する一方で、異母妹だというだけで、何ら精神的な交流を持ったことのない自分が、こうして今、唯一の肉親としてサビーネの看護をしていることに、運命の皮肉を感じた。
 子爵一家は、約30分後に病室から出てきた。
 子爵自身は、沈痛な面持ちで肩を落し、子爵夫人と娘のクラリス嬢は、部屋から出て来た途端に、抱き合って嗚咽を漏らし始めた。
 子爵一家は、立ち上げたばかりの事業を他人任せには出来ず、明日の朝の便で戻る予定だと言う。その所為か、特に令嬢の方は、これが友人との今生の別れとなることを知り、いつまでも泣き続けていた。
 子爵一家は、ヘレーネとカルツ夫人に、「フロイラインのことをよろしくお願いします」と、午前中の見舞い客達と同じ台詞を言って、帰っていった。


午後7時近く、自分達の部屋で夕食を済ませたヘレーネは、待ち焦がれた友人達を応接室に出迎えた。
「ねえ、何なの? とっておきのネタって」
 ソファに座るより早く、ヘレーネがサーシャに尋ねる。
「そっちから呼び出したんだから、あなたが先に言いなさいよ。こっちのはその後話すわ」
 サーシャの言葉に、ヘレーネは、昨日のロイエンタール元帥夫妻の内情を暴露した。
「ええっ? あの『お前呼ばわり』って本当だったのーーー!?」
「信じられない・・・」
「いったい、どういう夫婦なのよ、それって。だって、相手は元帥でしょ。皇帝陛下でさえ、一定の敬意を払うという名将中の名将なのよ」
 ヘレーネは、友人達の反応に満足すると、更に、そう呼ばれていることに、元帥自身が何ら不快感を表さず、当然のように受け入れていることを付け加えると、今度は3人とも絶句してしまった。
 渡航前の身体検査の件で、担当医が女医であることに拘っている様子や、洗面室から聴こえてきた会話、そもそも心配で堪らず付き添ってきたらしい件など、幼妻にくびったけな衝撃の一面を語った。
「ダメ、私、もう、腹筋痛い・・・」
「私も・・・」
「今度、ロイエンタール元帥見たら、笑い出しちゃうかも」
 3人は、場所と状況を考え、大声で笑うことも叶わず、お腹を押さえながら、ぶるぶると震えている。
 ヘレーネもつられて声を殺して笑いながら、
「ねえ、そっちの話も聞かせてよ」
 と言って、サーシャことアレクサンドラを促した。
「あ、それ、私の大学の同級生の一人が、宮内省にいるのよ。私達と同じ、今年のキャリア採用で。それで、その彼女から聞いた話なんだけど・・・」
 勿体つけて声を潜めて語るサーシャの話に、ヘレーネも笑いを止めて耳を近づけた。
「あの、TIEG-36型の検査って、皇帝も軍首脳も全員行なって陰性ってことになってるでしょ? でも、実は皇帝陛下だけは、やっていないのよ」
「え?」
 ヘレーネは、一瞬、耳を疑った、もし本当なら、面白いネタどころの話ではなく、機密事項に属するものではないか?
「だって、それってまずいんじゃない? どんな例外も認めず行なうって公布した陛下自身が」
 ヘレーネが問い返すと、サーシャは、顔の前で小さく右手を左右に振った。
「違うのよ。皇帝陛下は、検査対象の条件を満たしていないから、必要がないらしいの。検査キットをお持ちした事務官が、『予は、対象条件外であるから必要ない』とはっきり言われたんですって」
 ヘレーネは、耳を疑った。
 検査対象の条件は、『全帝国軍人と、オーディン在住者及び、菌の原生惑星のある星系在住者の内、性別年齢に関係なく、この1年半以内に性交渉をもったことのある人間全員』のはずだ。
 確かに、皇帝は、対象期間内の多くの時間を遠征に出ており、戦艦の中で過す期間が長かったはずだが、1年半もの長い間、23歳の若く健康な男が、性生活が全くないなどとは考えられない。ましてや、絶対権力を持つ絶世の美青年である。
 第一、それなら常にお傍に置いているフロイライン・マリーンドルフとはどうなのか?今回の検査の場合、たとえ夫婦なり恋人なりの性的パートナーを裏切っていない自覚があっても、互いに受けて陰性を証明し合うことが、大人としてのマナーでもあるという先進的思想を初めて国として採用して実行している。それで、互いに陰性と判明することで、男女が相手に対する責任の一端を果たしたことにもなるという考え方だ。現にヘレーネとリンザーも早々に検査を受けて、互いの陰性を確認している。おしどり夫婦で有名なミッタマイヤー元帥夫妻でさえ、夫婦揃って受けたことで、例外のないことを国民に宣伝するのに一役買っていた。
「陛下は、本当に1年半も誰とも何もないのかしら?」
 ヘレーネが再度確認すると、アンナが、
「違うわよ。鈍いのねぇ」
 と言って、意味深な笑いを漏らした。
「1年半以内どころか、ご誕生以来、まだそういうことをなさっていないということらしいわ」
 サーシャの言葉に、ヘレーネは、思わず「え?」と少し響く声を上げてしまい、慌てて口を押さえた。
「じゃあ、もしかして、陛下って、ど・・・」
「しぃっ! それ以上は不敬罪よ」
「いったい、なんで? 23歳なんて、一番したい年齢じゃない?」
「さあ、何か理由があってそうなのか、たまたまそういう気になれる相手に出会わなかったのか・・・」
「そんなはずは、ないでしょ? 宮内省が気を利かせて、何度も選りすぐりの美女を寝所へ送り込んでも、皆追い返されて帰ってくるらしいから」
「今はともかく、まだ階級が低い時期だってあったでしょ? あんな美形、周囲の女がほっとくはずないわ」
「知らないの? 陛下は寵姫の弟だったから、十代の頃から結構宮廷でも顔が知られていたらしいわ。当然、いい寄る女も大勢いたでしょうし、縁談だって山ほどもちこまれたでしょうけど、不思議と誰か特定の女性と付き合ったって噂が聞こえてこなかったらしいわ」
「ほんとなの? じゃ、首席秘書官のマリーンドルフ伯爵令嬢は、愛人じゃなかったの?」
「その噂は、リップシュタット戦役の頃から訊かれる度に、フロイライン自身も陛下も否定しているわ。ついこの前まで、方便だろうと思っていたけど、意外に本当に何もなかったのね」
 4人は、テーブルの中心に頭を寄せ合いながらひそひそとそんな話を続けた。
 この部屋が盗聴されていないことは予め判っているものの、内容が内容だけに自然と声が低くなる。
 ヘレーネは、話を続けながら、全く別の意味で可笑しかった。
『なんだ、あの美しい伯爵令嬢は、2年もお傍に仕えていながら、まだお手つきではなかったのか』
 ヘレーネは、一人くっくっと低い笑いを漏らした。愉快で堪らなかった。
『お気の毒なフロイライン・マリーンドルフ。畑違いな場所で、2年も献身的にお仕えしながら、女として扱ってもらってなかったなんて』
 自分が、すごく意地悪な女になっていることを自覚しながら、ヘレーネは、そう思わずにいられなかった。
『でも、これであなたの門閥貴族の覇権奪還という野望も、前途多難なようね。2年も近くにいながら、男女関係にならないってことは、どうやらあなたは、陛下にとって、異性として対象外のようだわ』
 ラインハルトとヒルダの特殊な人間性を知らないヘレーネは、凡人故の悲しい性で、そう思い込んでいた。
「それで、もう一つのアンナの方のネタって何なの?」
 一頻り皇帝の話題で盛り上がったところで、ヘレーネは尋ねた。
「あ、こっちも同じなんだけど、フロイライン・マリーンドルフも、陛下と同じ理由で『検査対象外』なのよ。これは、私が直接検査キットを渡しに行ったから、間違いないわ」
「へぇ~・・・そうなの」
 ヘレーネは、今度はあまり驚かなかった。
『そうか。あの智謀に優れた伯爵令嬢は、男と女のことを何も知らないおぼこ娘だったのか』
 ヘレーネは、初めてヒルダに対して自分の優位性を感じていた。
 そして、再び彼女に悪意のある感情が湧き上がるのを自覚する。
『可愛そうなフロイライン。いつか皇帝が、どこかで愛する女性を見つけて、皇妃に迎えても、あなたは相変わらずお傍でお仕えするのかしら? 権力者は若い女を好むわ。ゴールデンバウム王朝の皇帝達も、あのロイエンタール元帥だって。皇帝と一歳しか違わないあなたは、清いままで年老いていけばいいわ』
 ヘレーネは、自分の醜い心を抑えきれず、ヒルダに対して心の中で「ざまあ見ろ」と罵声を浴びせていた。
 女性達の会話は尚も続いた。
「伯爵令嬢って、やっぱり身持ちが堅いのかしら」
「単純に異性に興味が薄いタイプなんじゃない? 非恋愛体質の人って、男女問わず結構いるものよ」
「案外、純潔を守って、陛下のお手がつくのを待ってたりして」
 サーシャの発想に、ヘレーネは密かに同意したが、ベアトリスは否定的だった。
「そういう下心のある人には、見えないわ。第一、自分の美貌を活かそうとするなら、あんな格好しないでしょ」
 今度は誰も反論できなかった。
 今回の件で、思いがけず同じ対策室の人間として一緒に働くようになり、3人はヒルダの大佐待遇という地位に相応しい技量を日々まざまざと見せ付けられているのだという。最初は、自分達と同世代でありながら、いくつもの幸運が重なって、破格の地位を得た彼女に対し、それぞれに反感めいたものを抱えていた彼女達も、今では下に付くことに納得しているという。
 ヒルダの卓越した事務処理能力と迅速で的確な指示は、今までの短い間に接したどの上官も遠く及ばないと、3人が3人とも感じている。
 彼女が陣頭指揮をとっているお陰で、感染も最低限に抑えられるに違いないと口々に言う。
 また、他人への接し方も門閥貴族の令嬢とは思えないくらいソフトで、階級的にはずっと下であるはずの3人に対しても、低姿勢だということだった。
 ヘレーネは、少し複雑な気持ちで親友達の会話を聞いていた。
 聞けば聞くほど、フロイライン・マリーンドルフという人には現実味を感じない。
 果たして本当に門閥貴族の中に、そんなに“出来た”人間がいるものだろうか?
 それとも、これまでの波乱の人生の所為で、自分があまりに人間不信過ぎるのだろうか?
 ヘレーネは、自分のことを学はあるが、あまり育ちがいい方とはいえない女だと自覚している。
 ベアトリスは、裕福ではないとはいえ、一応男爵令嬢だし、他の二人にしても、内戦以前は富裕層に属する上流平民家庭で何不自由なく育った。
 皮肉にも、4人の中で、リッテンハイム候の娘であるヘレーネが、一番貧しい幼少期を過したのだ。
 常に生活に追われて生きてきた自分は、少し人を斜めから見てしまうのではないか、フロイライン・マリーンドルフに対する意地の悪い思いも、醜い嫉妬心からくるものではないかと、ヘレーネはふと冷静になって考える。
 自分より恵まれた幼少期を過した友人達や、富豪の息子であるリンザーと付き合っていると、彼らにある他人を無条件に受け入れる真っ直ぐな心が、自分にはないことを時々感じるのだ。
『コンラートは、こんな私と結婚して、本当に幸せになれるのかしら?』
 ヘレーネは、恋人の曇りのない瞳を思い出してそう思った。


 サビーネへの見舞い客は、その後も女学院の関係者や、オーディンの邸に住んでいた頃の使用人などが、ぽつりぽつりと現れたが、中でもコールラウシュ伯爵夫人と、リューデリッツ伯爵令嬢カタリナは、その後も何度か顔を出してくれた。
 9月13日の午後も、伯爵夫人は、渡航前検査の帰りに病室に現れた。
 既に何度か同じことをしているので、自分で準備をし、病室から出てくると慣れた感じで洗面室で手早く手洗いとうがいを済ませる。
 その伯爵夫人が、帰り際、カルツ夫人に、ある貴族女性の名前をいい、彼女が見舞いに来たか尋ねた。
 ヘレーネには記憶にない名前だった。
「あの方は、慎重な方です。それぞれにご事情もあると思いますので、私もヘレーネ様もご自分の意思で来て下さる方だけお迎えするつもりでおります。サビーネ様ご自身も、きっとそう思ってらっしゃるでしょう」
 カルツ夫人が達観したように静かに言う。どうやら、名前の主は、情より理性を優先して、きちんと計算する類の人間らしい。
「そんな・・・だって、彼女は何年もサビーネの家庭教師だったのよ」
 伯爵夫人は、納得できない様子で憤慨したようだ。
「いいのですよ。こういうことは、ご本人のお気持ちですから・・・」
 カルツ夫人が宥めるように言ったが、伯爵夫人は尚も釈然としないようだった。
 伯爵夫人によると、その女性は、遠縁の男爵家の令嬢で、大学で古典文学を学んだ貴族女性にしては珍しくインテリで、サビーネが4歳の時から10歳で初等教育を終えるまで、家庭教師を務めていたらしい。
 そして、偶然にも現在、彼女は、ロイエンタール元帥の父方の従兄に当る男性と見合いし、結婚を前提に交際中なのだという。
 伯爵夫人は、最近まで彼女とは直接面識がなかったので、新婚旅行から戻った翌日に、サビーネの件を元帥から交際相手の従兄を通して、一度見舞ってあげて欲しいと伝えてもらったそうだ。
 ロイエンタールも、従兄のアルブレヒトも、引き受けたことは確実に行なう人間なので、彼女にもサビーネの件はとっくに伝わっていることだろう。それでも現時点で現れないということは、これが彼女の意思と受け止めるしかない。
 コールラウシュ伯爵夫人は不満そうだったが、ヘレーネは、彼女の判断を冷たいとは思わなかった。
 いかに滅菌設備が優れていようと、まだ全容が解明されていない未知の細菌である。万に一つの危険性は捨てきれない。誰も、自分自身がかわいいのは当たり前だ。ヘレーネ自身も同じ立場だったら、どちらを選んだかわからないと思った。
 伯爵夫人は、「できれば明日も来ます」と言って帰っていくと、ヘレーネとカルツ夫人は、自然と目を合わせて微笑し合っていた。

***************
すみません。一旦ここで切ります。
後ほど連投します。

コメント一覧

ゆうやん (10/25 10:32) 編集・削除

女性ってたくましいww
ガールズトークに思わず含み笑い。そしてさりげにかかあ天下驀進中の統帥本部総長に乾杯。

で、続きをおまちしております

Jeri Eメール URL (10/25 17:33) 編集・削除

>ゆうやんさん
いつかガールズトークを書いてみたかったんですが、エルフィーもヒルダも、そういう話を同性とするキャラじゃない・・・っていうか、銀英伝の女性達ってみんなしなさそう。女同士の井戸端会議すらする人いない。まあ、よしりんだから仕方ないかw
で、誰もやってくれないことは、オリキャラにやらせるしかないかとw

食うために軍人になった女達6(ハーレクインもどきスピンオフSS)

【50000ヒット記念企画】

 ミッターマイヤーの先発隊がフェザーンへ発ったこの日、ヘレーネは、一旦宿舎に戻ると、着替えと僅かな身の回りのものをボストンバックに詰めて、サビーネが収容されている特別病棟内の一室に再びやって来た。
 セミダブルベッドが二つに、バスルームがあるホテルのツインルーム仕様のこの部屋でカルツ夫人と共に寝起きし、24時間体制でサビーネの世話を交代で行なって、最期を看取る覚悟だった。
 余命10日前後と宣告されている以上、彼女がヴァルハラへ旅立つ日まで、ここから出るつもりはなかった。必要なものがあれば、携帯端末から病院宛てに何でも取り寄せられるし、それをスタッフがいつでも部屋まで運んでくれる。就業後にできるだけ顔を出すと約束してくれた、ベアトリス達に頼んだっていい。洗濯もクリーニングも出来る設備が整っているので、着替えも最低限でいい。
 表向きは、軍属として要人を私服で警護するという形になっていたが、ここに部外者が侵入することは実際不可能な状況だった。第一、余命いくばくもないサビーネを今更利用したり暗殺したりしたい人間なり組織なりが存在するわけがない。
 また、9月17日に軍務省の准尉として帯同する予定だったヘレーネのフェザーン行きも、サビーネが奇跡的に持ち直す可能性を考慮して、この時点で白紙に戻された。
 電話で話したリンザーによると、場合によっては、所属を後方総司令官を任されるメックリンガー提督の下へ一時的に移動させてもいいという話まで出ているらしい。
 誰の配慮かは知らないが、ヘレーネは、軍上層部の明らかな善意に感謝しつつ、もう一つの仕事であるカルツ夫人への事情聴取を文書データ化するという仕事に取り掛かった。
 話す夫人にとっても、聞いて記録するヘレーネにとっても、これは非常に辛い作業だったが、残忍な犯罪者達を糾弾し、法の裁きを受けさせる為には、必要不可欠な仕事だった。
 そして、証言者は多いほど情報は正確で詳細になる。
 カルツ夫人は、あの状況で、サビーネ一人を助け出すのが精一杯だったが、瀕死の状態で生き残った使用人も僅かながらいるらしい。また、当初、略奪・暴行の犯人に仕立てあげられた、蜂起し城館を取り囲んだ元領民達も、名乗り出てくれれば貴重な証人となるはずだった。
 今頃は、警察と憲兵隊の調査員達が、現地でそれらの人々や、惨劇直後のサビーネを診察・治療した医師と看護師からも事情聴取を行なう為に、宇宙港を発っているはずだ。
 サビーネは、収容当日の夕刻には熱も下がり、翌日からは、少しづつ食事もできるようになった。
 入院翌日には、ベアトリス達3人とリンザーが、大きな花束を抱えて退庁後に見舞いに訪れた。
「何か足りないと思っていたのよ。ここ」
 ヘレーネが、やっと表情を和ませて言った。
 要人専用の病室だけあって、絵画や調度品などは一流ホテル並みに揃っていたが、どこか寂しいと思っていたところだった。
 ヘレーネは、サビーネの病室には、滅菌処理を施された本物そっくりの造花を飾り、自分達の寝室と応接室には、それぞれアレンジされた生花を花瓶に活けた。
 4人は、軍服姿であるのを気にして、サビーネ本人には会わず、応接室でヘレーネにだけ会って帰るつもりでいた。
 蛮行を働いた私兵も、正規軍と似たデザインの制服を着ていたので、サビーネは軍服を着た人間を怖がる。
 だが、彼らが来たのは、花を持参してヘレーネを励ますだけが目的ではない。
 リンザーが、早速今日から稼動し始めた対策室で決定したことを伝えた。
「明日から、TIEG-36型の検査キットが無料配布されることになる。対象は、全帝国軍人と、オーディン在住者及び、菌の原生惑星のある星系在住者の内、性別年齢に関係なく、この1年半以内に性交渉をもったことのある人間全員だ」
 リンザーが、女性4人を前にして、最期の方の言葉をやや濁して言う。
 検査キット自体は、汎用的な性感染症検査用のセットで、血液を採取して入れるケースと、性器に直接擦りつけるセロファン状のシートから成っているとのことだった。特にTIEG-36型の為に特別に開発されたものではないので、いくらでも増生産が可能で、希望すれば前述の条件外の人間でも貰えることにする。
 配布場所は、各自治体の庁舎や、軍施設、民間の薬局や食料品店など、あらゆる場所で入手可能にする方針を打ち立てた。
 条件に当て嵌まる人間は、採取したものを入れたケースに、自分のID番号を書いたシールを貼り、同梱されている袋に入れて、各通りの交差点毎に設置された特殊処理を施された回収ボックスに投函する。回収は、毎日定時に、保険局の係員が行い、政府が指定した検査機関に送られる。
 TIEG-36型の検出のみの判定なら即時に可能なので、早ければ投函後2日目には、指定のメールアドレスか、文書による郵送で結果を知ることができる。その際、陽性の人間には、保険局の係官が直接出向き、即時再検査の為、指定病院への入院を義務付ける。
 治療自体が無料であるし、自分自身や周囲の人間への感染を考えれば、まず拒否する者はいないと思われるが、微妙な問題も絡んでくることが予想される。
 例えば、それにより、相手の不貞を知ることになる夫婦もいるだろうし、既に過去のものとなった関係を、現在の相手にも知られることになる恋人達もいるだろう。
 そういった人間関係上のトラブルが、大きな社会問題に発展しないかということまで、対策室では検討されているらしい。
 ヘレーネは、政府の対応の早さに、感心していた。
 旧体制下だったら、有力貴族達の中に、続々と発症者が出たりでもしない限り放置されていたかもしれない。
 やはりローエングラム体制は正しい。ヘレーネはあらためてそう思った。
 もっとも、そもそもこのようなことが起こったのは、その旧体制を滅ぼした内戦の所為であることを考えれば、ジレンマではあるが。
 一通りの報告が終わると、気を利かせた女3人は、早々に退散していった。
 カルツ夫人は、病室でサビーネに食事をさせる為に席を外していたので、ヘレーネは、応接室でリンザーと二人きりになった。
 リンザーは、折れそうになる心を懸命に支えているヘレーネを、ただ黙って抱きしめてくれた。


 サビーネは、収容された翌日には酸素マスクも外されて自力呼吸が可能になり、全身の皮膚の腫れや化膿もだんだん引いて、数日後には、意識もかなり回復してきた。
 言葉も徐々に明瞭になり、簡単な単語なら、ヘレーネにも聞き取れるくらい喋れるようになっていた。
 ヘレーネとカルツ夫人は、その様子に、或いはと希望を持ったが、医師団の見解は変わらなかった。
「熱も下がり、痛みも取れて、本人的には楽になっているはずです。しかし、この菌で、一度破壊された臓器や脳細胞を再生させることは、今の医学では不可能なのです。残念ながら、進行を緩めることが、現時点では精一杯です。また、今使っている薬は、謂わば諸刃の剣です。痛みがなくなり、皮膚表面もきれいになる代わりに、極端に免疫力が低下します。今後、ご令嬢にとって、ちょっとしたことが命取りになります。病室を無菌状態にし、接触する人は常に全身消毒を心がけて下さい」
 感染科部長である医師の説明は、簡潔で素人にも解り易かった。彼も主治医のファーレンハイト軍医も、悪戯に希望を持たせるような事は言わず、事実をありのままに話してくれた。
 落胆はしたものの、ヘレーネにはそれがかえって有り難かった。
 肉親を次々と亡くし、サビーネが亡くなれば、文字通り天涯孤独の身となる彼女にしてみれば、下手に希望を持って後で裏切られるよりも、心の準備がし易すいというものだ。 そして、頻繁に顔を合わせるうちに、ヘレーネは、この軍医中佐に深い信頼を寄せるようになり、階級を越えて次第に親しくなっていった。
 ベルタ・クリスティーネ・フォン・ファーレンハイト中佐は、ビッテンフェルト提督の姉でもあり、ファーレンハイト提督夫人でもあるという、軍首脳の親族でありながら、平民の出のせいか、飾らない人柄で、無口だが気さくな女性だった。
『ああ、この人はきっと、一人でも人の命を救いたいと思って医者になったんだわ』
 彼女の志を直に訊いたわけではないが、ベルタの仕事ぶりを間近で見たヘレーネは、確信的にそう思った。
 十代にして人生の辛酸を舐めたヘレーネには、自分の前に新たな人間が現れると、つい心の中で、この人は、自分の敵か味方かと識別しようとする癖が身についている。そして、信頼に足る人間か、そうでない人間かを見極めるまで、決して心を開かない。
 そんな中で、ヘレーネは、ベアトリスを親友とし、アレクサンドラとアンナという新たな友に出会った。そして、コンラート・リンザーという男と、できれば生涯を共にしたいと考えていた。
 更に、サビーネに最期まで忠義を尽くすカルツ夫人とも、寝食を共にする内に身内意識のようなものも芽生えた。サビーネ亡き後、もし、行き場がないなら、妹を面倒見てくれたお礼に、今度は自分が養ってもいいくらいに思っていた。
 ヘレーネにとって、今後自分と関わるであろう人間で、今、最も警戒心を持っているのは、今回の事件で、臨時の対策室長になっているヒルダだった。
『時代を逆行させてはならない。この国を、再び門閥貴族の支配する社会にしてはならない』
 ヘレーネの中の平民の血が、そう叫んでいた。
 そして、
『フロイライン・マリーンドルフという人は、皇妃の座を虎視眈々と狙っているのだ。そうに違いない』
 これがまだ一度も会ったことのない女性に対するヘレーネの出した偏見に満ちた結論だった。
 正攻法で挑んでも、国民の支持の高いローエングラム王朝を倒すのは不可能だ。ならば、自分が皇妃となり、内部から王朝を乗っ取ればいい。そうすれば、また、自分は何も失うことがなく、安全に旧体制の復権を実現させられる。
 なんて、姑息で周到なのだろう。あの美しい姿の中に、強烈な野心と、醜い権力欲を隠し持っている。そして、彼女の美しさに目が眩んだ皇帝は、そのことに気づいていないのだ。
 ヘレーネがそこまで想像を逞しくさせるには、彼女なりの正当な理由があった。
 ヘレーネは、自分の人生経験上、主義と行動の一致しない人間を信じない。それは、2番目の男から苦い経験として学んだ。
 大学時代の短い一時期、恋人だった男は、下級貴族出身で、生来貴族特権とは遠いところにいた。
 彼は、当時宰相だったローエングラム公の新体制を絶賛し、貴族特権の廃止、更にはゴールデンバウム王朝打倒というリップシュタット戦役以前なら、確実に思想犯として逮捕されるだろう過激な改革思想の持ち主だった。
 もっとも、これは、その当時のインテリ層の流行のようなもので、彼のような大学生は、特に珍しくもなかった。
 彼が他の過激派と少し違っていたのは、政治思想だけでなく、女性の開放や社会進出といった身近な分野も先進的思想に染まっていた点だった。
「これからは、この大学にも女性の入学者がもっと増えると思うよ。軍でさえ、大卒女性キャリアの採用枠を設けるというし。そうすれば、将来、女の提督や尚書だって生まれる可能性があるんだ。同盟やフェザーンみたいに、帝国の女性も男と対等な権利を持ち、社会に出るべきなんだよ」
 数少ない女子学生の一人であるヘレーネに向って熱っぽくそう語る彼を、ヘレーネは素直に尊敬し、信じた。
 しかし、男は、一度関係を持った途端、態度を豹変させたのだ。
 自分がヘレーネにとって最初の男でなかったことに対し、怒りに震えた彼は、紛れも無く女性のみに純潔を強要する古い貞操観念の帝国男そのものだった。
『結局、彼にとって先進的思想など、ファッションみたいなものだったのね。本気で国や国民の為の世の中を考えてのことなんかじゃなかったんだわ』
 別れて暫く経ち、心の傷も癒えた頃、ヘレーネはそう分析できるようになっていた。
 そして、智謀に優れていると評判のマリーンドルフ伯爵令嬢も、彼と同類に違いないと考えたのだ。
 ヒルダが、腐敗の局地に達していた旧体制に改革の必要性を感じ、進んでローエングラム陣営に味方したこと自体は、女でありながら、男装し、大学で学んだ伯爵令嬢という彼女の経歴からして、むしろ必然であったと思っている。
 ヘレーネ自身も、末端の平民として暮らしていた時よりも、貴族になり、少し目線が上に上がってからの方が、社会の矛盾や不公正というものをより強く実感するようになったからだ。
 そして、平民に戻って大学で学んでいると、更にその思いを強くし、場合によっては革命を起こしてでも改革を断行すべしという思想にも共鳴するようになっていた。
 ただし、ヘレーネの立場上、自分の生活で精一杯だという現実的な理由から、進んで革命運動に身を投じる気は最初からなかった。
 キャリア採用の中で軍を選んだのも、他の省庁よりも激務な分給料が良く、昇進の機会にも恵まれるとの、あまり志の高いとは言えない理由からだった。
 だから、その点、生活の心配のないインテリのマリーンドルフ伯爵令嬢が、温室の中で育まれながら、率先して革命思想に染まったのは、何の不思議もない。
 問題なのは、その後の身の振り方だった。
 改革の必要性を唱えるならば、当然、何をどう改革すべきなのか、その具体的な将来の構想が多かれ少なかれあるはずだった。それが全くなければ、ただの不平屋になってしまう。
 大学で政治学や経済学を学んだらしい伯爵令嬢が、真っ先に改革を考えるとしたら、それは当然、司法や経済分野であるはずだ。
 だから、彼女が司法省や財務省の高官に抜擢されているというなら、ヘレーネもその初志貫徹を賞賛したことだろう。
 ところが、彼女はなぜかそうせず、『秘書官』という名目で、畑違いな軍に身を置き、ひたすら皇帝の傍に侍っている。
 では、彼女は、何の志もなく、ただ自家の安泰の為だけにローエングラム陣営に与し、それが叶った後も、ただ惰性で皇帝の傍にいるのだろうか?
 ヘレーネは、それは違うと直感的に思った。
 一個艦隊に匹敵するほどの智謀の持ち主が、壊すだけ壊しておいて、その後の再建に何の構想も持っていなかったなどというのは有り得ない。
 ならば、彼女の行動は、何を意味するかと推理を拡げると、どうしても『皇妃になる機会を狙っている』という結論になってしまうのだ。
『いやだ。また、あんな奴等に支配される世の中に逆戻りするのは』
 ヘレーネにとって、『門閥貴族』のイメージは、自分を捨てた実父のリッテンハイム候と、最初の男に集約されている。勿論、上流貴族の中にも色々な人間がいるということを頭では理解した上でのことだ。
 ヒルダの抱える苦悩など知る由もないヘレーネにとって、マリーンドルフ伯爵令嬢は、この時点では間違いなく自分にとって『敵』であった。
 ヘレーネが、ヒルダに対しての偏見から完全に開放されるのは、今少し後の話になる。

「おはようございます、姫。お加減はいかがですか?」
 ヘレーネは、朝、自身の消毒処置を済ませ、サビーネの部屋へ行くと、必ずそう言って挨拶をした。
 サビーネにとって、リップシュタット戦役で領地惑星に疎開してからオーディンへ戻るまでの記憶は、いっそすっぱり削除してしまいたい忌まわしいものであるはずだ。
 だから、ヘレーネとカルツ夫人は、あの1年半の時間を『なかったこと』として振舞うことに決めたのだ。
 3年前、初めてサビーネと対面したヘレーネは、彼女に臣下の礼をとった。
 ヘレーネは、あの当時と同じ態度で接することで、少しづつ意識を取り戻しつつあるサビーネの心の平静を保とうと考えたのだ。
 医療チームの心療内科医も、「准尉ご自身がそれでよろしいなら」と、賛成してくれた。
 今のヘレーネには、サビーネに感謝してもらいたい気持ちは微塵もなかった。
 元々彼女は、身分が下の人間が、自分の為に仕えるのが当たり前の環境で育った少女である。そんな人間に見返りなど、平民生まれのヘレーネは期待すべきでないことを知っていた。
 今は、ただ、少しでもサビーネが楽になるよう、安らかな死を迎えられるようにとしか考えられなかった。
 入院して4日後の9月3日になると、皮膚の腫れはすっかり引き、化膿した部分も瘡蓋になって剥がれはじめた。
 ヘレーネ達は、二人の看護師に手伝ってもらい、久しぶりにサビーネを薬湯で入浴させることにした。
 医療用の着衣を脱がせると、腫れの引いた身体はすっかり窶れ、見ているのが痛々しかった。
 肌に沁みない低刺激性の石鹸を泡立て、カルツ夫人と二人で少しづつそっと身体を洗ってやると、サビーネも気持ちがいいのか、表情が落ち着き、濁った目に少しだけ精気が戻ってきたように見えた。
 ヘレーネは、元気な時の彼女とは、一度対面しただけだが、上流貴族独特の驕慢さは別として、利発で快活な少女という印象を持っていた。
 実際、貴族社会での評価もそのお通りで、少し甘ったれな性格で、才知も凡庸と評されていた第一皇女の娘で年上でもある従姉エリザベートよりも、彼女の方が女帝には相応しいと考える勢力は強かった。
 ヘレーネも、男爵家で過した一時期に、そうした貴族社会の動静を感じ取っていた。
 だからこそ、今の変わり果てたサビーネが一層哀れでならない。
 身体を洗い終え、ヘレーネが、今度は低刺激性の特殊シャンプーを手にとって、髪を洗ってやると、サビーネは、心地良さそうに目を閉じた。
 丁寧に泡を洗い流し、乾燥風を宛てた後、バスタオルに身体を包んでで、リネン類が総取替えされた清潔なベッドへ運ぶと、皮膚を保護するための軟膏を前身に塗る。
 ヘレーネは、カルツ夫人と看護師が、特殊ゴム製のヘラで軟膏を塗っている間、サビーネの髪を梳かして、整えてやっていた。
 本来なら、結い上げる為に長く伸ばし、豊かであるはずの髪が、衛生の為に短く切られ、薬の副作用でかなり抜け落ちて薄くなってしまっている。
 ヘレーネは、できるだけそれらをカバーするようにして、髪を整えてやった。
 ふと、サビーネが、何か言葉を発しようとして、同時に少し左手を動かした。
「いかがなさいましたか?」
 ヘレーネは、耳を近づけて尋ねながら、根気良く音声が明確化するのを待った。
 しかし、サビーネの声は、上手く聴こえてこなかった。だが、その口の形が、どうやら「ありがとう」と言っていると判り、ヘレーネに手を差し出そうと動かしているらしい。
「恐れ多いお言葉でございます」
 ヘレーネは、そう言って、臣下として丁寧に両手でその手を押戴いた。
 サビーネは、なおも何か言いたげだったが、丁度、軟膏を塗り終えた看護師に呼ばれて、中断された。


 9月8日、サビーネが小康状態を保つ中、オーディン標準時間午後5時のニュースで、リッテンハイム候の令嬢が発見され、現在世間を騒がせているTIEG-36型に感染して治療中であることが報じられた。
 ヘレーネは、アナウンサーが淡々と読み上げるニュースを応接室のソリヴィジョン映像で見ていた。サビーネの病室には、テレビの類は置かれていないし、本人も今の状況では、見ても内容を認識できないので、彼女の心が傷付くことはないが、屈辱的なプラバシーを公表されてしまった異母妹をヘレーネは慮った。
 だが、これを期に、感染拡大への感心は一気に高まることとなる。
 報道から1時間もしないうちに、保険局や病院への問い合わせが殺到したのだ。
 連絡してくるのは大半が男性で、検査キットでは陰性だったが、発生源となった、現在は閉鎖されている娼館を利用したことがあるので、今後陽性になる心配はないかといった類のものが多かった。
 中には、性交渉はないが、発生源の星系出身者とずっと一緒に働いていたが、本当に性行為以外で感染する恐れはないのかといった断言し難い質問もあった。
 大した滅菌処理もしないままずっとサビーネの看護を一人でしていたカルツ夫人が、感染も発症もしていないし、他にも性行為以外での感染が報告されていないところを見ると、まず空気感染はしないと見て良さそうだった。
 しかし、長年に渡る復古主義の影響で、性道徳が保守的な帝国では、性感染症に対しての偏見は依然として根強かった。
 また、現時点でまだ症例の少ないTIEG-36型について医学会も慎重で、完全に空気感染はしないと断言するには時期尚早との見解だった。
 そんな中で、午後6時半に、受付にサビーネの報道を見た同級生の少女達が3名ばかり、保護者に付き添われて面会を求めているとの連絡が入った。
 ヘレーネは、少し迷ったが、医療チームのスタッフが、彼女達にサビーネの現状を説明し、それでもと言うなら、友人と最期の別れをする機会があってもいいと思った。
 サビーネの同級生達は、説明を聞くと全員納得し、保護者達と共に、入り口で全員がざっと全身消毒を施され、特別病室の応接室に入った。
 大人達はそこで待機し、病室に入る予定の少女達のみが、部屋に荷物を置き、靴を履き替えた上、病院指定の服に着替え、髪をカバーで包み、マスクをした姿で滅菌室へ案内された。
 体制の整った少女達は、サビーネとカルツ夫人のいる病室へ案内されて入っていった。
 ヘレーネは、同席しなかったが、サビーネと同じ年頃の健康そうな娘達を見ていて、胸に込み上げるものがあった。
 そして、完全防備とはいえ、まだ未知の部分の多い細菌感染に、不安もあっただろうに、それでも異母妹に会いに来てくれた同級生達に、深く感謝していた。
 20分程で、少女達は、全員目を真っ赤にして病室から出てきた。
「ありがとうございました。また、来ます」
 涙を拭きながら、一人の少女が代表して言った。
 ヘレーネの素性を、カルツ夫人から聞いたのだろう。私服の彼女を明らかに、医療スタッフではなく、サビーネの身内として見ていることが判った。
 本来なら、見向きもされないはずだった庶姉に、令嬢達は丁寧に挨拶をすると、応接室で待つ保護者達と共に帰っていった。
 だが、この日の来訪者は、これで終わりではなかった。
 3人の同級生達が帰った1時間後、今度は、コールラウシュ伯爵夫人が、新婚旅行の帰途、直接病院へ行きたいと伝えてきた。
 ヘレーネは、サビーネと最も対照的な人生を歩んでいる同級生の突然の来訪に、一瞬動揺した。
「コールラウシュ伯爵夫人は、ご家族をテロで亡くされ、親しいご親族の多くが処刑されたり、流刑に処された中、ご一族の為に、ロイエンタール元帥とのご結婚を決意なされた方です。リッテンハイム家とも親しかった子爵夫人とご子息も、伯爵夫人のおかげで流刑地から戻られたそうです。華やかに見えても、きっと私どもには計り知れない思いがおありでしょう」
 カルツ夫人の言葉に促されるように、ヘレーネは、伯爵夫人の来訪を受け入れる意思を伝えた。
 
つづく

・・・・すみません。もう呆れてやって下さい。
次回こそ本当に終わりです。
え? 信じられないって?www

コメント一覧

bell (10/23 17:29) 編集・削除

いけいけ〜。
もっと続けて〜

ゆうやん (10/23 20:32) 編集・削除

お。連投ですね。最終回も連投ですかしら。
ヘレーネの決意に涙腺がちょっとヤバし・・・。

次回最終回をお待ちしております。

非公開 (10/24 13:53) 編集・削除

管理者にのみ公開されます。

Jeri Eメール URL (10/24 16:13) 編集・削除

>平成の御代ではコンビニで買える例のゴム製品は存在しないのでしょうか・・

(笑)あることは、あるんですが、非合理な復古主義&男社会が500年近くも続いたお陰で、「生が一番いい」の男の希望が優先され、避妊は主に女性側の経口避妊薬が主流となっています。
無料配布してもなかなか使ってくれる男が少ないという、困った社会だ。・・・という設定ですwww

非公開 (10/24 16:37) 編集・削除

管理者にのみ公開されます。

Jeri Eメール URL (10/24 18:39) 編集・削除

>「検査キット」
ありがとうございます。
修正しました。

食うために軍人になった女達5(ハーレクインもどきスピンオフSS)

【50000ヒット記念企画】

 帝国歴1年8月30日午前5時、ヘレーネ達4名は、コンラート・リンザー大佐が起居する軍の佐官用宿舎の前に集まった。
 昨夜遅く、4人は、それぞれの上司から極秘任務の指令を端末で受取ると、打ち合わせて私服で集まった。
 指令内容は、全てワーレン艦隊司令部のリンザー大佐の指示に従うようにとのことで、直接命令書を出した直属の上司でさえ詳細を知らない。
「やあ、今日はよろしく頼む」
 気さくに声をかけて現れたリンザー自身も、Tシャツにジーンズという格好だった。
 サビーネの心情に配慮し、軍服姿を見せないようにと考えた結果だった。
 ヘレーネは、恋人と友人達の細やかな心遣いに感謝し、リンザーが用意した中型の自動運転ワゴン車に5人で乗り込んだ。
 途中、市街地から少しはずれたオトフリート3世通りと、シュテッテン大通りの交差点で、病院から配車された寝台車と合流した。
 中には、抗菌防護服を着た運転手と、女性看護師が2名、女性救急救命医1名が同乗しているはずである。
 2台の車の斜め前方と、ぴたりと後につけているシルバーグレーのごく普通の自家用車2台が、警察の覆面警護車だと教えられていた。
 カルツ夫人には、夕べの内にヘレーネの方から電話し、全て話してある。
 夫人は、声だけでわかるくらい、ほっと脱力している様子だった。
 そして、実はサビーネが一昨日から高熱を出し、解熱剤を飲ませても全く下がらず、ヘレーネに連絡しようか迷っていたところだったことも打ち明けた。
 その容態は、すぐさまリンザーを通じて搬送予定の病院へ知らされ、万全の受け入れ体制を整えているとのことだった。
 専門医によると、罹病の感染症の末期症状だという。
 一刻を争う事態に、軍、病院、警察が連携し、素早く動いた。
 平日で、道が空いていたこともあり、1時間半足らずでサビーネの住む家に着いた。
 まず、ワゴン車から降りたヘレーネが家に入り、カルツ夫人とサビーネの寝室へと向った。
 寝台の上で、真っ赤な顔で苦しげに息をするサビーネの様子を、ヘレーネは、当初直視できなかった。
「サビーネ・・・!」
 気を取り直して、あらためて顔を覗き込むと、爛れた皮膚は腫れ上がり、所々化膿しているのが身体中に広がっている。
 ヘレーネは、すぐに外に出て寝台車から降りてきた看護師と救命医に向って、ストレッチャーの用意を要請した。
 医師は、直ぐに応じると、ベアトリス等3人もワゴン車から降りてきて、サビーネの身体を移動させるのを手伝った。
 男のリンザーは、なるべく姿を見せず、カルツ夫人が昨夜のうちにまとめておいた荷物をワゴン車のトランクに詰め込んだ。
「後は我々で行います。准尉方と付き添いの方は、念のため、消毒処理をさせて頂きます」
 看護師の一人がそう言うと、手早くストレッチャーを寝台車に運び入れた。
 サビーネは、毛布で包まれ、全身を固定された形でストレッチャーに乗せられ、酸素マスクを装着された姿で寝台車に乗せられた。
 彼女の近くで接触したヘレーネ達とカルツ夫人は、警察の覆面警護車に同乗してきた民政省の保険局の職員だという人間に、マスクを渡され、霧状の消毒液を全身吹きかけられた。
 サビーネの罹っている病気は、空気感染はしない種類のものの可能性が高いとはいえ、念を入れたとのことだった。
 カルツ夫人もヘレーネも、寝台車に同乗することは許されず、一緒にワゴン車に乗り込むと、少し離れたところにいた警察の覆面警護車が、側面に貼ってあったシートを剥がし、リンザーもワゴン車に同じことを行なった。
 剥がしたシートの下からは、それぞれ帝国警察の紋章と、帝国軍の紋章が現れた。
 先頭と最後尾を走る警察車両2台が、車の上にサイレンを取り付けると、4台の車両は住宅街を静かに発進した。
 大通りに出ると、前後の警察車両が、けたたましくサイレンを鳴らし、周辺の車を蹴散らしていく。
「緊急車両が通過します。走行中の車は、端に寄って下さい」
 婦人警官が拡声マイクで同じ言葉を連呼しながら、信号も渋滞も無視して、4台のランドカーは、医療チームの待ち構える都内のジークリンデ皇后恩賜病院をひたすら目指した。


 出発してから一度も停車することなくフルスピードで走り続けたおかげで、病院には1時間弱で到着した。
 普段使われない要人専用の入り口に寝台車を中心に横付けされると、主治医を任命されたという最近週刊誌で話題のファーレンハイト軍医中佐らしき女医と、数名の医療スタッフが入り口で待ち構えていた。
 警察車両2台は、それを見届けると、再び走行して去って行き、ワゴン車の者は、ヘレーネとカルツ夫人のみが、院内に入ることを許可された。
 リンザー他3名は、この後、大本営のヒルダの元に出頭し、任務完了の報告と、新たな指令を受ける予定である。
 サビーネは、建物の最上階にある、厳重にロックされた関係者以外立ち入り禁止区域にある特別病室に移された。
 隣には、付添い人が寝泊りできるホテル並みの設備の部屋もあり、食事も厨房から直接物搬用の専用エレベーターで搬入出が可能な為、感染の可能性のある人間を完全に隔離することが可能だった。
 サビーネの容態が落ち着くと、ヘレーネとカルツ夫人は、医療チーム控え室脇の小会議室で、主治医であるファーレンハイト軍医中佐と、この病院の感染科長でる男性医師から説明を受けた。
 案内役の心療内科医によると、最新医療設備での検査の結果、これまで無数にある類似の症状の中から、正確な感染菌が初めて特定されたということだった。
 ヘレーネ達は、その知らせに、希望を持った。
 だが、会議室で向かい合った専門医の言葉が、彼女達を一気に奈落の底に突き落とした。
「結論から先に申し上げます。フロイライン・リッテンハイムの症状は、現時点の医学では、完治は不可能です。恐らく、もってあと10日前後かと思われます」
「そんな・・・!」
 ヘレーネとカルツ夫人は、同時に息を呑んだ。目の前が真っ暗になった気がした。
 余命宣告をした専門医も、主治医のファーレンハイト軍医中佐も苦悶の表情を浮かべている。
 元宮廷女官で常に威儀を崩さないカルツ夫人が、わっと泣き出した。
「私が・・・私が悪いんです。私が、もっと早く姫様を・・・私が・・・」
 ヘレーネは、夫人を慰める言葉が見つからなかった。
 名乗り出れば逆に処刑という事態も懸念される中、サビーネの容態を見守りながら、ヘレーネ自身もずっと彼女と一緒に逡巡してきたのだ。
 こんなことなら、オーディンに戻った時点で助けを求めればよかった。
 だが、どんなに後悔しても、もう遅い。
「ここでは、無理でも、フェザーンの最先端医療なら、何とかなりませんか? あちらでは、帝国の復古主義で廃れてしまったような医学も普及しているというし・・・」
 ヘレーネは、最後の望みを託して、縋るように二人の医師を見詰めた。
 しかし、医師達の表情は硬いままだった。
「それは既に、行なっております。第一、今のご令嬢の状態では、恒星間航行など到底不可能せす。ローエングラム体制に入ってから、旧王朝の非合理な医療制度が見直され、有効な治療法ならフェザーンのみならず同盟の技術までも取り入れています。少なくとも、ここや軍病院の医療レベルは、フェザーンに劣りません。令嬢の罹っているTIEG-36型は、まだ特効薬が開発されておりませんが、臨床試験で、遺伝子的にこの細菌に近いものに効果があった抗生物質を投与しております。間もなく、熱も下がり皮膚表面の化膿も収まるでしょう。ですが、既に脳内まで菌が侵食していて、内臓の一部が壊死しています。残念ですが、今の我々にできることは、1日でも延命し、できるだけ苦痛を感じずに、安らかな死を迎えられるようにして差し上げることだけです」
 主治医のファーレンハイト軍医が、サビーネの体内のスキャン映像を見せながら、聡明そうな薄茶色の瞳に憂いを湛えて、事務的に説明を行なう。彼女自身、怒りを懸命に堪えながら、医師としてのインフォームド・コンセント果たそうとしているのが、ヘレーネにも解った。
「私は、地球教徒ではありませんが、こういう症例と向かい合う度に思うのです。もしかしたら、人類は、まだ、母なる地球から巣立つには幼すぎたのではないかと」
 感染科部長を務める40代の男性医師が、深く瞑目しながら、職業に似合わない哲学的な台詞を吐いた。
 人類が宇宙に進出し、その生活圏を他惑星に拡大していった歴史は、同時に、入植地の惑星に自生する未知の細菌やウィルスとの戦いの歴史でもあった。
 この千年の間に発見された人間や家畜に感染するこれらの菌は、1000万種とも2000万種とも言われており、必然的にワクチンや特効薬の開発は、罹疾数が多く感染力の強いものから優先されていった。
 発見された新種の細菌は、発生地と疾病の種類をアルファベットで表記され、発見順に番号が振られて命名される。
 サビーネを襲ったTIEG-36型という細菌は、彼女が身を隠していた領地惑星と同じ星系の辺境惑星で、30年ほど前に最初の感染者が発見された。
 Tは、その星系の頭文字、Iは惑星の頭文字、EGは性病(Eine Geschlechtskrankheit)の略で、この惑星で発見された36番目の性病感染菌であることを示している。
 空気感染も口腔感染もせず、性行為によってのみ感染するらしいという性質と、原生地が、首都星から離れた辺境惑星であることから、オーディンはおろか、ヴァルハラ星系内でも滅多に感染者が出ることがなく、医療機関からも製薬会社からも注目されることはなかった。その為、この病気については、有効な治療法も、菌の詳細も判っていない。
 空気感染はしないというのは、これまでの少ない経験上からの予測であって、本当のところは不明だった。医療チームを含めて、ヘレーネ等にも過剰なまでの滅菌措置を施しているのもその為だった。
「この病気は、自覚症状が出た時点で、既に手遅れだったのです。オーディンに着いてすぐにここで治療を受けたとしても、結果は変わらなかったでしょう」
 ファーレンハイト軍医中佐の言葉は、多少なりともカルツ夫人への慰めが含まれていた。半分は事実だが、半分は異なる。もし、あと半年早かったら、少なくとも1、2年の延命措置が可能だったことだろう。その間に、奇跡的に特効薬が開発される可能性もゼロではない。しかし、いずれにしても、サビーネが、元の彼女に戻ることはない。彼女の身に起こった忌まわしい出来事を思えば、むしろ、今の何も判らなくなっている状態のまま逝くことの方が幸せなのではないかと、新婚のファーレンハイト軍医中佐ことベルタは、珍しく感傷的になってそう思った。


 ヘレーネは、カルツ夫人に後を託して一旦軍務省に戻ると、直属の上司に本日の任務完了報告を行った。
 しかし、その後彼女を待っていたのは、まだ一度も足を踏み入れたことのない軍務尚書執務室への出頭命令だった。
 ヘレーネは、いよいよ出自を隠して任官したことを問われるのを覚悟した。
 しかし、緊張して部屋に入ると、意外にもベアトリスが先に来ており、義眼の軍務尚書の脇には、調査局長兼官房長官を務めるフェルナー准将も控えている。
 軍務尚書オーベルシュタイン元帥は、全く感情のない声で、二人の准尉に直々に新たな命令を下した。
 ヘレーネに対しては、リッテンハイム候の娘である件には一切触れず、引き続き旧王朝の皇位継承権を持つ重要人物であるサビーネの警護の為、収容先の病院に終日詰めるようにとのことだった。毎日の定時連絡と、何か変わったことがあれば、逐次フェルナー准将に報告する旨を命じられた。
 これは、休暇をとらずに任務扱いで、ヘレーネが余命宣告をされたサビーネの傍に、最期まで付き添えることを意味していた。いったい誰の配慮か知らないが、今はとにかくそのことが有り難かった。
 また、カルツ夫人から、サビーネ達が襲撃された事件を、出来る限り詳細に聴取し、文書にまとめて提出することも合わせて命じられた。
 ベアトリスに対しては、今回の件を知ってしまった人間の一人として、リンザー大佐や、他の二人の准尉と共に、本日付で大本営内に非公式に立ち上がった『TIEG-36型感染拡大防止対策室』に出向し、臨時室長に就任した皇帝首席秘書官マリーンドルフ伯爵令嬢の傘下に入るよう指令が出された。
 この対策室は、サビーネの存在を公表する時期に合わせて各関係機関から専門家を招集し、体制が整った時点で皇帝の名に於いて正式に発足する予定とのことだった。
 実は、まだ情報規制を敷いていて、一般には知られていないが、この1年の間に、オーディン都内でこの型の性病に罹った患者が百数十名も報告されていた。
 発症していない者を合わせれば、数はその数倍になるであろうし、このまま放置されれば、感染は無限に拡がる恐れがある。しかも感染者の7割以上が軍人とその関係者であることから、明らかに発生源は軍内と考えられた。
 これまでヴァルハラ星系内での発症例がなかった為、政府はこれを重く見て、警察と軍が連携して密かに感染経路の調査を行なっていた。その軍側の調査責任者が、他ならぬフェルナーだった。
 その結果、感染源は、宇宙港付近の数件の娼館らしいということまでは何とか突き止めたものの、どうしてもその先へ進めず、正確な割り出しが暗礁に乗り上げていたところだった。
 それが、今回のサビーネの件で、一気に全容が見えてきたのだ。
 ほぼ間違いなく、サビーネを襲った私兵達の中に保菌者がいたのだろう。
 リップシュタット戦役終了後、賊軍の門閥貴族達の領地惑星に、戦後処理部隊が派遣されたのは、戦役終結後間もなくのことだったが、それでもキルヒアイスの死亡事件や、リヒテンラーデ派の粛清などがあり、実際に各隊が到着した時は、終結から既に1ヶ月近く経過していた。
 ラインハルト自身、既に敗れた門閥貴族達の親族や臣下などに興味は薄く、その為、派遣された者達も、殆どマニュアル通りの処理をしたのみだった。無論、連座制を適用するつもりもなく、そのことを通達すると、どの惑星でも抵抗は皆無で、従順に降伏し、事はスムーズに運んだ。
 それでも、首謀者であるブラウンシュバイク公の領地惑星と、リッテンハイム候の領地惑星での戦後処理には、シュタインメッツ艦隊に所属するの分艦隊の精鋭部隊がそれぞれ派遣されたが、この2惑星のみは、流石に他の貴族の領地惑星のようにはいかなかった。
 ブラウンシュバイク公には、ヴェスターラントの件で、リッテンハイム候には、ガルミッシュ要塞宙域での味方の補給部隊砲撃の件で、それぞれ怒りを爆発させた領民達が、館を襲撃していて、制圧部隊は、特にブラウンシュバイク公領の館では、凄惨な現場に直面することとなったのである。
 館の中には、使用人や忠義者の私兵の腐敗した遺体が累々と横たわっていたが、公の妻でフリードリッヒ4世の皇女であるアマーリエ公妃と思われる遺体も、その娘のエリザベートらしき遺体も遂に発見されなかった。
 その為、今もこの二人は行方不明のままである。
 制圧を任された戦後処理部隊は、それでも、この件を略奪・暴行・殺人の刑事事件として調査を開始したが、事件の関係者は誰も硬く口を閉ざし、結局、特定の人間の逮捕には至らなかった。
 被害者達には気の毒だが、戦時下の特殊な状況の中では、これもままある話として、巨大な歴史の砂の中に埋められることとなったのである。
 それでも、優秀なローエングラム陣営の制圧部隊は、遺体の記録を一体一体データ化して保存した上で埋葬し、館を修復、清掃すると、そこをこの星域の新たな行政庁舎として、後から民政省が派遣してきた行政官達に引き渡して、任務を完了した。
 リッテンハイム候領に関しても、ほぼ同じ事情だった。
 違っていたのは、暴徒化して館に乱入した領民達を、警護の私兵部隊が激戦の末、何とか追い払い、鎮圧したと報告したことだった。
 その過程で、残念ながらリッテンハイム候の妻であるクリスティーナ妃が死亡し、令嬢のサビーネが行方不明というものだった。
 勿論、これは真っ赤な嘘である。
 しかし、既に、この時点では、死亡したクリスティーナや使用人達の遺体は埋葬された後で、しかも暴徒の主だった首謀者達も、襲撃事件の後、武器で勝る私兵の幹部達に「主の仇を処刑した」として口封じに殺害されていた為、制圧部隊も彼らの話を信じるしかなかった。
 この時、83名の元リッテンハイム候の私兵達は、その場で恭順の意を示し、ローエングラム陣営に投降すると、後に正規軍に組み入れられた。
 こうして、サビーネを襲った野獣どもは、その後、何食わぬ顔で、ローエングラム軍の軍人として禄を食んでいたのだ。ヘレーネには、そのことが身震いするほどおぞましかった。
 彼等は、それぞれ新たな所属先に割り振られていったが、その内の約半数がランテマリオ星域会戦やバーミリオン会戦で戦死している。
 残った41名の内、6名の人間がTIEG-36型を発症して退役しており、この時点でその内の2名が既に死亡していた。残りの4名も、郊外の専門病院で隔離され、治療中であるが、サビーネ同様、それぞれ数日から数ヶ月の余命宣告を受けていて、事情聴取が困難だった。
 残る35名中、現在、一番多い16名が、元々彼らの制圧部隊が所属していたシュタインメッツ艦隊に在籍し、ガンダルバ星系に駐屯している。
 彼等の中で、今をもって発症の報告がないところを見ると、どうやらこの中には、保菌者も感染者もいないと見ていい。ただし、間違いなく事件の真相を知っていることから、早々に召還し、事情聴取が行なわれることになる。
 その他は、7名がレンネンカンプ高等弁務官の配下としてハイネセンに居り、12名が、宇宙艦隊司令部、即ち、ミッターマイヤー艦隊の所属として、今日、フェザーンへ進発する予定である。
 当初、この12名を即出頭させ、オーディン都内に於いて隔離する案が検討された。
 しかし、結局、オーベルシュタインの作戦を採用し、何も知らせず、一旦彼らを予定通り出立させることとなった。
 この措置には、保菌者の可能性の高い人間達を閉鎖空間にまとめて留め置くことで、事情聴取の効率を高める狙いがあった。
 彼等は、予めこの作戦を知らされているミッターマイヤーと少数の幕僚の指示で、同じ艦の同一居住区に配属されると、宇宙に出た時点で艦隊に帯同している憲兵隊によって逮捕され、厳しい尋問を受けることになる。
 尋問内容は、襲撃事件の真相と、元リッテンハイム候領惑星を出てから今朝までの性生活について、細大漏らさず述べろというものである。
 そして、その内容は、FTLで事細かにオーディンの感染拡大防止対策室に報告されることとなる。
 12名は、逃げ場のない戦艦の中で拘束され、フェザーンに到着次第、軍病院で検査を受けた後、警察に引き渡される予定である。
 皇帝ラインハルトも、ミッターマイヤー元帥も、何よりもこの手の犯罪を嫌悪する男である。軍律に則って裁けば、全員即刻処刑されるところだが、彼等が犯罪を犯した当時は、正規の帝国軍人ではなく、リッテンハイム候の私兵とはいえ、法的には民間人だった。 その為、「公正な裁判と公正な税制」を標榜するローエングラム王朝としては、心情的な面を押し殺し、民間人の起こした凶悪犯罪として、彼等を司法の手に委ねることにしたのである。
「そのような者どもが、予の軍隊にいると思うだけで汚らわしい! 即刻全員を銃殺刑にせよ!」
 当初、そう叫んで、つい感情的になり、皇帝の勅命を以って特例での処刑を主張したラインハルトをヒルダが懸命に諌めた。
 ここで、彼等を殺してしまっては、感染ルートの解明が困難になるばかりか、法と秩序の遵守を保てなくなる。ヒルダがそう説得すると、ラインハルトは、自らの激昂を反省し、冷静さを取り戻した。
 オーディンでの感染防止対策は、皇帝の本体が出立する9月17日以降は、民政省に引き継がれ、保険局長が室長の任に就く予定である。その前に、時期を見計らって、感染状況を公表し、国民に注意を喚起する。
 性感染症は、ただでさえ偏見が根強い上、男女間のプライベートな問題が絡んでくる難しい面もあった。公表に当っては、感染者は個人情報と人権が保証されること、全て国費で治療が受けられることと、自身で感染の疑いのある者は、無料で検査が受けられる旨も、布告される予定である。
 また、類似の症例のワクチン開発で実績のある製薬会社3社に対して、政府から莫大な補助金を出し、特効薬の開発を急がせることにした。ただし、各社の研究機関によると、いずれも、臨床試験段階までいくのに早くて2年、実用化までは更にそれから1年ほどかかるだろうとの見解だったので、残念ながら現時点で発症している患者が助かる可能性は殆どゼロに等しかった。
 襲撃事件の全容解明と、容疑者達の取調べ及び裁判は、敢えて帝国内よりも衛生設備が充実し、司法制度が発達したフェザーンに於いて行なわれることとなった。
「公正な司法」を謳ったローエングラム王朝ではあったが、実のところ、500年近くも封建社会が続いた後では、一般市民にとって、そもそも何を以って「公正」とするのかすらよく判らないところががあった。
 そこで、現在、将来の首都星となるフェザーンでは、かの地に元からあった先進的な司法制度と帝国流のそれとを上手く組み合わせて、新たな裁判制度を導入する試みがなされている。その意味で、今回の事件は、格好の試験台と言えた。
 ハイネセンとガンダルバ星系から召還を受けた者達も、オーディンではなく、フェザーンへ出頭することとなる。
 彼等は、事情聴取を終えた後、全員軍籍を剥奪され、民間人の犯罪者として起訴され、一人づつフェザーンの裁判所で裁かれることになる。
 裁判は一審制で、控訴も上告もできない。この部分は帝国流の即行解決の利点が採用された。
 しかし、帝国の裁判と決定的に違うのは、裁判自体が一般に公開されることと、被告人一人一人に弁護士が付き、減刑嘆願や釈明を訴える機会が与えられることだった。
 また、裁判官の他に、一般市民の中から無作為に選ばれた陪審員がいて、判決に国民感情を反映させる役割を担うという。
 更に、その事件ごとに応じた有識者会が組織され、裁判官や陪審員へ専門知識が提供されることにより、より公正な判断材料となる。
 今回の事件では、恐らく、性病や感染症が専門の医療従事者や、心理学者、辺境星系の風土に詳しい学者などが召集される見込みだ。
 更に、被害者遺族として、ヘレーネや乳母のカルツ夫人、サビーネの治療に当った医師団なども証人として法廷に呼ばれるはずである。
 そして、最終的には、裁判官と陪審員とで話し合って出した判決を、司法尚書が承認し、更に皇帝の名で結審する。この最終的な部分も帝国流だった。
 万が一、冤罪を訴えたい場合や、量刑に納得がいかない場合は、司法尚書や皇帝に直訴することが控訴代わりになるというわけだ。
 皇帝と司法尚書のみが、独断で再審理を命じる権限を持ち、直訴を受け入れれば、裁判官と陪審員を総入れ替えして再審が行なわれる。
 これが、新王朝の司法省が構想する新たな裁判制度の骨子だった。
 ヘレーネは、サビーネをこんな目に遭わせた奴等が、即刻死刑にならないことに多少の不満を覚えたが、大学で法律も学んでいた彼女は、フェザーンの法や市民感情に照らし合わせても、彼らの犯した罪は、極刑に間違いないことを知っていたので、ここは我慢して受け入れることにした。
 フェルナーが、ヘレーネとベアトリスそれぞれに対して命令書を手渡すと、クールビューティーの異名のあるベアトリスの表情が、はにかんだ少女のように緩んだ。
 しかし、部屋を退出し、サビーネの診断結果を告げると、途端にその顔が引き攣り、硬く結ばれた唇を微かに震わせた。
「それで・・・・フロイラインの様子は?」
 ベアトリスは、低く呟くような声で訊くと、ヘレーネは、俯いて首を左右にゆっくりと振った。
「今投与できる最善の薬で、熱は下がるし、表面上の腫れや化膿も収まるらしいわ。少しだけなら会話も可能になるかもしれないって。でも、もう内臓や脳が、手の施しようがなくて、元々根本的な治療法が確立されていない病気だから・・・」
「そう・・・」
 二人はそれっきり言葉が続かず、どちらからともなくエレベータで2階下のフロアに下り立つと、この建物内では数少ない女性用の化粧室に入った。
「うっ・・うう・・」
 ヘレーネは、洗面台の脇に手を付き、嗚咽を漏らし始めた。
 サビーネとは、姉妹らしい交流など皆無で、こんなことになる前までは、彼女の事を妹だと思うことなどないと思ってきた。実際、あのまま旧王朝が続いていれば、自分とサビーネは、血は繋がっていても、一生別世界の人間として生きていただろう。
 しかし、今のヘレーネは、紛れもなく、たった一人の肉親を失おうとしている。
「しっかりして。あなたが、最期までフロイラインを看取ってあげて。できるだけ安らかに、ヴェルハラへ旅立てるように。私にできることなら、何でも協力するから」
 ベアトリスが、涙声でヘレーネの頭を抱きしめた。
 ヘレーネは、親友の胸の温かさに、素直に身を委ねた。
 二人は、そうして暫くの間、化粧室で、薄幸の少女の為に泣いていたのだった。

つづく

・・・・すみません。やっぱり終わりませんでした。
一旦ここで切り、次回6回目で本当に本当に終わりです。

コメント一覧

葵猫 (10/22 21:20) 編集・削除

お疲れ様です、お待ちしてました!
なるほど、これは難産だったでしょうね。
サビーネも哀れですが、わが娘同様に愛情をそそいできたカルツ夫人と、今度こそたった一人の血縁を失うヘレーネが哀しみはいかばかりか…
そして、幸福の絶頂な新婚旅行から帰ってきて、余命いくばくもない、変わり果てた姿の一番の仲良しさんと対面するエルフィーも。
TIEG-36型はHIVとは比較にならないほど恐ろしい病気ですね。
感染力や、発病から死亡に至る日数など、エボラよりは
マシなようですが。
長い戦争や閉鎖的な社会体制だった事も痛いですね。
平均寿命も延びてないようですし。
しかしラインハルトの反応は思ったとうりでした。
あれ以外ありえませんよね。
完結編、楽しみにお待ちしてます。

そういえば、ラ・ボエームはご覧になった事がおありですか。
椿姫が下敷きだそうですが、私はまだ観たことがありません。
今ラ・ボエームを下敷きにしたミュージカルRENTが上演中で今度観に行くのですが、現代のミミは結核ではなくHIVに罹ります。
やはりHIVが発見されてから、何かが決定的に変わったように思います、人類にとって。

ゆうやん (10/22 21:35) 編集・削除

まずはお疲れ様でした。毎回Jeriさんの丁寧で細かい設定には脱帽します。この設定考えるだけで、私書くこと放棄しそうです。
ヘレーネもやっといろいろと開放されつつあるか?と思ったのに今度は永遠の別れとは、いや、支えてくれるリンザー氏と友人がいてくれて本当によかったです。

しかしですね、事の性格上とはいえ今後ちょっと含むところのあるヒルダの下に着くんですね。それもまたヘビーだなと思ったり。なんかヒルダの顔を見るたびに運命の皮肉というかを否が応でも見せ付けられそうです。
うん。この女性関係が今後どうなっていくのかも興味出てきました。
展開的に完結編が来てから本編エルの訪問かしら?楽しみにお待ちしてます。

末尾ですがうちの先生使っていただいてありがとうございます。こんなこと考えて申し訳ないんですが、「病気の性質が性質だから、当分自粛かなぁ。新婚だけど。」とかけしからぬことを考えた私。どうぞ蹴ってやってくださいましww

bell (10/23 05:42) 編集・削除

うーーーん、サビーネよ……、旧王朝一族よ…(涙)。

こうして読むとホントに…
いかなる論説よりも物語の持つチカラという物を感じさせられるわ。そういう物語のチカラについてを、今後何を作ろうともキッチリ覚えていたいと、つくづく思いました。

じぇりさんの一次創作(マジ・バージョン)いつか読んでみたいです。

Jeri Eメール URL (10/23 16:43) 編集・削除

>葵猫さん
残念ながら「ラ・ボエーム」は、「フィガロの結婚」と並んで、まだ観てない定番演目の一つです。

>現代のミミは結核ではなくHIVに
やっぱりそういうアレンジになるんですね。
30年前なら白血病だったかも。
銀英世界の医学は矛盾だらけなんで、人が死ぬ理由を作るのにえらい苦労しますわw
1700年も未来で、宇宙戦艦を何万隻も作って、何千光年も旅できる世界なら、不老不死の技術でもおかしくないし。
また延びてしまいましたが、最後までよろしくお願いします。

>ゆうやんさん
間違いだらけのいい加減な設定なら、いっそ書かずにさらりと流した方がよいのかもとか今更思ってます。
ベルタ先生にご活躍いただきましてありがとうございます。
こう言っては何ですが、こういう目的と行動が一致しているキャラは、使いやすいです。
よしりんに一番解って頂きたいのはその点なんですけどね。

>bellさん
一次創作=オリジナルってジャンルですか?
うーーむ・・・腐れ二次ばかり書いてきた私に、そんな高度なこと要求しないで下さいw
あ、JUNE系とかもあるか

食うために軍人になった女達4(ハーレクインもどきスピンオフSS)

【50000ヒット記念企画】

 翌8月29日1900時、ヘレーネは、統帥本部ビルのロビーにいた。
 昨夜、コンラート・リンザーに全てを打ち明けた彼女は、その後、彼と話し合い、サビーネを専門医に診せた上で、軍属の家族として、9月17日発の民間船でフェザーンへ搬送する相談を明け方までした。
 その結果、まず、サビーネの現状をリンザーの上官のワーレン提督を通じて憲兵隊と皇帝に正直に報告し、現在、彼女が罹っている病気の研究が帝国内で最も進んでいて、フェザーンの病院とも連携できるジークリンデ皇后恩賜病院の感染症科での診察が可能になるよう要請することになった。
 当初、カルツ夫人から聞いたリヒテンラーデ一族の子供が処刑されたことを理由に、サビーネの存在を明かすことを躊躇っていたヘレーネに、リンザーは、いざとなったら、この身に替えても守ると言って説得した。
 また、ローエングラム王朝になってから、連座制が法的に廃止され、皇帝もそれに従う意向であることから、万が一にもサビーネを秘密裏に処刑したりしないだろうと言う。
「俺は、リヒテンラーデ一族の事はよく知らないし、皇帝陛下には一度しかお目見えしていないが、少なくとも今の陛下が何の力もない15、6歳の娘をわざわざ法を破ってまで処刑したがるとは思えないんだ。それに、俺は、俺を助けてくれたキルヒアイス提督と、今の上官のワーレン提督を信じている。だから、お前も俺を信じて欲しい」
 熱く語るリンザーに、ヘレーネは、じっとその目を見詰めながら頷いた。
「ええ、わかったわ。あなたが信じる人達を、私も信じます」
 こうして、ヘレーネは、サビーネの件をリンザーの助言に従って動くことに決めた。
 リンザーは、翌29日は、彼の司令部への初登庁日でもある為、さすがに出仕しないわけにいかなかったが、いっそ早い方がいいと考え、思い切ってワーレンに面会して、サビーネの事を話した。
 ワーレンは、少し驚いたものの、やはり彼が予想した通り、罪に問われることはないだろうと言うと、皇帝には今日中に謁見を申し込み嘆願することも約束してくれた。17日発の民間船のチケットも、事情が事情故、優先して取れるよう取り計らってくれるという。
 リンザーは、恐縮して敬礼すると、ワーレンは、「ただし、」と言って一瞬厳しい目を向けた。
 歴戦の勇者の威厳に、リンザーの背筋に緊張が走る。
「現在も、憲兵隊の一部署では、旧王朝の王位継承権上位保有者で、所在不明の者の行方を捜している。この件は、俺から憲兵総監にも報告させてもらう。令嬢には、身辺警護が付くことになるだろう」
 リンザーの表情が一瞬曇ると、ワーレンは、いつもの親しみ易い紳士の顔に戻って微笑した。
「安心しろ。これはむしろ、ご令嬢の安全の為だ。本人にその気が無くとも、担ぎ出そうとしそうな輩が、まだ完全にいなくなったとは言い切れんのでな」
 ワーレンの説明で、リンザーもやっと納得した。
「卿には、明日、そのシェリング准尉とやらと一緒に、寝台車で令嬢を搬送するよう命じる。時間や護衛の兵士の数は、追って連絡させる」
 リンザーは、その言葉に、何か言いかけたが、ワーレンは、義手でない方の手でそれを制した。
「ああ、わかっている。令嬢の警護には、憲兵隊の兵士ではなく、警察から私服の婦人警官あたりを派遣するよう要請するつもりだ。病院の担当医も、出来る限り女医にするよう言っておく。それでいいか?」
 リンザーは、ワーレンの意外に細やかな気遣いに感激しながら、再度敬礼して部屋を辞去した。
 リンザーは、早速、首尾をヘレーネの端末にメールで知らせると、後ほど詳細を直接話して決めることにした。
 ヘレーネは、いよいよ事態が動き出したことを実感すると、アンナとアレクサンドラにも、今まで隠していたことを打ち明けねばならないと思った。
 ベアトリスを入れて、退庁後に4人で会うことになったが、話の内容が内容だけに、アデナウアー家で夕食を摂りながらということにした。
 この日、4人の中で一番仕事が長引くことになったアレクサンドラを待つ為、彼女の勤務する統帥本部ビルのロビーに集合することになったのだが、19時過ぎになって「あと20分待ってて」というメールが入った。
 ヘレーネを含めた3人は、ロービーの端のソファーに腰掛けて、フェザーン移転に伴う業務のこと等、当たり障りのない話をしてアレクサンドラを待っていたが、ふいに入り口付近でざわめきが聴こえ、3人とも声のする方に目を向けた。
 現れたには、派手ではないが、いかにも高級そうな仕立てのいい薄いブルーのドレスを来た、クリーム色の髪の美少女だった。
 あまりに場違いな風情に、彼女が有名人でなければ、ビルを間違えて入ってきたと誰もが思ったことだろう。
 少女が受付に近づくと、係官は問い掛けられる前に立ち上がって敬礼し、近くの椅子を勧めた。間もなくして、専用エレベーターから佐官の制服を着た軍人が現れると、彼女を案内して2人はエレベーターに消えていった。
「コールラウシュ伯爵夫人じゃない? 何しに来たのかしら?」
 アンナが興味深げにエレベーターの方を覗き込んで言った。
「何って、ロイエンタール元帥のところに来たに決まってるでしょ? 旦那様の仕事が終わるのを待って、これからデートじゃない?」
 ベアトリスが、平凡な答えを言うと、アンナはふぅっと、溜息を吐いた。
「いい気なものね。勝ち組は。あのドレスだって、きっと、私達の月給分くらいするわよ。持ってるハンドバックも、多分、オーダー品よ」
 元は貴族相手に高級品の販売をしていた豪商の娘であるアンナが、目利きを発揮した。
 隣で黙って聞いていたヘレーネも、密かに同意せずにいられなかった。
 門閥貴族達が滅び、民衆の為の新政権が誕生したと言っても、彼らが完全に滅びたわけではなく、こうして一部は未だ政権の中枢で健在である。
 その粋たる例が、あの歳若い伯爵夫人と、マリーンドルフ父子であると言われている。
 特に、国務尚書という閣僚の筆頭に就いたマリーンドルフ伯爵に至っては、親の七光りならぬ娘の七光りだと密かに陰口を叩く人間も少なくなかった。
 確かに、建国の功臣に相応しい功績のある娘と違い、これまで中央政界で何の実績もなく、公職にすら就いていなかった人物がいきなり国務尚書となれば、いかに皇帝親政の体制とはいえ、それも致し方なしと言えた。
 ただ、幸いにも、マリーンドルフ伯は、その温和な人柄と人徳とで、職務を無難にこなしていたので、大きな不満に発展することはなかった。
「そうそう、今度、皇帝首席秘書官のフロイライン・マリーンドルフが、私達女性同期20人を招いて、フェザーン移転前にお食事会を開いたいんですって。それで、みんなの都合を聞いてまとめるよう言い付かったんだけど、どう?」
 大本営勤務のアンナが、思い出したように2人に訊いた。
 ヘレーネは、即座に、
「今、そんな暇ないわ。私は欠席にしておいて」
 と、素っ気無くと断った。
 これだから、門閥貴族のお姫さまは困る。早速、私達を家来扱いかと内心憤った。
「あら、彼女の知己を得ておいて損はないと思うわ。完全な軍人ではないとはいえ、なんてたって、大佐待遇のお方よ。准尉の私達からしたら、普通ならなかなか口も効けない雲の上の方じゃない。彼女が女性でありながら、佐官待遇になったことで、私達にも将来の先鞭がつけられたことになるわ。それに未来の皇后陛下かもしれないし。出世を考えるなら、仲良くしておいて絶対お得な相手よ。暇がなければ無理にでも作ればいいわ」
 屈託なく打算的な発言をするアンナに、ヘレーネとベアトリスは同時に苦笑した。
「それでも、私は、そこまでしてあの人に好かれたいとは思わないわ。それで出世できないなら、別にそれでもいい。第一、彼女が大佐待遇だからと言って、この男性社会の帝国で私達にも同じチャンスがあるなんて思うのは甘いわ」
「あら、ヘレーネは、フロイライン・マリーンドルフが嫌いなの? 私も話したのは、初めてだったけど、彼女感じのいい人よ。サーシャが言っていたけど、学生時代から、貴族令嬢なのに気さくで、平民や下級貴族の同級生にも分け隔てなく接してたって。ほら、サーシャ、学部は違うけど、同じ大学の出身だし」
 ヘレーネにとって、マリーンドルフ伯爵令嬢は、好き嫌い以前の問題だった。
 彼女は、根本的に門閥貴族という人種を信用していない。
 昔は、末端の平民として育った人間の本能的な不信感に因るものだったが、自分を見捨てた父親や婚約者の仕打ち以来、更に門閥貴族不信は根深いものとなっていた。
 勿論、頭では、貴族にも色々な人間がいるし、彼らにも彼らなりの気苦労もあることは承知している。実際、男爵家の養女として過した2年半あまりの日々も、決して楽しいことばかりではなかった。
 だが、理不尽な方法で肉親を次々と奪われたヘレーネにとって、自分達は絶対安全な場所に居ていくらでも正論を吐ける立場の人間に、心を許すことはできなかった。
 そして、誰よりも、そういう安全圏にいる貴族を否定し、自ら先頭に立って戦うことで平民兵士たちの支持を得てきたはずのラインハルト・フォン・ローエングラムが、いかに智謀に優れていようと、門閥貴族の女性を、側近として重用しているのを知って、彼も所詮男なのだなと思った。建前では、貴族を否定しながらも、本音では美しいお姫様を求める。それはきっと、あのお人形のような伯爵夫人を妻にしたロイエンタール元帥とて同じなのだろう。
 ヘレーネは、そう思いながらも、特に自分と同年代のヒルダに対しては、嫉妬心もあって偏見で見ていることも充分に自覚している。
 少し前に、民営放送のソリビジョンをつけていて、偶々見たマリーンドルフ国務尚書のインタビュー映像で、娘のことに話が及んだ時、彼の娘への愛情を垣間見て以来、自分の実の父と比して、尚更その思いを強くしていた。
 インタビュー自体は、そろそろお年頃でもある令嬢の結婚についてどう思うかという、少々ゴシップ的な他愛のないものだったが、それに対して伯爵が、娘の意思を尊重し、特に年齢には拘っていないし、本人が望むなら、独身のままで仕事を続けても構わないとさえ言い切った。
 温和な口調で、良識的なことを言っているが、これは名門の帝国貴族の当主としては、革命的とも言える発言だった。
 ヘレーネが知る限りでは、自分がそうであったように、門閥貴族にとって、娘など政略の手駒に過ぎず、当人の意思など無視されるのが当たり前だ。
 伯爵の言葉に、インタビュアーも視聴者の殆ども賞賛を惜しまなかったであろうし、実際そのような主旨で作られた番組だったが、ヘレーネは、何ともいい様のない、怒りにも似た気持ちが胸の底から湧き上がった。
『世の中には、こんな幸せな女性もいるのか』
 創造主とは、何と不公平で残酷なのだろう。
 この帝国で、生まれながらに何不自由のない暮らしができるだけでなく、あくまでも彼女の意思を尊重してくれる優しく立派な父親を持ち、美貌と才知に恵まれた女性。おまけに、このご時世にも関わらず、家門も財産も安堵され、何一つ失っていない。勿論、門閥貴族故、ヘレーネのように、近しい身内の戦死という悲劇とも無縁だろう。
 フロイライン・マリーンドルフという女性個人は、きっと、性格も気質も申し分のない人物なのだと思う。だが、彼女が現在のところ、皇帝のお妃候補ナンバー1であるとの報道を見聞きする度、ヘレーネは、国家権力によって遺体も戻らぬまま葬儀を執り行った従兄弟達や、門閥貴族に人生を翻弄された母のことを思い出さずにはいられなかった。それは、この帝国の平民の殆どが多かれ少なかれ経験している痛みでもある。
 そして、皇妃ヒルダ待望論を聞く度に、いつもこう思うのだ。
 
 この痛みを知らない女性が、また、我々帝国人女性100億人の頂点に立つのか、と。
 無論、ヒルダとて、自分で選んで門閥貴族に生まれてきたわけではないことは、解っているし、同じリスクを背負っていない人間には従えないというのも、間違っているとも思っている。しかし、ヘレーネの思いは、いみじくも、自ら前線に出て、敵の砲火に身を晒しながら戦功を立ててきたラインハルトを多くの一般兵士達が支持する心境と通じるものがあった。
 だいたい、フロイライン・マリーンドルフという人は、何の不満があって、わざわざ自分が特権を享受していた世界を壊す側に廻ったのだろう?
 非主流とはいえ、門閥貴族の彼女は、自分達平民のように、権門や国家による理不尽など経験していないはずである。
 今や対極の立場にいるサビーネの無残な姿を思うと、その動機不明な行動も、ヘレーネがヒルダに心酔できない理由の一つだった。
「あの人のことが、好きとか嫌いとかじゃないのよ。私は権勢を振るっている門閥貴族が嫌いなだけ。彼女は、所詮特別なのよ。身分制度が事実上崩壊したと言っても、私は必ずしもそうは思わないわ。だいたい、彼女の才知が、最初に当時のローエングラム候のお目に留まったのだって、彼女が伯爵令嬢だったからじゃない? もし、私達が『お味方します』と言って元帥府を訪ねたって、門前払いだったわ。いくら智謀に長けていても、まず、それを、決定権を持つ人間に見せられる場所まで辿り着かないことには始まらないでしょう? 彼女と我々とは、スタート地点からして違うのよ」
「まあ、確かにね。彼女は私達みたいに、面倒な採用試験なんて受けていないんだし・・・」
 ヒルダ擁護だったアンナが、論破された形で意気消沈すると、ベアトリスの冷静な声が割って入った。
「私は、2人とは少し違う見方をしているの。私は、むしろ、今のフロイライン・マリーンドルフの地位は、低すぎるくらいだと思っているわ。だって、考えてもみて。彼女のハイネセン奇襲作戦がなければ、ローエングラム王朝そのものが存在しなかった可能性が高いのよ。彼女の功績は、軍の階級で言えば、3元帥にも匹敵すると言っていいわ。それなのに、彼女は、元帥どころか、将官待遇にもなれず、大佐待遇で、首席とはいえ秘書官のままだわ。軍で元帥にしろとは言わないけど、文官なら尚書クラスの待遇が然るべきと思うわ。これは、つまり、女は所詮、男と同じかそれ以上の働きをしても、男と同じ基準での出世はできないという証明ではないかしら?」
 目から鱗とはこのことだと、ヘレーネとアンナは思った。
 ヒルダに対する反発心とは別として、出世の男女間格差という点では、確かにベアトリスの言う通りかもしれない。
 神々の黄昏作戦以降に従軍した他の軍首脳は、皇帝即位後、皆上級大将以上に昇進しているにも関わらず、彼らに劣らないどころか、功績第一と言って過言でないヒルダが、大佐待遇で、各艦隊の副官クラスの階級というのは、どう考えてもおかしい。
「フロイラインのお歳で、尚書というのはあまりにも飛躍しているから、代わりに父親のマリーンドルフ伯を・・・ということになったんじゃない?」
 アンナがこじつけのような意見を言ってから、すぐさま自分で「違うか・・・」っと、笑った。
 23歳の下級貴族出身の青年が皇帝に即位した王朝である。22歳の尚書が生まれても、何の不都合もないはずである。あるとすれば、やはり女性だという点に尽きるだろう。500年近く、女性閣僚も女性提督も存在しなかった帝国に於いては、女が男の中で働くということは、まだまだたくさんの壁があるのだろう。
「でも、大佐待遇ということは、彼女、私達の10倍は給料貰ってるわよ。父親は国務尚書で、家門も財産も残ってるのに、その上まだ稼ぎたいのかしらね」
 ヘレーネは、やっかみと自覚しつつ、ぼやいてみせた。
 自分も他の3人も、皆家族を養い、自分自身が食べて行くために働いている。そんな自分達からしたら、ヒルダのさぞ優雅であろう生活が、どうしても癪に障る。
「もう、このくらいにしておきましょう。こんなところで、話す話じゃないわ。誰に聴かれているかもわからないでしょ?」
 ベアトリスが、周囲を見渡しながら小声で促した。
 年齢は若くても、一番大人なベアトリスの発言に、他の2人も素直に頷く。
 ローエングラム政権になって以来、不敬罪を除いて言論の自由が認められたとはいえ、まだまだ軍や体制に対する批判ともとれる発言には、憲兵隊が目を光らせている。どこに盗聴器が仕掛けられているとも限らない。
「それもそうね。軽率だったわ。まあ、私達、こうして仕事があって給料が貰えるだけ、幸運な方よね。それさえ叶わない人達が、まだ大勢いることを思えば」
 アンナの前向きさに、ヘレーネもすぐに同意した。
 その時、再びざわめきが起こり、周囲の軍人たちが一斉にその場で敬礼をした。
 ヘレーネ達3人も、対象が判らないまま条件反射で立ち上がって敬礼をしたが、すぐにそれが、専用エレベーターから降りて来た元帥に向けられたものであることが判った。
 ついこの前まで、電子週刊誌の常連であった美丈夫が、まだ幼さの残る妻と腕を組んでビルの正面出口へと歩いていく。
 ヘレーネは、つんと取り澄ました伯爵夫人に、時折視線を向ける帝国軍一の漁色家の姿を少し意外な気持ちで見ていた。
 彼女の直感では、元帥の方が、随分と妻にご執心に見えたのだ。
 そう言えば、この前、サビーネを訪れた時、カルツ夫人から、彼女とサビーネは、貴族女学院の同級生で仲が良く、内戦前はよく互いの邸を行き来していたと聞いていた。
 コールラウシュ伯爵家は、宰相だったリヒテンラーデ公の急死後、当時のローエングラム候に忠誠を誓約したか否かで明暗を分けた一族の中で、上手く立ち回って粛清を免れた家の一つだった。ただし、その後、門閥貴族派残党による爆弾テロで、令嬢一人を残して一家は全滅した。唯一生き残った令嬢も、他家の庇護下で、流刑になった一族の赦免に奔走していたが、最終的にロイエンタール元帥との政略結婚で、その望みを果たした。
 カルツ夫人も、オーディンに戻った当時、貴族としての資産を安堵されている彼女に助けを請おうか迷ったそうだが、結局、当人よりも周囲の大人達の思惑を把握できず、危険と判断して思い留まったそうだ。
 しかし、そんなことに何時までも注意を払っている間もなく、すぐ後のエレベーターからベルゲングリューン大将等と共に、アレクサンドラ・シェスターの姿が現れた。


 無人タクシーに相乗りし、午後8時ジャストにアデナウアー家に着いた4人は、そのままベアトリスの母が用意してくれた夕食で、食卓を囲った。
 席に着くや、ヘレーネは早速、本題を切り出した。
 まず、自分の父親がリッテンハイム候であることを告げると、ベアトリス以外の2人は、暫し絶句して驚いた。
 しかし、すぐに、アレクサンドラが、
「そんなこと、隠すことなかったのに。私は、誰が父親でも、あなたを友人と思う気持ちに変わりはないわ」
 と言うと、アンナもすかさず、
「私だってそうよ。外で話せない重大な話があるって言うから、何かと思ったら・・・」
 と、小さく笑って同意した。
 それに対してヘレーネは感謝の意を示しつつ冷静に言い放った。
「私も、リッテンハイム候のことを父親だなんて思ったことはないけど、国内の世論ってものがあるでしょう。それに、リップシュタット戦役で戦った兵士や、候に砲撃されて亡くなった味方の補給部隊にいた兵士達に近しい人達だって、帝国内には大勢いるはずよ。私は今のところ、自分から軍を辞めるつもりはないけど、そういう人達に配慮して、今後、退役を余儀なくされる可能性もあると思うの。もし、残れたとしても、昇進や配属で、何らかのハンデを負うかもしれない。そうなった時、私と親しいことで、あなた方まで何か不利益を被ることがあって欲しくないの。だから、その時は、遠慮なく私と距離を置いて頂戴」
「見損なわないで!」
 ヘレーネが、皆まで言い終えないうちに、アレクサンドラとアンナは同時に持っていたスプーンを置いて叫んだ。
「そんな狭量な帝国軍なら、こっちからお断りだわ。それに、私の上司だって、そんなことに拘る人じゃない」
 無人タクシーの中で、今日初めてベルゲングリューン大将と話すことができたと言って喜んでいたアレクサンドラが、猛然と反論する。
「サーシャの言う通りだわ。私も、そんな職場なら未練はないの」
 意気込むアンナに、ヘレーネは尚も冷静だった。
「今はそう思ってくれるかもしれないけど、現実問題として、私達は全員自分や家族の生活の為に働いているのでしょう? 収入が無くなっても困らないフロイライン・マリーンドルフあたりとは訳が違うわ。気持ちは嬉しいけど、奇麗事だけじゃ済まないことだってあると思うの」
「じゃあ、もし、退役することになったら、フェザーンの企業にでも就職するわ。幸い、昔の商売の伝があるの。案外そっちの方が給料いいかも。ただ、カッコイイ制服がある会社となると限られるなぁ・・・」
 さらっと言ってのけたアンナに、さすがにヘレーネも目を丸くして押し黙ってしまった。
「あ、それ、私も乗せて。こう見えてもフェザーンの商法にも詳しいのよ。同盟標準語だって、ビジネス会話可能よ」
 アレクサンドラまでが、そう言い出すと、ベアトリスが、堪えきれずに笑いを漏らした。
「どうやら、ヘレーネの方が、頭が固かったみたいね。私達は、帝国で最高レベルの教育を受けた数少ない若者達なのよ。仕事なんて、その気になればいくらでもあるわ。何も軍にそれ程拘る必要なんてないじゃない? それは、一生懸命やった採用試験の勉強が無駄になるのはちょっと残念だけど、長い人生で考えれば、大した時間じゃないわ」
 ヘレーネは、今度こそ開眼する思いだった。
 自分は、安定した軍隊に就職できたことが嬉しくて、いつの間にか、視野が狭くなってしまっていたようだ。そう言えば、リンザーにも、昨夜「ビアホールの女房でもいいか」と訊かれて、頷いたばかりではないか。
「・・・そうね。私が間違っていたわ。ありがとう・・・みんな・・・」
 薄っすらと涙を浮かべたヘレーネを、他の3人が気遣い、あらためて4人の変わらない友情に、白ワインで乾杯した。


 食事を終え、コーヒーを飲みながら、ヘレーネは、引き取っているサビーネの身に起こった2年前の出来事を語り、彼女の現在の状況を説明した。
 アンナとアレクサンドラは、今度こそ言葉を失った。
 大まかな話は以前聞いて知っていたベアトリスも、初めて訊く生々しい惨劇に、一瞬身を震わせて目を伏せた。
 全てを話し終えたヘレーネに、タイミングよく、リンザーから携帯端末に連絡が入った。
 リンザーは、まず、サビーネに関しては、本人も含めて誰も処罰対象にはならないことをワーレンを通じて皇帝から直々のお墨付きがあったので、安心するようにと伝えた。
 その言葉にヘレーネが、ほっと安堵の息を漏らすと、明日、彼女を早速、ジークリンデ皇后恩賜病院へ搬送する手配が整ったこと、サビーネの件は、第一級の機密事項として扱い、この件を知る人間を最小限に留める為、当初の予定を変更して、自分とヘレーネを含めたそこにいる4名とで隠密裏に行なうことなどを告げた。
『よかった・・・。これでやっとサビーネは、助かるわ』
 ヘレーネは、ふっと緊張感が解けて脱力しそうになる。
 現在、サビーネを知る軍関係者は、リンザーとヘレーネ達4人の他には、直接報告を受けたワーレンと皇帝、憲兵総監のケスラー上級大将と、皇帝首席秘書官のマリーンドルフ伯爵令嬢、軍務尚書と統帥本部総長の両元帥に留めているとのことだった。
 受け入れ先の病院関係者にも、まだ患者の身元は伏せているとの話だった。
 間もなく、4人の端末の業務用アドレスには、それぞれの上司の名で明日、現場直行で特殊任務を遂行するよう命令書が届くはずである。
 リンザーとの会話を切ると、ヘレーネは、早速3人の友人に、明日の段取りを説明した。
「こんなに早く4人で共同任務に就けるとは思わなかったわ」
 アンナの弾んだ声に、一同は思わず微笑んだ。

つづく

******************************
4回で終わるつもりが、やっぱり終わらなかったですw
次回、5回で一旦このスピンオフは終了です。
ただし、今回拵えた4人のお嬢さん方と、捏造したリンザー大佐は、引き続き本編で脇役として登場予定です。
何とか頑張って、次の10万ヒット記念で「エリザベート編」をやりたいと思ってます。

コメント一覧

べる URL (10/11 09:19) 編集・削除

おお、連投!
なるほど、ハーレクインでさえも実は本編の外伝のような物なのですね…。

こりゃー、凄い世界観だわ…。
女子がリアルでいいわぁ。

葵猫 (10/11 09:19) 編集・削除

おはようございます&お疲れ様です!
ヘレーネはヒルダに嫉妬(無理もないのかもしれませんが)していますが、人間関係は彼女の方が恵まれているんじゃないかと思います。
心を許せる友が四人もいて、カイザーや金銀妖瞳の元帥より、はるかに人として成熟していて頼りになる婚約者がいるわけですから。
ヒルダには同年代で何でも話せる友達なんていない感じですし、カイザーに対しては、自分の方が年長者のようにふるまわなければならない事もおおいですから。
伴侶候補として考えると、前記2人がいくら美形で地位が高くても、リンザー大佐の方がはるか好ましく感じますね。
派手な業種じゃないけど堅実にお金持ちな実家、というのも好条件な感じですし。
続き、たのしみにお待ちしてます。

Jeri Eメール URL (10/11 15:18) 編集・削除

>べるさん
>こりゃー、凄い世界観だわ…。

ええ。まるっきり、1700年程前の地球に栄えた、男女雇用機会均等法施行前後の某国ですねw
自分で書いてて解ってるの。
銀英を読んでると、人間の想像力の逞しさと限界というものをひしひしと感じます。
よしりんとしては、一生懸命「有能であれば性別に関係なく地位を与えるラインハルト」を書いてますが、どう考えてもヒルダがバイエルラインより下、トゥルナイゼンと同格(中将待遇)ってのはその功績に比しておかしいです。艦隊司令官ではないというなら、オベさんもそうだし、一兵も指揮したことがないというなら、文官の最高位である尚書の地位に就けたってよかったはず。
「女は男のアシスタント。だから役職は秘書」という80年代当時の価値観から抜け出せなかったかとつくづく思う。
だから二次創作で、「ラインハルトは、ヒルダたんを傍に置きたかったんだよ」という妄想も生まれるわけw
その点、今から考えれば、同年代のガンダム、イデオンの女達は凄かった。
よしりんと富野との根本的な女性観の違いなのかもしれないとか考えちゃう。

>葵猫さん
はっきり言っちゃうと、生まれながらのお姫さまの心理なんて、パンピーな私にはわからないので、ヒルダやエルフィーよりも、ヘレーネの方がずっと書き易いです。
ヘレーネのヒルダに対する感情は、まんま自分がそのままあの世界に生きていたらと想定した時の思いですね。
ヒルダは、作中主要キャラで、唯一と言っていい程「無傷」な人です。徴兵され、否応無く危険な最前線に送られて肉親が次々と死んでいく経験をしている平民からすれば、当人がどれほど有能で、どれほど人格的にも優れていようと、素直に心を開けないのは普通なのではと思って書いてみました。

>人間関係は彼女の方が恵まれているんじゃないかと
はい。そう思って頂けるように書きました。
というより、ヒルダと違い、精神的にも物理的にも頼れる肉親がいないヘレーネにしてみれば、必然的に他人の中で信頼に足る人間を見極めるしかないわけで・・・
そういう経験の中で、同性、異性共に人を見る目を養いながら生きてきたという設定にしました。

>伴侶候補として考えると、前記2人がいくら美形で地位が高くても、リンザー大佐の方がはるか好ましく感じますね。
コンラート・リンザー株急上昇で、捏造者としては、嬉しい限りですw
私、結果的にライやロイを選んでしまったヒルダとエルフィーって、ウォーカー(渡り歩き)しないだけで、要するにシスコンやマザコン男に惚れてしまった「ダメんず好き」な女なのだと思ってますw

べる URL (10/11 17:42) 編集・削除

いやいや、私はジェリさんの中の世界の広がりに付いて、驚いて褒めたんですっw。
でも、お返事に乗っかって答えると、
ホントによしりんの女性観には弁護不可能なものがあって……orz。

ホワイトベース関係の女性達は強かったし、ジオン軍の女達だって、強烈に強かった…。士官学校に女もいたしね(今出てる漫画の中の事だけど)。
銀英だと同盟軍でさえあの程度の扱いだしなあ…。
せめて同盟軍の女性の扱いがサイドセブン並だったら、「帝国軍の男尊女卑は、物語を生かす為の設定なのよ!」って言えるのにねぇ。無理だわw
よしりんは強烈なメイルボンドの中で生きていて、だからこそジェリさんの提示する世界観が私たち若い時代のの生き辛さを代弁している様で、グッと来るんだわ、きっと。


追記:
あの、いまファーストガンダムの漫画本が続々刊行中だけど、シャアとガルマの士官学校時代って、いい萌えネタだわあれ。シャアの士官学校時代ってだけで萌えなのに。

葵猫 (10/11 18:46) 編集・削除

銀英伝世界の男女の不平等は私も昔から感じてました。
前王朝時代も帝国だけならともかく、同盟側にも女性の提督なんて1人もいませんでしたしね。
ヒルダの働きにしても、四人目の(即位後生存しているという意味です)元帥が妥当で、文官なら尚書クラスが相応しいと思います。
ただ、これはロイ曰く「カイザーも完璧ではない」つまり「フロイラインは予の傍に居て貰わねば困る(解釈は分かれる所ですが)」が原因だと、これも昔から思ってました。
ガンダムの話題が出ましたが、最近のシリーズは原作者の名前だけで富野氏はノータッチですが、それでも確実に彼の作った世界観はある程度ですが受け継がれてますね。
特に女性に関してはそう思えます。
最新作が映画にもなったOOは敵味方共に司令官が女性でした。
私は主人公の敵方のアラサーの指揮官カティ・マネキン
がお気に入りでした。
一見冷たいインテリですが、案外柔らかい所もあって、年下の手のかかる部下に一目ぼれされ、最終回では結婚します。
手のかかる、はっきりいってお馬鹿な所もある男ですが、ダメンずではないんですね。
自分のお馬鹿な所もわかってて、自分より頭の良い彼女が必要な女性と認識、いざとなれば彼女の盾に(それで死にかけました)なり、良き夫でありたいと思い、カティも彼を彼女なりに大切にする。
田中ワールドではあり得ない関係ですね。
ライヒルやヤン、フレデリカの様な関係は勿論ありだと思いますが、もっと多様な関係性が描かれていたら面白かったと思いますね。

Jeri Eメール URL (10/11 21:30) 編集・削除

>べるさん
そんなに褒めると、木に登っちゃいますってw
よしりんは、以前、富野氏と対談したことがあるのに、なんで、舞台化のインタビューで「銀英伝でもっと女性キャラを増やせば自分は先駆者だった」とかのたまうのか、理解不能です。
あの女性観で何百人増やしても、作品の質を落すだけで、先駆者でも何でもないはずなんですがw
ガンダムの女性キャラは、皆その立場に応じて、言動にそれなりの整合性があり、それが共感に繋がるんですが、銀英の女キャラは、ものすごく恣意的な解釈を加えないと、訳の解らん奴ばっかですわ。

>シャア&ガルマ
知らなかったですか?
私の知る限りの記録では、この2人こそが、世に言う801、BLの元祖で、30年前、2人の士官学校時代を描いた同人誌が当時のガンダムヲタ(オタクという言葉も無い時代でしたが)の間で大ブレイクしたことが、そもそも同人誌での男同士の恋愛の走りでした。
まあ、同時代ものとしては、ヤマトとか他のサンライズ系アニメでもありましたが、シャアとガルマ程の人気にはなってません。
この時に活躍した同人作家さんが、その後かなりプロになっています。
私にとっても、このカップリング(という言葉も当時はなかったんですが)は、永遠の萌えスポットです。

>葵猫さん
>フロイラインは予の傍に居て貰わねば困る
本来なら、副社長か専務に就任してもおかしくないほど会社に貢献した人物を社長が「自分の傍に置きたいから」との理由で、秘書室長留まりにしていたら、開明的でもなんでもなく、ただのワンマン社長ですよね。
問題なのは、それに対して、ヒルダが一切不満らしきものを見せず従っていることです。
それが、ラインハルトに対して強い恋愛感情でもあることになっていて、「私は地位や階級なんてどうでもいい。ラインハルト様のお傍に居られれば幸せなの」とでも言ってくれれば、かえって納得できるんですが、作中では逆にそういった感情を否定するような文章ばかりで、ヒルダは、開明的で、進歩的な帝国では働く女性の先駆け的存在として描かれています。
結果だけを見れば、ヒルダは実に古風な、決して男に逆らわない、従順な女性ですよ。
そして、結果として、彼女が建国の功臣に相応しい地位(ラインハルトの政務上の後継者)を得られたのは、結局のところ、ラインハルトとの結婚と、跡継ぎを出産したことにより得られたものです。
この「世継ぎの母となって初めて実力と実績に相応しい地位を得られた」というのは、明らかに時代に逆行するシチュです。
笑えるのは、よしりんが、そのことに全く気づいている様子がなく、あくまでも、ヒルダのことを、進歩的な女性だと思って描いていた点です。
このあたりの「わかってなさ」が、先のインタビューの「人数を増やせば」的な発言にもつながってる気がします。
ガンダムは、ファーストとZの途中までしか見ていないんで、00についてはよくわからないのですが、少なくともガンダムワールドは、田中ワールドより女性が生き易そうです。
因みに私は、ファーストガンダムのキシリア閣下と、イデオンのハルル・アジバ様が好きです。

Jeri Eメール URL (10/11 21:48) 編集・削除

>くろねこ様
はじめまして。ご訪問ありがとうございます。

>政治・戦略の見識が深くても、それだけでは提督業は無理でしょう

ちょっと勘違いされてるようですが、軍人=提督ではありませんよ。
オーベルシュタインもシュトライトも艦隊司令官ではありません。
ヒルダも中将“待遇”であって、正式な軍人の中将ではありません。
彼女の貢献度は、元帥“級”であると言っているだけで、「元帥に叙すべき」とは言ってません。
私が言いたいのは、それまで無位無官だった(ように思える)マリーンドルフ伯や、あの時点では未知数なシルヴァーベルヒをいきなり尚書に抜擢するという大英断をしておきながら、なぜヒルダに対してだけ、それができなかったのか?と考えた時、やはり作者の中に、女性を仕事場に於いて男性と同等に扱うことへの無意識な抵抗や、当時の社会風潮(女は男のアシスタント)から脱却できない固定観念があったのではと思ったのです。

>私のイメージと結構違う。
解釈は、十人十色ですから。

>恋愛に関しては、中学生レベルだと思います。でも好きだの愛してるだの、絶対言わなそう。
私もそう思いますし、ハーレクインでも今のところ、一応最期まで好きだの愛してるのという言葉を直接言わせる気はありません。
ただ、いつまでも中学生のお子ちゃまのままでは、彼自身真の幸せは掴めないだろうと思い、何とか人間的に成長する姿を描こうと無謀にもチャレンジしてるんです。

>女にロイを救えるかといえば、否かと。
私は「女(ママの代わり)によって救われるロイ」というテーマで二次を書こうと思って書いたので、そこを言われてもどうにもなりません。

ご期待に添えなくて、申し訳ありません。

あすか (10/12 01:08) 編集・削除

 初めてコメントさせて頂きます。いつも御見事な話を楽しませて頂いてます。
 今回のお話はサビーネと帝国の新しい女性達を描くと言う視点が素晴らしいと思いました。
 サビーネは何も末路が語られませんでしたが、おそらく作者の価値観が影響して居る様な気がします。よしりんの中国物の小説で魏晋南北朝時代の梁の武帝が即位した時、前王朝の皇族を8人「しか」(数は正確に覚えていないのですが……)殺さなかったから民衆は新しい天子様は寛容なお方だと噂したとか書いてありました。三国時代の廃帝は皆、天寿を全うしたけれども、五胡十六国時代や南北朝時代は皇族は皆殺しが当たり前だったと書いてました。なんだかな、よしりんはゴールデンバウム家の末路をもう少しフォローしても良い様なきがするのにと思っていたので、jeri様の丁寧な描写には感心するばかりです。
 しかし、異論を挟ませて頂きたい点があります。jeri様はヒルダは前の王朝でも特権階級だからラインハルトに味方する理由はないのではないかと書かれておられると思います。私には異論があって、歴史上の革命家の出自を見た時、特権階級の出身者が多いという事を主張させて頂きたいと思います。
 例えば、ソ連のレーニンは貴族の出身です。レーニンの父親がロシア皇帝から貴族の称号を貰っています。実家は荘園まで持っていたのです。レーニンも何不自由ない少年時代を送っています。それなのに、同じく不自由レーニンの兄など皇帝アレクサンドル3世を企てて死刑になっています。レーニンは兄の仇を取る為に革命を志したとも言われていますが、その後も大学に通ってエリート教育を受けています。
 次に、キューバのカストロです。カストロは富裕な農場主の息子です。庶子ではあったのですが、食うに困ってはいません。現に大学まで出て弁護士になっています。
 また、アメリカ初代大統領のワシントンは大農場主でしたし、フランス革命でも貴族出身のラ・ファイエットやミラボーが指導者として活躍しています。また、毛沢東も富農の出身ですし、周恩来は地主の出です。
 つまり、革命の指導者はその前の体制でも、エリートなのです。貧乏人と違い、エリートは高度な教育を受ける機会があり、反骨精神や社会を見る目があれば社会の矛盾に気付く事が出来ます。そして、生活にゆとりがあるから人民を従わせるような理屈を考える事が出来ます。
 何が言いたいかと言うと、革命家を志す人間が体制の理不尽を直接に体験している必要はないのではないか、という事です。
 ヒルダだって同様で、まず大貴族だから高度な教育を受ける道が開かれている。そして、学んでいくうちにゴールデンバウム王朝に違和感を覚える。大貴族であり、かつエリートである自分と、一般の平民との格差に納得できないものを抱えている。そして、ある日、ふと目にした何かをきっかけに、ゴールデンバウム朝は倒されなければならないと考えたとしても別に違和感はないと思います。レーニンの兄が、貴族でかつエリートでしかも秀才あり、順風満帆の生涯が待っている筈なのに、ロシア皇帝の暗殺を企み、処刑された様に。
 長々と幼稚な理論を並べてすいません。私は平成生まれで今は大学生なので、社会の経験が不足しています。
 とにかく、jeriさんの素晴らしい作品を楽しみにしている読者が居る事を覚えていて下されば幸いです。

Jeri Eメール URL (10/15 21:59) 編集・削除

>あすか様
はじめまして。ご訪問ありがとうございます。
レス遅くなって申し訳ありません。

>ヒルダは前の王朝でも特権階級だからラインハルトに味方する理由は
>ないのではないかと書かれておられると思います。私には異論があって、
>歴史上の革命家の出自を見た時、特権階級の出身者が多いという事を主
>張させて頂きたいと思います。

誤解のないよう申しますが、私もヒルダは、高い教育を受けた女性だからこそ、改革派であるラインハルト陣営に積極的についたのであって、もし彼女が文盲だったり、小学校しか出ていないような女だったら、そもそも革命思想など持ちようがなかったと思ってますよ。
昔の東大の安田講堂占拠事件などでもわかるように、古今東西、反体制的な思想というのは、えてしてインテリ層から生まれるものであり、そういった人達は、だいたい経済的に恵まれた環境で育った人が殆どであることも承知しております。
あすかさんが例を挙げたカストロもワシントンもミラボーもこの例に当て嵌まるでしょう。
ですが、ヒルダの場合、というか、銀英世界の場合、これらとは決定的に違う条件が存在します。
まず、あの世界は、独裁的な世襲王朝が500年近くも続いていて(この設定自体に無理があると思うのですが、それを言ったら話が始まらないので、これを前提としてしか議論できません)、思想的理由で同盟に亡命するような人間を除けば、国民は皆、ゴールデンバウム王朝が存在するのは承前であり、改革派とか開明派という人達も、あくまでも現体制下での改革の必要性を感じているだけで、GB王朝そのものを無くしての王朝交代とか共和制移行という概念は生まれていないということになっています。
外伝で、キルヒアイスとラインハルトの小学校時代の同級生の大学生が、思想犯として逮捕され、獄中死するというエピソードがありましたが、インテリ層の中に、体制への不満や疑問を持つ人間は確かに存在したようですが、殆どが社会秩序維持局などが秘密裏に処理していて、あまり表面化していなかったようです。
だから、銀英世界が、フランス革命直前時や、日本の安保闘争時代のように、インテリ層の中で生まれた革命思想が、ある程度社会現象的なものにまで育っていれば、ヒルダもそうした革新的な思想に染まった大学生の一人だったという理屈も頷けするのです。
しかし、ラインハルト台頭以前の帝国には、そういった風潮はありません。
銀英伝の作中設定では、GB王朝滅亡すべしの考えに、自力で到達した人間は、4人のみということになっています。(200億人も人間がいてたった4人というのも突っ込みたいところですが)その4名とは、ラインハルト、キルヒアイス、フリードリッヒ4世と、そしてヒルダです。
作中では最高の名将であり知将であることになっているロイエンタールでさえ、ラインハルトに出会い、その考えに接するまでは、GB王朝打倒など思いもつかなかったと言っているくらいです。
つまり、銀英世界のあの時点では、GB王朝滅亡は、それくらい突飛で誰もが考えもつかないほど飛躍した思想だったのです。
そこが、易姓革命の思想があり、「王朝の交代も場合に因っては有り得る」というのが染み付いたAD地球時代の中国人との大きな違いですね。

>大貴族だから高度な教育を受ける道が開かれている。そして、学んでいく
>うちにゴールデンバウム王朝に違和感を覚える。大貴族であり、かつエリ
>ートである自分と、一般の平民との格差に納得できないものを抱えている。

私もそう思いますし、それしかないと思ってます。
しかし、私が違和感を覚えるのは、前述したように、物語世界の中で、王朝打倒という思想が、ちょっとやそっとでは生まれないくらい、上は貴族から下は農奴まで、臣民意識が帝国中に浸透しているという背景があります。
まず、現体制の矛盾や違和感を感じたとしても、それが即王朝打倒となるとは限りません。
良識的なインテリなら、革命の前に、とりあえず現体制を維持した上での改革を考えるはずです。
そして、革命(王朝打倒)と改革(現体制維持)の間には、天と地ほどの差があります。
頭が良く、性格もいい伯爵令嬢のヒルダが、GB王朝の矛盾や理不尽に目覚めたとしても何ら不思議はありませんが、なぜ彼女が、改革を通り越していきなり革命思想に行ってしまったのか、彼女のバックグラウンドを考えると非常に不自然です。
そして、GB王朝滅ぶべしの思想に自力到達した他の3人には、そう考えるに至った納得できる動機が書かれています。
ライ&キルに関しては、言わずと知れた「アンネローゼ奪還」であり、フリードリッヒ4世に関しては、はっきりとは述べられていないものの、若い頃兄と弟が皇位継承をめぐって骨肉の争いをしたという記述で、それを匂わせています。
恐らく、本来一番能力も人望もなく期待されていなかった自分が、兄弟同士が争って共倒れしたことによってタナボタ式に皇位についたことで、皇帝も貴族も大した人間ではないことを実体験で理解していたのだろうという推理が成り立つのです。
ところが、フリードリッヒ4世よりもはるかに重要なキャラであるヒルダに関しては、その「匂わせる」ものさえ全く書かれていません。

>そして、ある日、ふと目にした何かをきっかけに、ゴールデンバウム朝は
>倒されなければならないと考えたとしても別に違和感はないと思います。

まさにその「ふと目にした何か」について全く触れられていないことを私は物語構成上、問題視したいのです。
帝国でたった4人しか自力到達できなかった「GB王朝滅ぶべし」の思想にヒルダが到達した理由が、単に、「大学で高等教育を受けた人だから」で片付けてしまうには、あまりにも無理があり過ぎます。
そして、私はそこに、女性の内面を一行でも描くより、ひたすら賢くて智謀に優れているという男(ラインハルト)にとって都合のいい面を描こうとする作者の女性描写の姿勢に、納得がいかないものを感じたのです。
そして、ヒルダが、自力で革命思想に到達したくらい、あの世界では柔軟で飛躍した発想ができる人物でありながら、革命後の国家について、何のビジョンも持っていない(ように見える)ところが、更によしりんの女性蔑視を感じるのです。
あすかさんが例として挙げられた歴史上の革命家達は、その後世での評価は別として、それぞれが、革命後の新しい世の中について、何らかのビジョンを持っていました。
それが、結果的には、更に国民を苦しめるものになる例もあっても、彼等は彼らなりの政治的問題意識の上で、真剣に新体制を考えていました。
ところが、それほど旧体制について過激な批判を持っていたはずのヒルダが、新政権樹立後、自分なりの政治構想を主張する描写が全くないのです。
つまり、彼女はいったい何がしたかったのか?がまるでわかりません。
もし、何らかの問題意識を持って革命に参加したのなら、軍人でもない彼女が改革したかったのは、むしろ民政分野の方だと思うのです。
しかし、彼女がしたことは、士官学校出でも軍人でもないはずなのに、ひたすらラインハルトの戦争の手伝いを黙々とこなすことでした。
これが、よりしん流の「賢い女性」の行動なのかと思うと、いくら80年代のこととは言え、本当に情けないし腹が立ちます。
恐らくこの当時のよしりんは、女性には自ら立案し、構築する創造性というものは、ないと思っていたのでしょう。

と、こんなとりとめのない議論を延々とする場所です。ここは。
こんな場所、イヤになりませんか?
もしならなかったら、また遊びに来て、色々若い方の意見を聞かせて下さい。

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