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イノセント・プリンセス(ハーレクインもどきスピンオフSS)エピローグ

【100000ヒット記念企画】

 新帝国歴1年11月2日、前日に、高等弁務官レンネンカンプの密葬を終えた帝国政府は、去る10月22日の爆弾テロ事件の全容と犯行グループを特定し、実行犯を逮捕したと発表した。
 主犯格としては、地球教徒の残党と、逃亡した前自治領主アドリアン・ルビンスキーの一派とされたが、その手先となり、事前に爆薬を設置し、起爆スイッチを入れたのが、帝国人の軍人と高級官僚だったことも隠されることなく公表された。
 実行犯のクリューガーとリスナーは、既に起訴されて拘留中であり、間もなく裁判も始まる。2人共、起訴事実を全面的に認めており、減刑嘆願もしていないことから、裁判は早期に結審し、2人がそれぞれ軍人と文官の方法で処刑されて、一旦幕を閉じることになるだろう。無論、ルビンスキーや地球教の残党の捜索は、引き続き憲兵隊が行う。
 これは、フェザーン人の間でも評価が分かれた。
 結局のところ、平和なフェザーンに帝国の宮廷闘争が持ち込まれたと解釈する者と、一方で自分達に不利な事実を包み隠さず公表した帝国政府の誠意を讃えるべきと考える者もいる。
 いずれにしろ、ローエングラム王朝は、未だ全人類を完全統一するに至っていないことを内外に対して認めたことになった。
 一方で、明るいニュースも齎された。
 意識不明の重体だったシュトライトとフェルナーの容態が峠を越え、意識が戻ってからは加速度的に回復に向かっているらしい。この分だと月半ばには退院でき、月末には再び出仕可能との診断が下された。
 無理矢理毒を飲まされたケルトリングも、一命を取り留め、今月中には対策室に復帰できるとのことだ。
 発表の翌日には、ヒルダは対策室の欠員を補充する申請を人事管理局に提出しており、間もなく新メンバーが着任する予定である。
 そして、この日は、警察の科学捜査チームが遺体収容作業を終了した日でもあった。
 DNA鑑定を終えたボーデン夫人とエリザベートの遺体は、どちらも全体の4分の1程が判明して、棺に入れられて戻ってきた。
 オティーリエは、来週、オーディンからベアトリスの家族が高速船でやって来るのを待って、母親と共にエリザベートの葬儀も同時に執り行うつもりだと言う。
 事件の終結を見届けたヒルダは、翌日の退庁後、密かに拘留中のリスナーに面会を求めた。
 警察上層部の特別なはからいで、透明なシールドごしではあったが、30分だけ余人を交えず、会話記録もとらない形での面会が認められた。
「よくいらして下さいました」
 リスナーは、穏やかな微笑で迎えた。既に死を覚悟した人間の全ての煩悩から開放されたような笑だった。
「私も、貴方と、もっとお話ししたいと思っていました。残念です」
 ヒルダは、悲しげに目の前の端正な青年を見詰めた。
 リスナーが、有能で誠実な官吏であったことは、今でも微塵も疑っていない。何か、少しだけ歯車が狂ってしまったことが、彼を凶行に走らせた。
 彼の犯した罪は赦されるものではないし、死を以ってしか償えない程のものではあるが、それとは別に彼の才能や識見をヒルダは素直に惜しいと思う。
 また、彼の政治思想や政策方針は、かなり自分と近いものがあることも感じていた。
 だが、リスナーは、濃茶色の瞳に変わらずに穏やかな笑を湛えていた。
「自分の器をもう少し早く見極めていれば、こんな不毛なことをせずに済んだのでしょうが…全て自業自得です」
「私は、貴方は本当に、将来尚書になれるはずの方だったと思っています。少し、急ぎすぎて、方法を間違ってしまったようですが…本当に、残念です」
 ヒルダは再度自分の意思を伝えた。
「ところで、私の私物等はどうなりますか?」
 リスナーが思いがけないことを尋ねた。
「それは…犯行に直接関係のないものは、ご家族に返還されると思いますが…」
 不意をつかれたヒルダは、曖昧に返答した。
 先進的司法制度を採り入れつつあるローエングラム王朝では、重犯罪者といえども確定した処罰以外の過度な懲罰は受けないことになっていた。
 犯した罪とは別に、リスナーの私物も、彼の遺品として遺族は受け取る権利を有してるはずだった。
「そうですか。…フロイライン・マリーンドルフ。今一度、頼まれていただけませんか?」
 リスナーが改まった口調で向き直った。
「何でしょう? 私でできることでしたら、何なりと」
「ありがとうございます。実を言うと、皇帝陛下の主席秘書官たる貴女にとっては、あまり有難くないはずのものなのですが、私の遺品として、是非受け取って頂きたいものがあるのです。ただ、ものがものなので、お断り頂いてもお恨みはしません。帝国領では発禁処分になっているある著作物のデータ版なのです」
 ヒルダの背筋に緊張が走った。恐らく彼の遺品は、ヒルダが3年前からずっと興味を抱いていたものに違いない。
「承知致しました。私もアイスラー先生の教え子の一人です。頂くのではなく、責任を持ってお預かり致します。いつか、発禁が解かれる日まで」
 ヒルダの蒼碧色の瞳に、強い光が宿った。
 リスナーは、これで思い残すことはないと言いたげに、満足そうに頷くと、対策室の自分のデスクの引き出しの中に、緑色のチップがあるので、パスワード制限がかかっていると言う。
「パスワードは単純に、私の生年月日の7桁の数字です」
 最後にもう一度、丁寧に面会の礼の述べるリスナーに深く一礼して、ヒルダは拘置所を後にした。
 ヒルダはその足でもう一度大本営に戻ると、対策室のリスナーのデスクから、彼に託されたデータチップを回収した。
『今は、まだ早いのね…でも、人間は成長するものです。そうでしょう?』
 ヒルダは誰にともなく胸の裡で問いかける。
 問いかけた相手は、リスナーなのか、アイスラーなのか、死んでいったゼミの仲間達だったのか…?
 再び大本営ビルを出たヒルダは、久しぶりに晴れ渡った初冬の夜空を見上げた。


 政治権力の世襲を否定したアイスラーの著作は、その後、ヒルダ自身が帝国を立憲体制に移行させた後、彼女自らの手で公開することとなる。
 この事件から実に43年の後のことであった。

-完-

コメント一覧

ゆうやん (08/02 08:49) 編集・削除

おつかれさまでした!!
エルフィ宅の新侍女さんがなんか関係あるのか?と思ってた予想は大外れww
感想はまたゆっくりとww体力がない、夏休み・・・

ゆっくりと休んでエルフィ再開楽しみにしてます(鬼読者)

Jeri (08/02 12:05) 編集・削除

>ゆうやんさん
コメありがとうございます。
やっぱり見抜かれてたかで、新侍女のお嬢ちゃんには、本編で大活躍してもらう予定です。
彼女は、未来版「おしん」で、エルフィー侍女になったことで、シュヴァイツァー夫人のスパルタレディ教育を受けて、どんどん成長していきます。
こちらの世界では、70年後のフェザーンで、彼女の一代記を描いたドラマが大ヒットしたりw

イノセント・プリンセス16(ハーレクインもどきスピンオフSS)

【100000ヒット記念企画】

「両閣下の権限で、一つ是非ともお聞き入れ頂きたい条件がある。それをお約束頂ければ、私が知る限りのことをお話しましょう。それがたとえ自分の不利になることでも厭いません。しかし、お聞き入れ頂けないとあらば、私はどんな拷問に遭っても、今後一切何も話しません。如何ですか?」
 リスナーは、威儀を正すと、記録装置が作動していることを確認しながら、元の怜悧なエリート官僚の顔に戻り、ヒルダとリンザーに向かって切り出した。
 帝国軍も警察も、表向きは司法取引には応じないことになっている。
 但し、憲兵隊や内国安全保証局は、その情報が国家にとって有意であれば、現場指揮官の判断でその限りではないことが認められている。
 現在、軍も警察も逃亡中のルビンスキーや地球教徒の残党の情報は喉から手の出る程欲しいのが本音だった。しかし、それと一般市民の大量殺戮に加担した人間の罪とを引き換えにはできない。
「誤解のなきよう。私自身は既に極刑を覚悟しておりますし、情報提供と引き換えに減刑を要求しようなどというつもりもございません」
 一瞬、顔を見合わせて逡巡の色を示したヒルダとリンザーに対して、リスナーは2人の内面を見透かしたように言う。
「お約束できるかどうかは、条件の内容次第です。伺った上で判断させて頂きますので、まずはお話し下さい」
 ヒルダが硬い表情で答えると、リスナーは、小さく安堵の笑を漏らした。
「では、申し上げます。この件に関しては、私一人が自らの利益の為に、地球教徒とルビンスキー一派の計画に乗って行なったものであり、私の兄をはじめ親族達は、一切関わっておりません。それは、誓って事実です。故に、私の罪に因ってオーディンの兄やその子供達、その他の親族の誰もが連座することのないよう、くれぐれも念を押してお願い申し上げたい」
 そう言って、深く頭を垂れるリスナーに、どんな無理難題を吹っ掛けてくるのかと身構えていたヒルダ達は少し拍子抜けした。
「そういうことでしたら、ご心配には及びません。ローエングラム王朝では、司法省が連座制を廃止したことは、あなたもご存知でしょう?」
 ヒルダが、意外そうに問う。新王朝は、開明政策の一環として、発足後早々に一族全てが罪に服する連座制の廃止を宣言し、国民から喝采を浴びている。現に、キュンメル男爵の親族であるヒルダ自身も、父のマリーンドルフ伯も、数日間の自主謹慎のみで、何ら罪に問われることもなく、現職のまま職務に復帰していた。官僚であるリスナーが、このことを知らない筈はない。
「しかし、それもあなたのような皇帝陛下のお気に入りの者か、平民や下級貴族に限ったことではありませんか? 私のような門閥貴族は、陛下のその時の気分次第で、どうにでも理由を付けて女子供や老人まで罪を着せられる可能性が大いにあるのではないですか? 私の死後、私の親族がリヒテンラーデ一族のような処断を受けることのないよう。重ねて両閣下にお願いしたい」
 リスナーは、両閣下と言ったが、その言葉は明らかに皇帝主席秘書官たるヒルダに向けられていた。彼はまだ個人的に皇帝に拝謁したことはないが、有能な行政官としての一面は、ラインハルトがしばしば感情に任せた処断に出る為政者としての欠点を持っていることを見抜いていた。
「わかりました。あなたのご一族がどなたも今回の事件に関係していないのであれば、決して類が及ぶことのないよう、私が職を賭してお約束致します」
 本来ならここで即答すべき立場にないのを承知の上で、ヒルダはそう言いきった。
 今の皇帝が、連座制廃止の法を破ってまで、血縁という理由だけで事件に無関係な者を無理矢理処罰するとも思えないし、何よりヒルダには、主席秘書官としての自分が、そんなものと天秤にかけられるはずもないという自分の仕事に対しての自負もあった。
 それに、リヒテンラーデ一族の処断については、ラインハルトも少なからぬ後悔の念を持っていることを、傍近くに仕える彼女は知っている。
「ご配慮に感謝します。フロイライン・マリーンドルフ、貴女を信じます」
 本来の聡明さを取り戻したリスナーが、心からの謝意を伝える。
 それから約3時間半に渡るリスナー管理官の供述は、この爆破テロ事件のみならず、逃亡中のルビンスキー一派と地球教徒の残党の現状について貴重な情報を齎すものとなった。


 リスナーは、ルビンスキーのアジトの一つであるビルの地下室で、テロ実行の翌日、彼と直接会って密談したことを認め、あらためて、自分がルビンスキーと地球教徒の残党が計画していた爆破テロの実行犯であることを自白した。
 この時のルビンスキーとの密談の内容は、当初知らされていたものよりも、被害規模が大きかった事に対する抗議と、殺しそこねてしまったシュトライトやバッケスホーフの始末に関するものだったという。
 リスナーは、バッケスホーフの重傷は、落下物に当たっての偶然によるものではなく、自分が近くにあったコンクリートの塊で後頭部を殴打したからだと供述した。
 この件は、予めクリューガーと相談しており、その場の判断でより無理なく実行できる位置にいる者が行うことになっていたという。
 あの時、視界が悪くなる中で、クリューガーよりも自分の方がバッケスホーフに近かった為、周囲を確認して実行した後、リスナー自身も被害に遭ったふりをして近くに倒れた。文官であるリスナーは、てっきり致命傷を与えたと思い込んでいたが、もし、手を下したのが軍人のクリューガーの方であったなら、バッケスホーフは即死していた可能性が高く、ヒルダ達が地球教の関与に気づくのも遅れたことだったであろう。その点では、これは彼等にとっては不運であり、ヒルダ達には幸運だったと言える。
 リスナーによると、元自治領主のルビンスキーには、未だ付き従う者達も多く、密談に使用されたようなアジトが都内に数箇所あり、具体的な場所は不明だが、惑星内に堅固な隠れ家を数軒所持しているらしい。
 地球教徒の残党に関しては、ヒルダが危惧した通り、帝国、フェザーン、同盟領のあらゆる場所に何くわぬ顔で溶け込んで生活しているという。
 現にリスナー自身、今回の事件で、彼が生まれる前から実家の領地惑星の奥に仕えていた老婦人が、地球教徒であったことを初めて知った。入信したのは30年も前のことらしいが、地球教に関わった経緯等は特に詮索しなかった。
 在家信者の中には、古くからの信者で、上層部の命令で潜伏する場合もあれば、何かの切っ掛けでそれまで普通に職業を持って生活していた者が入信する場合もあるという。いずれも教団本部にとっては、便利な手先であろう。
 ただし、今回のように、信者が信者でない者に正体を明かすことは異例であり、リスナーも老婦人はともかく、中佐階級の軍人であるクリューガーが信者と聞いた時には、さすがに驚いたという。
 しかし、爆破テロの前後に3回程密談したルビンスキーの口ぶりでは、クリューガークラスの信者は、それ程珍しいわけではなく、帝国軍内には、一等兵から将官まで地球教徒達の情報網があると言う。
 将官にまで信者がいると聞き、ヒルダ達は流石に驚いた。
 それだけではない、リスナーによると、軍内のみならず、官吏の中にも自分のような協力者がおり、ルビンスキーは、彼らを使って、次の新帝国転覆計画を練っているという。
 具体的な人物も方法も不明だが、軍首脳の誰かに、皇帝に叛旗を翻させ、帝国軍を分断させることができると、自信たっぷりに嘯いていたらしい。
「そんな…まさか…いったい誰にそんなことをさせるつもりだと…」
 そう言いながらもヒルダの脳裏には、くっきりと一人の人物の姿が浮かび上がっていた。決して他人の下に付くことのなさそうな男…だが、今この場でそれを口にすることなどできるはずもなかった。
「本当に将官にも地球教徒がいるのか? 新たな転覆計画というが、カイザーに叛逆だなどと、荒唐無稽な話だ」
 帝国軍准将であるリンザーは、吐き捨てるように断じたが、ヒルダはリスナーの言葉を否定しなかった。
 地球教の歴史を考えれば、数十年の軍歴を持つ将官に信者がいても不思議ではない。
「では、高級武官の信者や協力者の官吏が誰なのか、誰に陛下に対して叛逆させるつもりでいるのか、あなたは全く心当たりがないのですか?」
 この件に関しては、尋問する立場であるはずのヒルダの方が、懇願したい心境になっていた。ラインハルトの宿将達の誰かが、彼に叛逆するなど、身の毛もよだつような悲劇だ。
「残念ながら、さすがにフェザーンの黒狐は、私ごときにそこまで明かしません。知っていれば、それこそ司法取引の材料にして、助命を乞うところですよ」
 リスナーが自嘲ぎみに髪をかき揚げながら言う。知っていたとしても、事ここに至って今更命乞いするつもりもなかったが、つい口に出てしまって苦笑した。
「そうですか。わかりました」
 ヒルダは少し無念に感じながらも、感情を押し殺して頷いた。
 その後、リスナーは、自らの生い立ちからこの事件を起こすまでの経緯を滔々と語り始めた。

 カール・アルベルト・フォン・リスナー。父や兄と区別する為、周囲から「アル」の愛称で呼ばれていた彼は、伯爵家の次男として生まれた。
 幼い頃から同年代のどの子供よりも賢かった彼に、父も兄も親族も、将来、軍か行政のトップに立つことによって、名門ではあるが権勢家とは言い難い非主流の一門が、政権の中枢に食い込むことに期待した。
 リスナーは、その期待に充分に応え、18歳で帝国の最高学府であるオーディン帝国大学の政治学科へ進み、21歳で卒業と同時に、上級官吏登用試験に主席合格を果たす。
 大学に入学する以前の彼は、多くの貴族の子弟同様、特に何の疑問も持たず、自分が官僚として栄達することが、自身と家の名誉であると漠然と考えて勉学に勤しんでいた。
 そんな彼が、大学に入り、平民や下級貴族の学生達と同じキャンパスで学ぶうちに、徐々に当時の帝国社会に疑問を持ち始めたのは、当然の成り行きだった。
 官吏として出仕する祝いに、爵位を継いでいた兄が、一門で継嗣が絶えていたリスナー男爵家の家門を継げるよう計らってくれたのもこの時だった。
 とはいえ、既に邸も領地もない名ばかりの男爵号を貰っても、彼の生活は以前と全く変わらず、実家の伯爵家の邸から出仕していた。
 唯一変わったのは、学生時代に名乗っていた名からミドルネームを省略して、職務上では、カール・フォン・リスナーと名乗るようになり、サインもそれに改めたことだった。
 若手高級官僚の出世コースの一つである財務省の主計局を経て、1年後に早くも内務省の管理官補となったリスナーは、この頃から将来自分が尚書となり、政治権力を握るようになった時のドラスティックな改革案を密かに頭に描き始める。
 しかしその理想は、日々真面目に職務に精励すればする程、実現不可能なことを思い知らされた。
 この国の行政システムは、尚書でも宰相でも、一人の人間の力ではどうにもならない程腐敗している。その現実を目の当たりにして、若いリスナーは絶望しかけた。
 そして、登用試験に主席合格しようが、伯爵家の出であろうが、一官吏の立場で行えることの限界を知るのだった。
 当時、皇帝に代わって実質帝国を治めていた国務尚書リヒテンラーデ侯爵の皺枯れた顔を間近で見た時、自分が今の彼の地位に登り詰めるのに、あと40年もかかるのかと思うと絶望的な気持ちになったという。
 軍と違い、文官の世界では、戦死のリスクがない代わりに、二階級特進もなければ、武勲を立てて若くして異例の大出世ということも少ない。
 自分は所詮、この帝国の中で、多少ばかり知恵の働く貴族の息子として一生を終えるのか? いや、しかし、今の帝国の状態は専制国家の末期的症状を呈している。こんな時に、自分のような才智に恵まれた人間が、ただ流れに任せた無難な生き方をすることが許されるのだろうか? 理想と現実の狭間で揺れるリスナーの元に、ある日予想もしていなかった話が舞い込む。
 前年に、皇太子が女官に産ませた子エルウィン・ヨーゼフを残して突然逝去するという変事が起こったこの年の春、ブラウンシュヴァイク家の縁戚であるボーデン子爵と、腹心のアンスバッハが伯爵家を訪れ、弟のカール・アルベルトを、将来公爵令嬢のエリザベート嬢の婿として迎えたいというのである。
 それを聞いたリスナーは、天が自分を選んだと確信した。
 隣で話を聞いていた兄も、必死に興奮を抑えながら弟が皇帝の孫娘に見初められたことを喜んでくれた。
 皇太子に嫡出子がいない以上、皇位に最も近いのは、第一皇女であるブラウンシュヴァイク公夫人と、その娘のエリザベート嬢であるのは誰もが認めるところだ。
 官僚としてどれほど栄達しようと、所詮一臣下に過ぎないが、女帝陛下の夫となれば、実質的な皇帝も同じである。自分の理想とする改革に、思う存分大鉈を振るうことができるはずだ。
 勿論、エリザベート嬢は傀儡で、実質的な帝国の覇権を狙っているのは、令嬢の父親であるブラウンシュヴァイク公であることは、承知している。
 しかしリスナーは、自分の才覚を以ってすれば、現当主のブラウンシュヴァイク公ならば、数年も我慢すれば充分に御しおおせると自信を持っていた。自分は帝国大学を出て、官吏としても確実にキャリアを積み上げている俊英だという自負が彼にはあった。何より、自分の方が若く、血統のみが取り柄の権力欲の塊の公爵よりも、少し頭の働く忠臣達なら、いざとなれば自分に味方するだろうと計算したのだ。エリザベート嬢が、あまり賢くない娘であることも、この際は幸いに思えた。
 とはいえ、エリザベート嬢は、当時まだ15歳になったばかりだったので、正式な婚約や結婚は、早くとも3、4年の後だろうとのことだった。使いの2人は、若く魅力的な若手官僚に対して、それまでに、身辺を綺麗にしておくようにと念を押して帰って行った。
 将来の皇婿としての体裁を整える為、兄の伯爵は、まず、実家の近くに男爵家の邸を新築し、弟を独立させた。
 更に、ブラウンシュヴァイク公爵の計らいで、来年にも爵位を子爵に上げ、婚約発表の前には伯爵に、成婚時には侯爵に叙して女帝の夫としてつり合いをとる手筈となった。
 水面下で着々と準備が進められていく中、リスナーは益々職務に励み、周囲の評価を上げていった。
 今、自分に命令している上司達も、数年後には皇婿殿下となった自分に平伏すことになるのかと思えば、どんな無理な仕事でも楽しかった。
 エリザベート嬢とは、その後何度か公爵夫妻を交えて会い、リスナーは公爵夫人にも気に入られていった。
 暫くすると、エリザベートと2人きりで逢うことも自然と許されるようになり、公爵家の別荘で彼女の強い希望で、男女の仲になった。
 リスナーは、事が露見して、公爵夫妻の逆鱗に触れないかと心配する一方、これでエリザベートとの仲が既成事実化し、いよいよ自分が皇婿となることが本格化したと感じた。
 エリザベート本人に関して言えば、インテリ中のインテリであるリスナーのような男にとって、つまらないことこの上なかった。
 年齢的に離れていることを差し引いても、彼女の知性は同年代の女性の平均を遥かに下回っていることは、噂に聞いていた通りだった。
 興味のあることと言えば、ファッションと社交界や芸能人のゴシップくらいで、経済誌を愛読し、政治思想史の専門書を原書で読むことのできるリスナーとは、どう努力しても共通の話題などなかった。
 それでもこの頃のリスナーは、この女性だけが自分の理想を叶えることのできる相手と思えば、そんな彼女に精一杯話を合せ、結婚したらそれなりに良い夫になるつもりでいた。
 だが、それから数ヶ月後、リスナーの野望は思いもかけない形で頓挫する。
 エリザベートの祖父フリードリッヒ4世が崩御し、台頭著しいローエングラム侯と手を結んだリヒテンラーデ公が、先手を打ってエルウィン・ヨーゼフを皇帝として即位させてしまったのである。
 更に、ブラウンシュヴァイク公が、リップシュタットの森で貴族達に召集をかけると、門閥貴族派対枢軸派という対立の構図が明確になった。
 リスナーは、この時、兄に対して、「リップシュタット連合に加盟するべからず」と進言して、兄を唖然とさせる。
 正式発表前とはいえ、エリザベート嬢の婚約者である彼と、その一門である我等こそが、真っ先に公爵の元に馳せ参じるべきではないかと説く兄に対して、リスナーは冷静に、枢軸派と全面戦争に突入すれば、リップシュタット連合側に勝ち目のないことを4つの理由を挙げて理路整然と説明してみせた。
 ヒルダはそれを耳にした途端、びくりと身体を震わせた。
 それはまさに、彼女が父マリーンドルフ伯とラインハルトに対し示した「枢軸派が勝利する4つの理由」に見事に合致するものだったからだった。
 官界の第一線で実務を担っていたリスナーにとって、これはそれほど難しい判断ではなかった。ただ、彼がヒルダと違っていたのは、この時点ではまだゴールデンバウム王朝自体の滅亡は念頭になかった点であった。
 だが、リスナーには、非公式とはいえ婚約者であり、男女の契も交わしたエリザベートの父であるブラウンシュヴァイク公と、正面切って対立するのは流石に躊躇われた。
 また、一面識もないローエングラム侯の下に唐突に馳せ参じるのも、縁戚関係でもない枢軸派貴族に今更擦り寄ることも、節操のない行動に思えた。
 結局、兄弟は、相談した結果、どちらの陣営にも付かずに、事態を静観することに決めた。
 この時点で、リスナーとエリザベートとの婚約は、事実上破棄されたものとなったが、リスナー自身、不思議とそれを残念に感じなかった。それどころか、何か開放感に近いものすら感じていたという。
 恐らく、余程のことがない限り、この内戦は枢軸派の勝利で終わるだろう。
 そして、次に覇権を握るのは、年老いたリヒテンラーデ公ではなく、軍部の圧倒的支持を得ている若き黄金の獅子であることも読んでいた。
 そうなれば、遅ればせながら、恥を偲んでマリーンドルフ家か、リヒテンラーデ一族の穏健派貴族の誰かに頭を下げて、ローエングラム侯にとり成しを頼む。狡い立ち回りだと言われようが、それが一門が生き残る為、帝国貴族としての最善の策であると信じた。
 しかし、内戦はリスナーの予測を遥かに上回る早さで決着し、賊軍の首魁とされたブラウンシュヴァイク公もリッテンハイム侯も、その卑劣な人間性を露呈した不名誉な死を遂げた。
 更に、オーディンの官界にも大異変が生じていた。
 宰相リヒテンラーデ公の急死という不測の事態に、たちまち枢軸派は分裂し、熾烈な覇権争いに発展するかと思われた矢先、帝都の空を覆い尽くしたローエングラム陣営の艦艇によって、呆気なく決着した。
 帝国内から門閥貴族勢力が一掃され、ローエングラム体制へと移行しても、リスナーは失望はしなかった。むしろ、彼の理想とする改革を彼の想像を超えるスピードでやってのける若き新宰相に、素直に畏敬の念を抱いていた。特に、彼が以前からその執政案に強い共感を覚えていた、改革派官僚のリヒターとブラッケの抜擢には、内心で快哉を叫んだ。
 そして、自分もローエングラム陣営の官僚として、帝国の経済と民政の改革者の一員に加わることを望んでいた。
 新体制の軍首脳の平均年齢は、旧体制下よりずっと若く、それは、文官にも少なからず波及するものと期待させられた。
 実際、各省庁で次々と有能な若手官吏の抜擢が始まり、リスナーも、本来なら30台半ばから40代前半の中堅キャリアの定位置であった管理官に、24歳の若さで昇進している。
 何事も切り替えの早い彼は、この1、2年の間に、すっかり旧王朝の女帝の夫として国政の改革を行うよりも、ローエングラム体制下で官僚として栄達していくことに、方針を修正した。
 新体制の開明的な改革路線は、ほぼ彼が頭の中で推敲していたプランと一致していた。ならば、自分はこの国で若くして尚書までの登り詰めることで、歴史にその名を残す行政家になってやろう。こうして、リスナーは再び自分の人生目標を定めた。
 しかし、またしてもそんな彼を窮地に立たせる事件が起こる。
 すっかり忘れていたかつての婚約者のエリザベートが、忠臣達の手助けで疎開先の領地惑星を脱出して、ヴァルハラ星系内の小惑星に少数の共の者達と健在であるというのである。当然、かつての婚約者であるリスナーに保護を求めてきたものだった。
 リスナーは、本心では舌打ちしたいのを抑えながら、通信回線で状況を知らせてきた従者の男性に対して、ヴェスターラントの件を持ち出し、今、彼女がオーディンに現れるのは危険だと説いて、何とか思いとどまらせた。
 冗談ではない。せっかく新体制の中で自分の地位を確保したと思った矢先に、こんなお荷物を背負い込むのは、絶対に避けなければならないと思った。
 新体制は、軍も官界も実力主義を徹底させる方針で、事実ほぼそれに沿った人事がなされていた。しかし、情実人事が全くないかと言えばそこまでは完璧になれないのもまた人間というものだった。
 軍部でも官界でも、そこにいるのが人間である以上、自然と気の合う者同士、馬の合う者同士でグループのようなものができるのは、ある程度仕方のないことでもあった。
 軍人の世界でも、以前からずっと心酔していた上司についていたら、いつの間にか自分も艦隊司令部の幕僚になっていて、“閣下”と呼ばれる身になっていたという話は昔から習慣的にあった。
 帝国軍の双璧と呼ばれるロイエンタール、ミッターマイヤー両元帥のように、尉官時代から常に共に戦って武勲を上げ、共に頂点まで上り詰めた例もある。
 官界でも、20~30代の若手官僚達の中に、自然とこうしたグループがいくつか生まれていて、それぞれにグループ内での年長者のリーダーが存在した。
 リスナーが属していたのは、同じ門閥貴族の次男以下の出の男が多い、帝国大学出身者の十数名のグループだった。このグループには、ケルトリングもいる。
 特に家柄を意識したわけではなく、何となく居心地のいい場所に自然と集まっていっただけで、学閥や貴族閥を創るつもりは全くなかった。
 このグループは、公式に認められた人事ではないにも関わらず、やはり昇進の際の「先輩からの推薦」の威力は絶大で、同じ派閥から抜擢者が出れば、他の者も昇進の恩恵を受けるのは必至だった。
 リスナーが属していた派閥のトップは、マリーンドルフ家の遠縁ということになっている40前の貴族で、年齢、実績、実力、人望共に申し分のない男だった。人事刷新後には、彼が次の内務省次官に抜擢されるのは順当と目されていた。
 対抗馬がいないわけではなかったが、全員彼より若かったし、実績的にも似たようなものだったので、彼の次官昇進は、リスナー達同じ派閥の者達の出世の道が開けることを期待させた。
 ところが、神々の黄昏作戦直前に、宰相府から発表された新次官は、予想外の人物だった。
 新たに次官になったのは、ユリウス・エルスハイマーという30代半ばの司法省出身の局長だった。
 その名前から平民であることは明らかで、彼が有能な行政官であることは、誰もが認めていた。ローエングラム体制の身分にとらわれない人事を象徴する抜擢とも思えたが、彼に引けをとらない手腕を持つ官吏がいないわけではない中で、やはりこれは異例の人事だった。
 その後、リスナーは、エルスハイマーの妻が、ルッツ提督の妹であることを知り、愕然となる。そして、自分がこれから栄達を望むなら、新体制の首脳の誰かと閨閥を形成していくのが一番の近道だと思うようになった。
 ローエングラム政権が、かつての門閥貴族の爵位や家柄優先で出世が決まる官界とは比べ物にならないくらい公正で清廉であることは理解している。だが、実力が同じなら、やはり功臣の身内であることが有利なのは致し方ないのではないか。特に、軍事独裁政権の色の濃いローエングラム政権内では、公にとって戦友とも言うべき軍首脳と縁戚関係にあることは、絶対の強みだろう。リスナーはそう考えた。
 実際にエルスハイマーを抜擢したラインハルトは、その時点では彼がルッツの義弟であることを知らなかった。
 ラインハルトも、それ以前にエルスハイマーと面識があったわけではなく、この人事は、堅実だが文官では珍しく肝の座ったエルスハイマーの人柄を高く評価したブルックドルフの意向をラインハルトが受け入れたものだった。
 聞いていたヒルダは、リスナーの思い違いを否定したかったが、この時は黙っていた。今は、彼から供述を取るのが優先であり、実際、自分が主席秘書官なのはともかく、新王朝になってからこれまで中央政界で公職に就いたことのない父のマリーンドルフ伯が、国務尚書という閣僚の筆頭に抜擢されている身で、否定しても説得力に欠けると思えたからだった。
 そのような中で、エリザベートの一行は、しきりにオーディン帰還への望みをリスナーに訴える電文を寄越してきた。軍の検問を避けるため、旧式の貨物船に紛れ込んだり、わざと辺境航路を迂回しながらオーディンを目指す内に、姫君を守る従者達の数は徐々に減っていったらしい。数ヶ月かけて漸くオーディンと通常回線での通信が可能なヴェルハラ星系内たどり着いた時には、エリザベートを入れてわずか6名になっていた。
 離脱した従者は、自らの意思で逃げ出した者はおらず、皆、過酷な環境下での航行中、大量の宇宙線を浴びたり、乗船の事故に巻き込まれたりして命を落としていた。そのような状況の中でも、彼等はエリザベートにだけは常に安全な場所を確保し、貨物船が放射線事故を起こした際も、彼女だけは船にたった一つしかない遮断カプセルに入れて守ったという。リスナーは、あらためて百数十年を経てまだ生きていたブラウンシュヴァイク家の祖先の威光を思い知らされた。
 領地惑星での叛乱の中、公爵夫人母娘は忠義な家臣団の機転で、侍女の扮装に身を窶して脱出を計ったが、母親のアマーリエ妃は、途中で叛徒と化した私兵に見つかり、殺害されてしまったそうだ。残ったエリザベートを守る忠臣達は、リスナーと連絡を取りながらも、一人また一人と減っていき、最後は免疫力低下で瀕死状態の中年男一人だけとなっていた。
 リスナーは、この忠義の臣に、自分の現状を正直に話した。
 現在、自分はローエングラム政権下の官吏であり、他の多くの門閥貴族同様、財産の殆どを国家に返納してしまっており、とてもエリザベート嬢を守る力のないこと、実家が建ててくれたリスナー男爵邸も手放しており、今は官舎住まいなので、令嬢を匿う場所もない事などを列挙して、何とか諦めてもらうよう説得した。
 リスナーは、話の感じから、オーディンへの帰還は、エリザベート本人の強い希望であり、彼女を守る忠臣達は、死んでいった者達を含めて皆、新政権下のオーディンへ降り立つことには危機感を持っている様子を感じていた。
 だが、そんな家臣達の危惧を他所に、とにかくエリザベートは、生まれ育ったオーディンに戻ると言い張っているようだった。
 いかにもあの思慮に欠けるわがまま娘らしいと、リスナーは唇を噛んだ。
 間もなく傀儡女帝から帝位を譲られるともくされているローエングラム公にとって、旧王朝の正統な血を引くエリザベートは危険な存在と見倣される可能性が高いことや、ローエングラム公自身や新政府は許しても、帝国の民衆が、ヴェスターラントの大虐殺を行なったブラウンシュヴァイク公の娘であるエリザベートに抱く感情を考慮すれば、オーディンへ戻ることの危険性を口を酸っぱくして説いた。
 男は、そんなリスナーの態度に、遂に彼を頼ってオーディンに帰還するのを諦めたらしい。
 だが、リスナーが、ほっとしたのも束の間、自分の死期を悟ったこのブラウンシュヴァイク家最後の忠臣は、リスナーの忠告を無視して、新皇帝の即位後間もなく、オーディン帰還を強行する。
 新政権になった時点でブラウンシュヴァイク派の貴族はほぼ壊滅しており、今更エリザベートを匿う余裕のある者などいないはずだった。
 本来なら頼りになるはずのアンスバッハは既になく、ボーデン夫人はフェザーンに亡命し、シュトライトはすっかりローエングラム公の忠臣となり信用出来ない。
 そして、婚約者であったはずのリスナーさえ当てにならないとなれば、彼等が頼れる人間はもういないはずだった。
 しかし、年号が新帝国歴1年と変わったばかりの7月12日、オーディンの宇宙港に密かに着いたエリザベート主従は、偶々公休日だったリスナーに連絡を入れてきた。
 驚いたリスナーは、とにかく彼等の存在を隠さなければと考え、急いで迎えに行き、とりあえず実家に連れて来た。
 実家の伯爵家は、領地惑星と荘園の大部分を返納し、このオーディンの上屋敷以外の不動産を全て売却して新たな課税制度にやっと対処して生活していた。
 使用人も必要最低限に減らし、広い屋敷は閑散としており、経年で傷んだ箇所の修復もままならない状態だった。
 既にリスナーには、エリザベートと結婚する意思はなく、よりによって、こんな時に迷惑千万なことではあったが、重体ををおして、それでも必死に姫君を守ってとここまで着た男を前に、流石に露骨に冷たい態度もとれなかった。
「男爵のお立場も考えず、申し訳ございません」
 と詫びる男を、リスナーと兄は医者を呼んでできるだけの治療を施してやった。
「貴方様にご迷惑をおかけするつもりはございませんでした」
 という男は、オーディン帰還を強行した訳を話した。
 一番の理由は、自分が余命いくばくもない中で、あのままエリザベート嬢を放置できなかったことだが、オーディンで頼ろうと思っていたのは、リスナーではなく、エリザベートの出生から就学年齢の10歳まで乳母を勤めていた男爵夫人であるという。
 この夫人も、一門であると同時に、彼同様代々公爵家に仕える重臣の娘で、その忠誠心に揺るぎないことを知っていた。しかし、この男爵夫人は、嫁ぎ先がリヒテンラーデ一族の家であった為、リップシュタット戦役後はずっと流刑地に在った。旧体制下の常識では、国事犯の係累として流刑に処された者が、許されて開放されるまでには、早くても5年、10年単位の時間がかかり、一生を流刑地で終わる者も珍しくない。
 それが、新帝国発足間もなく、同じリヒテンラーデ一族のコールラウシュ伯の令嬢が、軍最高首脳の一人であるロイエンタール元帥と結婚するということで、皇帝から彼女の一族に対して特別な恩赦が出た。
 リスナーは、ここでもあらためて新皇帝と軍幹部の特別な強い絆を感じるのだった。
 そして、自分の夢を実現するためには、やはり是非とも彼等の誰かと繋りを持たなければならないとの思いを強くした。
 エルフリーデにとっては、一族を救う為に必死で行なった赦免運動も、リスナーには、なんと余計なことをしてくれたのだという心境だったと、吐露した。
 元乳母の夫人は、娘がフェザーンの豪商に嫁いていたことで、流刑地から戻った一族の中では、唯一伯爵夫人の庇護を受けずに暮らすことのできる人物だった。
 エリザベート主従は、まず郊外にあるという元乳母の家を訪ねるつもりでいたという。
 しかし、不運は続くもので、元乳母は、新無憂宮で伯爵夫人の結婚式に参列し、安心感からか、翌日から気が抜けたように倒れ、そのまま他界してしまった。
 エリザベート主従は、この情報をオーディンへ向かう民間船の中で知った。
 そうなると、やはり二人にとって頼るべき人は元婚約者のリスナーしかいない。いや、“元”と思っていたのは、リスナーだけで、エリザベート自身は、今でも彼と自分は結婚すると信じているらしかった。
 エリザベートに最後まで従ってきた忠義の男は、治療の甲斐も虚しく、伯爵邸の一室でオーディン到着の一週間後に息を引き取った。
「父上…母上…姫様を、最後までお守り致しました。…これで、ブラウンシュヴァイク家への代々の御恩にも報いることができました…」
 最期を看取ったリスナーと兄の耳に男の言葉が虚しく聴こえた。
 気の優しい兄は、その言葉に涙ぐんだが、リアリストのリスナーは、逆に怒りを覚えた。
 死んだ男に対する怒りではなく、あんな空っぽ頭の女や卑劣なその父親を最後まで見捨てる事なく、生まれながらに尽くし甲斐のない主君に仕えることを運命づけられた男への憐れみと、そんな世の中の不条理に対する怒りだった。
 結局、リスナーは、兄と相談した結果、やはり今エリザベートの存在を公表するのはまずいということになり、とりあえず伯爵家の客間に、返上した領地惑星から呼び寄せた老婦人に世話をさせて屋敷に閉じ込め、ほとぼりが冷めるまで世間から隠すことにした。
 リスナーは、官舎暮らしをしており、滅多に実家には戻らなかったが、それでも偶に邸に帰ると、まだ彼と結婚するのが当然と思って邸に居座り、ドレスや調度品に何かと注文を付ける女に本気で嫌気がさしてきた。
 いっそ、殺して庭に埋めてしまえと何度思ったことかわからない。
 しかし、現在、憲兵隊の一部隊が、旧王朝の皇位継承権保持者の探索をしているという話を耳にして思い止まった。
 かつては、フリードリッヒ4世の有力な後継者候補であった彼女の行方が、本格的に話題になった時、自分が婚約内定者であったことを知っている人物が俄に騒ぎ出さないとは限らない。そうなれば、彼が望んでいる新政権の軍最高首脳と縁戚関係を結ぶ夢も潰える。
「だから、エリザベート嬢だけでなく、あなたが婚約者であったことを知っていたボーデン夫人やシュトライト中将まで殺そうとしたのですか?」
 ヒルダの問いに、リスナーは疲れた顔で頷いた。
「ええ。あんな女がぶる下がっていたら、俺は一生陽の目を見られない。新皇帝だって、ブラウンシュバイクの娘を妻に持つ文官を重用しますか? だから私は、私の実力を最大限に発揮させてくれる女性と結婚することにしたのですよ。それにはエリザベートが邪魔だったし、彼女と俺の関係を知る人間全てに消えてもらいたかった。これが嘘偽りのない私の動機です」
 半ば開き直って答えるリスナーに、ヒルダは最も聞きたかったことを尋ねた。
「それによって、何の罪もない市民が1万人以上死亡しても、あなたが新帝国の官僚として政治の実権握ることに意義があると考えたのですか?」
 挑むような蒼碧色の瞳を、リスナーの濃茶の瞳が一瞬精気を取り戻して睨み返した。
「ええ、そうですよ。あなただって、皇帝陛下だって、無駄な戦争で何百万人もの兵士が死んでも、それが新たな世の尊い犠牲と思って納得しているのでしょう? この帝国を500年に渡る愚民化政策から開放し、真の文明国家と成さしめるには、時間がいる。だが、時間がかかっても、いずれ帝国は立憲体制に移行し、やがては帝政自体を放棄しなければ、人類の退化に歯止めが掛からない。私は立憲体制下の帝国の初代首相となるつもりでいた。その時こそ、アイスラー思想が世に認められるのだと…!」
 ヒルダは、背中に電流が走る気がした。
 そして、確信した。この男は、発禁となったアイスラーの著作を密かに保持しているに違いないと。
 だが、今のヒルダには、個人的好奇心に浸っている時間はなかった。
「それで、あなたが、将来首相になるために結婚したかったのは、このお嬢さんですか?」
 ヒルダは、硬い口調でそう言うと、テーブル中央に、先程ロイエンタール邸から送ってもらったビデオから切り取った若い女性の映像を投影してみせた。
「さすがは一箇艦隊に匹敵する智謀の持ち主だけのことはある。何もかもお見通しだったわけですね」
 リスナーは、降参するポーズをとって、自嘲ぎみに応じた。
 逆に他のメンバーには、状況が飲み込めない。
「何者なんですか?この人。確かに、先程民政省の同期に確認したところ、リスナー管理官を宇宙港で見送っていた女性に間違いないと言っていましたが…」
 隣のベアトリスが我慢の限界を感じるように質問する。
 映像の女性は、栗色の髪にすみれ色の瞳をしたごく平凡な可愛らしいタイプで、夜会の場面のせいか、ドレスを着て正装してはいるが、明らかに板に着いていない感じで、リスナーの野心に見合うような重要人物には見えない。
「この方のお名前は、ロジーナ・バイルシュミット嬢。現在20歳。オーディンの私立大学の2年生で、社会福祉学を学んでいらっしゃる方よ。お父様は退役傷病兵でお母様も家計を助ける為に近くの工場で事務の仕事をなさっているとのことです。ご家族は、ご両親とも平民で、妹さんが一人いらっしゃるごく普通の家庭のお嬢さんです。そうですわね?リスナー管理官」
「ええ。その通りです」
 ヒルダの言葉を、リスナーは少し自棄気味に肯定した。
 だが、他のメンバーには、ますます意味が判らない。野心家のリスナー管理官が、エリザベート嬢を抹殺してまで結婚したかったのが、この平凡そうな女性なのか?という疑問を全員が共通して抱いた。
「確かに、彼女自身は平凡かもしれませんが、彼女は首都星の地方都市出身で、今は伯母夫婦の元から大学に通っています。あの夜会に出席していたのもその縁です。彼女の母親は、ミッターマイヤー元帥のお母様の妹に当たる方です」
 ヒルダの回答に漸く一同は納得できた。
「では、彼女、ミッターマイヤー元帥の従妹ということですか?」
 アンナが確認するようにヒルダに視線を向ける。
「ええ。ミッターマイヤー元帥には、ご兄弟がいらっしゃらないそうですから、実の妹も同然の方かもしれません。それだけではありません。彼女のお父様は、ミッターマイヤー夫人の亡きお母様の兄に当たる方で、夫人とも従姉妹関係になります」
 ヒルダは知る由もなかったが、この女性こそ、孤児となったエヴァンゼリンが、最初に預けられた家を飛び出して身を寄せた叔父の家にいた当時、まだ幼かった従妹達の上の娘が成長した姿だったのだ。
 ミッターマイヤーの両親は、息子が養女のエヴァンゼリンと結婚してまた夫婦二人の家になると、今度は妻の姪を下宿させて大学に通わせていたのだった。
「確かに、これなら充分エルスハイマー次官に対抗できるわね。ミッターマイヤー夫妻共通の従妹だなんて、これ以上ない強力なコネと考えても不思議じゃないわ。ただし、文官の人事に本当にそういうのがあるとすればだけど」
 サーシャが皮肉を含んで言う。
「でも、カールが優秀で、真面目な官吏であることは確かだわ。エリザベート嬢のことさえなかったら、私達だってずっとこの人を信頼していたと思うわ」
 ヘレーネが、少し悔しそうに正直な気持ちを吐き出す。
「そうね。それに、現実問題として、そこにミッターマイヤー元帥のお身内という付加価値が加われば、皇帝陛下の覚えも早いでしょうし、そうなったら、本当に将来の尚書というのも有り得たかもしれないわね」
 ベアトリスも同意する。
「でも、立憲体制にして首相になるというのは、少し飛躍していないかしら? それって、結局、帝国が共和主義化するということにならない?」
 アンナが尤もな疑問を呈すると、リスナーの少し相手を小馬鹿にしたような口調が部屋に響いた。
「共和主義の何がいけない? 民衆を堕落させ、国を腐敗させることに於いては、専制政治の方が余程適している政体だよ。問題は、数十年かけて、民衆をどれだけ主権を担える程に成長させられるかどうかだ」
 ヒルダとサーシャは、息を飲んで沈黙した。これはまさに、つい数時間前に2人の間で交わされた会話の再現だった。
 リスナーは、最後にもう一度向き直ると、今回の件にロジーナ・バイルシュミット嬢は無関係であり、自分と彼女との関係は、自分の方からの一方的なものだったことを念を押して述べ、彼女の将来の為にも、できれば調書から彼女の実名を削除して欲しいと依頼した。
 ヒルダとリンザーは、その件を即答で了承した。
 リスナーによると、新王朝発足後、民政省に移動になり、尚書の随員に選ばれてロイエンタール邸の夜会に参加した時、久々の華やかな場所で、貴族の娘たちを物色している独身の同僚達を、彼は冷めた目で眺めていた。
 そんな時、突然目の前で一人の娘が前のめりに躓いたのを偶然助け起こすことになる。若い娘は、顔を真っ赤にして恥じらいながら礼を言い、足早に去っていった。
 リスナーはその時には、その娘に対して何の興味も感じていなかったという。
 暫くして、皇帝一行が現れ、継いでファーレンハイト提督の結婚を祝うシャンパンが配られると、テラスを背にグラスを呷っていたリスナーの耳に、先程の娘の泣きそうな声が聴こえてきた。
「伯父様、伯母様、やっぱり私にはこんな席は場違いだったわ。さっきも履きなれない靴でドレスの裾を踏んでしまって、知らない方に助けて頂いたの。それに、若い女の子は、みんな私よりきれいで洗練されていて、恥ずかしいわ…」
「何を言うのロジーナ。そんなのあなたの思い過ごしよ。あなただって充分きれいよ」
 慰めるように言う伯母らしき女性のすぐ後から、彼女の夫も妻に追従する。
「そうだとも。貴族のご令嬢方が洗練されて見えるのは、お前より化粧が上手かったり、ドレスを着慣れているだけさ。お前より素で美しいのなんて、せいぜい半分…いや、3分の1くらいさ」
 伯父らしき男の、こちらも洗練されているとは言い難い慰めの言葉に、リスナーは思わずシャンパンを吹き出すところだった。確かに、彼の言う通りかもしれない。
「とにかく、今夜はあまりボロが出ないように、大人しくしているわ。せめてウォルフ兄様とエヴァ姉様に恥をかかせないようにしなくちゃ」
 その言葉を聴いた途端、リスナーは硬直した。
 そして、3人の会話に耳を澄ませて聴き入っているうちに、彼女が何者なのかを知ることになる。
 それでも、彼はそれだけですぐに彼女と結婚したいと思ったわけではないと言う。
 偶然を装い、夜会のラストダンスに、さり気無く誘うと、初めて互いの名を名乗り、連絡先を交換し合った。
 ロジーナは、フォンのついたリスナーの名前に少し緊張したようだったが、「なぁに、今時貴族なんてもう名ばかりですよ。僕なんか次男なんで家は兄が継いでます。今は民政省の下っ端役人です」と言って、彼女の警戒心を和らげた。男爵号を所持していることも、高級官僚であることも敢えて言わなかった。
 ロジーナの方も、帝国元帥の権威を振りかざすことに躊躇いを感じたのか、私立大学の学生で、今は伯母夫婦の家から通っているとしか言わず、ミッターマイヤーとの関係には触れなかった。
 こうして、リスナーは、彼女が何も言わないことに合わせて、ミッターマイヤーの親族であることを知らないふりをして、交際をスタートさせた。
 リスナーは、ミッターマイヤー元帥と縁戚になるという野心とは別に、付き合ううちに、だんだんとロジーナという娘に本気で惹かれていった。
 ロジーナは、一見平凡そうだが、話をしてみると思いの外賢く、帝国人女性には珍しくしっかりと自分の考えを持っていることがわかった。
 大学で社会福祉学を専攻した理由や将来の夢を語るのを聞いていると、同年代のエリザベートがいかに甘ったれたつまらない女であるか思い知った。
 ロジーナの方も、生まれて初めて身近に接する貴族青年に、淡い憧れを抱いている様子だった。
 しかし、ロジーナとの交際が順調になればなるほど、エリザベートの存在が益々邪魔になってきた。
 皇帝もミッターマイヤー元帥も、男女関係には潔癖な人柄だと聞いている。非公式ながらもエリザベートと婚約し、身体の関係を持ってしまった自分のような男とロジーナが結婚したいと言ったら、いい気持ちはしないだろう。ロジーナ自身も周囲から祝福されない結婚に二の足を踏むかもしれない。
 折しも、大本営のフェザーン移転が決まった直後であり、文官であるリスナーもいずれはかの地へ赴かなければならない立場になった。
 リスナーは、決断を迫られる時が近づいていた。
「若様。私に考えがございます」
 そう申し出たのは、実家でエリザベートの世話をさせていた老婦人だった。
 普段一切無駄口を叩かず、滅多に自分から口を利かない女の言葉に、リスナーは少し驚いて振り向いた。
 元々辺境の領地惑星の邸に仕えていた奥女中だったが、使用人の人員整理の際、身寄りがなく高齢であることを不憫に思った兄弟が、唯一の女手としてオーディンの邸に呼び寄せた。彼女もそれを恩義に感じているらしく、リスナーと兄の伯爵には忠実に仕えてくれているし、わがままなエリザベートの世話も嫌な顔一つせず黙々とこなしている。
 そんな彼女が、この時初めて自分が地球教徒であることを打ち明け、エリザベートだけでなく、2人の関係を知る者達全員も、一緒に無理なく葬ることができる方法があると言う。
 リスナーは、数分思考した末、この作戦に賭けることを決めた。
 実行場所が、愛着のあるオーディンではなく、フェザーンであるということが、幾分気持ちを軽くもした。
 そして、作戦の手始めとして、本来なら民政省の官吏として、遷都令後にフェザーンに赴く予定だったリスナーは、TIEG-36型感染拡大防止対策室への出向を志願して、大本営の移転と共に一足早くフェザーンの地を踏むことになる。
 エリザベートには、2日遅れの便を用意し、フェザーンの方がリップシュタット派に対する風当たりも少ないし、生活用品も発達しているので、便利で暮らしやすいから、向こうで結婚して新生活をはじめようと言って説得した。
 単純な女はすぐに承知すると、自分に仕える女と結婚すると思っている男に命を狙われていることなど思いもせずに嬉々として豪華客船の特等船室に乗り込んだという。
 こうして、リスナーは、ルビンスキーと地球教徒が仕掛けていた爆破テロに便乗して、5人の人間の殺害を実行したのである。

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長くなったので、一旦ここで切ります。
次回、エピローグをつけておしまいです。

イノセント・プリンセス15(ハーレクインもどきスピンオフSS)

【100000ヒット記念企画】

 リンザーが到着し、全員が会議室に入るまでの短い時間に、ヒルダは別室から密かにロイエンタール邸にヴィジフォンを入れ、伯爵夫人にことわった上で、執事に去る8月の夜会の際に撮影した3Dホームビデオを転送して欲しいと頼んだ。
 エルフリーデもロイエンタール家の執事も少し怪訝な顔をしたものの、快く承諾してくれると、間もなくヒルダの端末宛に、4時間近くにも渡る映像データが高速回線を伝って送られてきた。
 当時、帝国中の話題をさらった豪華で大規模な夜会だったが、混乱を避けるためにマスコミの取材を極力制限したので、公式な画像データは極限られたものしか残っていなかった。
 しかし、ヒルダは最近になって、エルフリーデとの何気ない会話から、ロイエンタール邸の使用人が、ほぼ開始から閉会までを会場内の8ヶ所に設置した高性能プライベート3Dカメラで撮影していたことを知った。
 彼等にしてみれば、近い将来の遷都を見据えた大本営移転が決定した直後であり、この邸の最後の華やかな場面をできるだけ記録に残しておきたいとの気持ちだったのだろう。だが、それが、後になってこんな意外なことに役立つとは、撮影者達も思いもよらなかったに違いない。
 ヒルダは、普段は殆ど使わない室長室の小部屋に篭ると、早送りで映像データを流し、目的の人物を探した。
 8倍速で再生を始めて10分強、記録上1時間22分後という意外な早さで、それらしき人物を突き止めた。
 更に、その部分を切り取ってコピーすると、同じ映像をベアトリスの個人端末とロイエンタール邸に送信して、確認をとってもらった。
 その返事を待っている間に、リンザーの到着を告げられると、対策室のメンバーは、全員隣室の会議室に入った。
 この会議室のテーブルは円卓で、上座と下座がはっきりしている長方形の帝国式とは対照的だった。
 少ないメンバーが、身分や階級を超えた連帯を持てるようにというヒルダの希望で選ばれたものだったが、この日のヒルダは、真っ先に部屋に入ると、入口を塞ぐように自ら形式上は一番下座とされている席に、ドアを背にして腰掛けた。
 ヘレーネ達4人がそれに続き、ヒルダを守るように2人づつ両脇を固める。
 逆にリンザーが、ヒルダと向かい側の入口から一番遠い上座へ腰掛けると、残りの3名の男達は、自然とリンザーの両脇の椅子にそれぞれ着くことになった。
 出席者達は、各々の席のテーブルに設置されている端末のキーボードカバーを上げると、それぞれのIDと指紋認証でログインして、スタンバイした。
 フェザーンの最新版端末らしく、ディスプレイの形はなく、キーボード部分の奥に数センチ浮いた形の四角い画面が出現する。
 更に公開資料は、テーブル中央に映像を投影させることができる。
「リヒャルト。いえ、クリューガー中佐、あなたは、地球教徒ですね」
 全員の準備が整った直後、ヒルダの抑揚のない冷たい声が響き、自分の正面より向かって一人分右側に座るクリューガーを凝視した。
 その場にいた全員が一瞬戸惑いの表情を見せる。
 特に、女性准尉達は、糾弾されるべき人物がいるとすれば、てっきり消去法でカールことリスナー管理官だとばかり思っていただけに、互いに顔を見合わせている。
「ばかな…! なぜ私が」
 案の定、クリューガーは抗議の声を上げた。
「では、あなたの右袖の内側を見せて下さい」
 ヒルダが、表情を変えずにいい放つと、クリューガーは、今まで見せたことのないほど狼狽して、咄嗟に自分の軍服の左袖に右手を添えて隠した。
 その行動が、ヒルダの指摘の正しさを何よりも雄弁に語っていた。
「くっ…」
 観念した彼が、奥歯を強く噛み込もうとした瞬間、隣に座るリンザーが、彼の首に至近距離から麻痺モードにしたブラスターを放った。
 クリューガーは、上半身の神経が一時的に麻痺し、口も手も動かす力を無くした。
 リンザーは、手配していた憲兵隊の兵士を呼び、クリューガーの腕を掴んだ。彼の右袖の内側に、「地球はわが故郷、地球をわが手に」という刺繍を確認すると、待機していた兵士達に引き渡した。
 兵士達は、クリューガーの口に、自殺防止用のマスクを装着すると、自力で動けない彼を両側から支えて、引き摺るようにして部屋を出ていった。
「どういうことですの?」
 ベアトリスが、昨日までの推理と違いすぎる成り行きに、隣に座るヒルダに疑問の目を向ける。他のメンバーも、思いは同様だった。
「今見ての通りです。クリューガー中佐は、今回の爆破事件の主犯格の一人であり、実行犯の一人でもあったということです」
 ヒルダが静かに、だが、はっきりと宣言すると、リンザーが冷静に問い返した。
「フロイラインが、そう思い至った理由は?」
「一つは、今回仕掛けた罠の反応です。そして、宗教に救いを求めたくなっても不思議ではない彼の経歴です」
 ヒルダはそう言うと、独自に調査させたリヒャルト・クリューガーの詳細な経歴を中央に投影させた。
 そこに列記されたものは、現時点から遡って読めば、一見何の変哲もない順調に出世を重ねている平民出の軍官僚のものに思えた。
 しかし、ヒルダは今回、敢えて任官し公職に就く以前の出生時からの経歴も細かく洗い出させていた。

 リヒャルト・クリューガーは、帝国歴459年、オーディンで平民の中流家庭の三男として生まれている。
 新政府の首脳の中では、丁度ミッターマイヤー元帥と同年に当たる。
 両親共に平民であったが、父親は門閥貴族系企業の下請け会社を経営しており、そこそこ裕福な家庭だったと推察される。母親は専業主婦であった。
帝国歴469年10月 大学在学中に徴兵された長兄が戦死(10歳)
   470年12月 母親が病死(11歳)
   472年 3月 親会社を経営していた貴族が失脚した煽りを受け父親の会社が倒産(12歳)
     同年 8月 父親が自殺。以後、次兄と共に遠縁の家に身を寄せる(13歳)
   475年 9月 士官学校入学(15歳)
   478年11月 奨学金で大学に在学していた次兄が徴兵され戦死(18歳)
   480年 8月 士官学校を卒業。少尉として統帥本部情報処理科に配属。(20歳)
   483年 9月 中尉に昇進(23歳)
   484年 6月 親族の紹介で知り合った女性と結婚(24歳)
   486年 3月 大尉に昇進すると同時にイゼルローン駐留艦隊へ転属となり単身赴任(26歳)
   487年 5月 イゼルローン要塞陥落と同時に上官であったオーベルシュタイン大佐(当時)に従って要塞を脱出、オーディンに帰還。ローエングラム元帥府に転属し、引き続き総参謀長となったオーベルシュタインの配下となる。(27歳)
     同年 6月 第一子(男児)誕生
     同年 7月 妻に対しにて民事審議院に離婚通告し受理され離婚成立       
488年 9月 リップシュタット戦役後、フェルナー大佐(当時)の下へ配属され少佐に昇進(29歳)
新帝国歴 1年 6月 軍務省調査局勤務となり中佐に昇進
     同年 9月 大本営移転に伴いフェザーンへ移転
     同年10月 当人の希望によりTIEG-36型感染拡大防止対策室へ出向

「天涯孤独な人だったのね…」
 家族全員が死亡している状況に、一番先に感想を述べたのは、似たような境遇のヘレーネだった。
「確かに同情すべき点は多いけど、それだけで地球教に走るって納得できないわ。こう言ってはなんだけど、旧体制下の平民にはよくある話でしょ。うちだって、リップシュタット戦役で会社は潰れてるし、私も婚約破棄されてるし」
 サーシャがヘレーネの憐れみの篭った言葉に反論するように言った。
 彼女の実家は、ブラウンシュヴァイク派の貴族が牛耳る半国営企業グループの下請け工場を複数経営する富豪だったが、ローエングラム体制になって全ての利権を失った。
 クリューガーなどよりずっと門閥貴族の恩恵を受け、その分打撃も大きかった家と言っていい。しかも、親が許嫁に決めた同業者の息子は、枢軸派貴族の臣下だった為、リップシュタット戦役の勃発で婚約を破棄された。
 徴兵されれば命を落とす確率の高い前線へ送られ、商売をすれば寄生している貴族次第で一夜にして全てを失う。これが旧体制下での帝国の平民の一般的な立場だった。
 そんな中で、平民でも比較的裕福な家庭で、知力と体力に自信がある少年の中には、一兵卒で徴兵されて無能な貴族の上官の為に死ぬよりも、自分が命令できる立場に立つことを考え、士官学校を目指す者がいる。ミッターマイヤー元帥は、その成功者の頂点であり、リンザーもバイエルラインも、現在の軍上層部の平民出身者は皆同じような経緯を辿っている。
 クリューガー中佐も、経歴を見る限りでは、そうした平民出身士官の典型であり、しかも、艦隊司令官を別にすれば、31歳という年齢で中佐というのは、かなりのスピード出世と言える。
 彼が何時地球教に入信したのかはわからない。しかし、将来に充分希望を持てる地位にいながら、なぜこのような愚行に走ったのか、ヘレーネにもサーシャにも理解できなかった。
「でも、せっかく家庭を持ったのに、自分から捨てているんですよね? これって、地球教と関係あるのかしら? それとも、これもよくある出世コースに乗った男がやることだったのかしら?」
 ベアトリスが、テーブル中央に投影された文字に目を遣りながら問う。
 男性優位社会である旧王朝下では、同じ身分の夫婦なら、夫側から一方的に離婚できる法律になっており、野心のある男が、自分の将来により有利な妻を得る為に、現在の妻を離婚するという話はままあることだった。
 だが、クリューガーの生真面目な為人と、そのような冷徹さとが、ベアトリスにはピンとこない。
「あ、これ、おかしいわ。486年の3月にイゼルローンに赴任してるのに、487年の6月に子供が産まれてるって」
 アンナが漸く答えに辿り着くと、ヒルダは深く頷いた。
「ええ、私ももう一度見直していて気づいたの。これもよくある話と言えば言えるのかもしれないけれど、ご家族全員を亡くされているクリューガー中佐には、ショックが大きかったことでしょうね。しかも、ここには書かれていませんが、更に調査したところ、離婚された奥様は、産まれた子供を連れて、翌年再婚しています。お相手は、クリューガー中佐の士官学校時代からの友人の憲兵大尉です」
 全員が息を呑む。
 リヒャルト・クリューガーという男は、肉親を相次いで亡くしたばかりか、妻と友人にも裏切られていたというのか。
 もっとも、長期に渡る艦隊勤務を終えた夫が家に戻ると、妻が有り得ない妊娠をしていたとか、子供が産まれていたといったことは、戦時下の帝国ではよく聞く話でもあった。
 ただ、国の都合で理不尽に家族を奪われても、職務に精励し懸命に生きてきた男が、それでも報われず、人生に絶望した挙句に辿り着いた先が宗教だったとしても納得できるものがある。
 旧王朝下では、戦意喪失を招きかねないような事例は、極力表沙汰にしない風潮があった為、どの程度の頻度でこのようなことが起こっていたのか、はっきりとした統計が存在しないので判らない。だが、昔から庶民から貴族まで巷ではよく耳にする話であり、いずれにしろ若い夫婦が長期間離れて暮らさなければならないような環境がよくないのは明らかだった。
 このような悲劇を繰り返さない為にも、同盟との停戦、和平は継続していかなければならないとヒルダは思う。
「これから取り調べれば、徐々に真相が明らかになると思いますが、彼がこの事件に深く関与したことは間違いないでしょう。主犯は地球教の残党と、恐らくルビンスキー一派だと思われます」
 ヒルダの蒼碧色の瞳が怜悧に輝いた。
「では、これであの事件は解決ということになるのですか?」
 ベアトリスが、納得できないと言った表情を露にしながら問う。ボーデン邸に同居する他のメンバーも同じ気持ちだった。
 実行犯がクリューガーなら、今まで散々議論してきたブラウンシュバイク公に連なる人々の件は、いったい何だったのか?
 だが、応じるヒルダの瞳は、まだ緊張を解いていなかった。
「いいえ。私はクリューガー中佐は、実行犯の一人だと言っただけです。彼にエリザベート嬢やボーデン夫人を殺す動機はありません。これは、元々あったルビンスキー一派と地球教の企てに便乗して、邪魔者を消そうとした人物がもう一人存在してこそ成り立った事件なのです。…そうでしょう? カール。いえ、リスナー管理官」
 きっぱりと言い切り、今までにない鋭い眼差しを向けた先には、リンザーの左脇に座るカール・アルベルト・フォン・リスナーの不安気に揺れる瞳があった。
「私が? いったい何故? 何の証拠があってそのような戯言を…!」
「証拠は、間もなく見つかるでしょう。爆破されたビルのセキュリティを担当していた会社に、監視カメラデータのバックアップを提供させました。あなたやクリューガー中佐が起爆装置やゼッフル粒子の入ったカプセルをセットしている場面が見つかるはずですわ」
 しかし、毅然と言い放つヒルダに対して、リスナー管理官の反応は予想外のものだった。
「それは重畳。それだけ確かな証拠があれば、私の疑いも簡単に晴れるでしょう」
 瞳に安堵の色を浮かべて言う彼に、ヒルダははっと思い至った。
『そうだわ。多分、エリザベート嬢のいたサービスアパートメントには、部屋の中の何処かに爆破装置を仕掛けていたに違いないわ。考えてみれば、その方がずっと確実だし、誰にも見咎められない。監視カメラは共有部分にしか設置されていないから、もし彼の姿が映っていたとしても、直接の証拠にはならないんだわ』
 ヒルダは、少し悔しそうに唇を噛んだ。
 公正な司法制度を掲げるローエングラム王朝では、物証なくして人を罪に問うことはできないとされている。
 仮に、リスナーが、本当にエリザベート嬢の内々定の婚約者だったとしても、今の段階では、それは彼が爆破スイッチを押した証拠にはならない。
 地球教徒のクリューガーは、憲兵隊が自白剤を使ってもリスナーの名前は吐かないだろう。その安心感があるからこそ、この男は共犯者が拘束されても、こうして平然としているのだ。
 頼みの綱は、エリザベートの世話をしていた老夫人の証言だが、代々仕えた忠義者だとしたら、簡単に自白するとは思えない。
 ベアトリスを騙った偽メールも、警察が通信サービス会社にデータ提出を依頼したところ、ほぼヒルダ達の推理通りであったことが判明していた。送信時間や送信された端末を特定すれば、リスナー管理官の犯行であることも突き止められるだろう。だが、やはりそれも、彼が爆破事件の犯人だという物的証拠には成り得ない。
 ヒルダは、気を取り直すと、自分の端末画面に目を遣り、今朝から自分宛に入っている何件かの通信文に目を通した。
 0719時という時間に受信している一通は、オーディンのケスラー憲兵総監直々のもので、同じ文面をこちらの捜査責任者であるブレンターノ副総監宛にも送っていることを示していた。
 読んでいたヒルダの目が見る見る曇る。
 ケスラーからの報告によると、彼は、ヒルダの予想を遥かに上回る人員と時間を割いて、モンタージュの老婦人を探してくれたらしい。
 ヒルダが独自に派遣した調査会社の調査員のみでは、目的の人物の確保には時間がかかり過ぎると判断した為、知己である首都防衛司令長官に対して「可能な限りで結構ですので、ご協力頂きたい」という遠慮がちな電文を打って依頼をしていたのだった。
 まだこの夫人が事件に関わっているという確かな証拠がない状況での依頼だったので、帝都防衛の最高責任者で多忙を極めているケスラーに対して、ヒルダとしても強く頼み込むのが躊躇われた為だった。
 しかし、ケスラーは、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた軍人特有の勘で、この老夫人を捜し出すことが、事件解決の突破口になると見極めた。
 直ちに、各星系のハブ宇宙港に検問所を設け、主要航路に非常線を張ると、ヴァルハラ星系内の人口惑星宇宙港から、イゼルローン回廊入口の辺境星系方面へ向かう航路を航行中の民間船に、モンタージュに酷似した女性が乗船していることを突き止めた。
 直ちに艦艇を差し向け、民間船に停止命令を勧告して、憲兵隊が乗り込んだが、その老婦人は、身柄を確保される前に、船内の個室で自ら毒を呷って亡くなっていたという。
 後に遺体を調べた検死官によると、自殺に使われたのが致死量のサイオキシン麻薬であったことや遺留品から、一般信者の中ではかなり高位の地球教徒であることが判明したという。
 ケスラーは、報告の最後に、彼女を生きて捕縛できなかったことを詫びている。
 逮捕に向かった憲兵隊も、相手が女性で、しかも力の弱い老人ということで油断していたのだろうし、まさか自害という行動に出るとは予想もしていなかったようだ。
 だが、地球教徒なら、たとえ生きて捕らえても決して口を割らないだろうと確信できたので、ヒルダはケスラーや憲兵隊のミスだとは思わなかった。
 だが、これでまた糸が切れてしまったことには、落胆を禁じ得ない。
 件の老婦人は、下級貴族の出で、夫が戦死して若くして未亡人となり、身寄りはなく、リスナー管理官の生家である伯爵家の領地惑星の館に、50年近く奥女中として仕えていたことが判明したという。
 旧体制下での希望の持てない人生の中で、彼女が最後に救いを求めたのが、地球教という宗教であったことは、想像に難くない。
 そして、リスナー管理官と地球教徒を結び付けたのが、クリューガーではなく、この夫人であったことも容易に推理できた。
 恐らく、ルビンスキー一派と地球教の残党との間で、先に大本営移転後のフェザーンで、中規模な爆破テロが計画されていたのだろう。
 その情報を得ていた古株の信者であるあの老婦人は、丁度、自分が長年仕えている家の若様が、エリザベート嬢や、自分と彼女の関係を知る人間が邪魔になり困っていることを知る。
『ハインリッヒの時と同じね。地球教徒は、ローエングラム政権の中枢ではなく、その周辺に網を張って機会を伺っている。巧妙で、的を得た配置だわ』
 ヒルダは、壊滅したとされる地球教徒達が、未だこれ程の組織力と団結力を保っていたことに戦慄を覚える。
 リスナーは、恐らく何かの切っ掛けでで、自分が旧王朝の皇婿候補であったことが知れると、官僚としての立身出世に著しく不利になると思い込んでいた。そこで、エリザベート嬢だけでなく、自分を推薦したボーデン夫人や、それを知っていた可能性の高いシュトライトやフェルナー、ボーデン夫人と親しかったバッケスホーフを一気に葬る必要が生じた。しかし、エリザベート嬢一人だけならともかく、自分に疑いがかからない形で5人もの人間を一度に殺すというのは、平和な地表ではなかなか難しいものがある。そんな彼に、長年実家に仕えているあの老婦人は、地球教の計画を伝え、それに便乗する形で邪魔者達を一度に消すことを提案する。リスナーは、それに飛び付いた。
 無論、今から思えば、リスナー管理官とクリューガー中佐、バッケスホーフ事務官が、この同じ対策室に集まったのも偶然ではない。リスナーとクリューガーの2人が、綿密に打ち合わせた上でそうしたのだ。
 そう考えると、あの中途半端な爆破テロの説明も付くのだ。
 被害規模は甚大とは言えず、かと言って、軽微でもなく、死傷者は多くも少なくもなく、何よりもあの場所では、死者の中に皇帝を初めとする軍首脳や尚書クラスの文官は一人もいない。だが、皇帝の側近中の側近である高級副官と、軍務省幹部が、死亡してもおかしくない程の重傷を負ったので、新帝国側としても、それなりに深刻な被害が生じたようにも見える。
 ルビンスキー一派が狙ったのは、まさにこのような状況だったのだろう。
 そして、この爆破テロが、帝国の自作自演であり、フェザーンの民心を掌握する為に1万人以上もの人間の命を犠牲にするという姑息な手段を講じたとの風評を流す。
 皮肉にもインフラが発達し、個人間の通信の自由や不敬罪を除く言論の自由が認められた新帝国のフェザーン内では、この風評は説得力のある事実として広まる。
 それは、即ち、フェザーン人達の反新帝国感情に火を着けることとなり、帝国のフェザーン支配をも揺るがしかねない。
 これが、ヒルダが推理したこの事件の真相の概略だった。
 だが、主犯と目されるルビンスキーや、地球教徒の残党は、未だ足取りが掴めず、状況証拠から実行犯の一人と思われるリスナーを逮捕できる決定的な物的証拠を挙げるのは難しい。
 ヒルダは、唇を噛み締めながら、再び端末画面に目を落とす。
 大本営からの定時連絡の後に、つい30分程前に、珍しいことに軍務尚書直々のメールが入っていた。
 それを読んだヒルダは、最後の賭けに出るか否か、一瞬迷った。
 その時、再び新たなメールが入ってきた。
 発信者は、隣に座るベアトリスである。
 彼女は、ヒルダが先程送ったロイエンタール邸の夜会で、民政尚書の随員として参加していたリスナーと話している女性の映像を送り、ベアトリスの同期や先輩官僚が、宇宙港でリスナーと別れを惜しんでいた女性と同一人物かどうか確認してもらい、その返事を伝えてきたのだった。
 更に、コールラウシュ伯爵夫人からのメールが届き、彼女が何者なのか知ることになる。
 これで、決心がついた。
「10月23日、ヴァレーヌ地区13番街ベジャール通り22番地の雑居ビル」
 ヒルダが突然無表情でそう言うと、リスナー管理官から余裕の笑が消えた。
『勝ったわ』
 ヒルダは、リンザーと女性准尉4人に、余人には分からない小さな目配せを送ると、既にアイコンタクトで意思疎通が可能になっている5人は、即座にヒルダに話を合わせる。
「リスナー管理官、証拠が出た以上、我々は卿を憲兵隊に引き渡さなければならない。だが、卿はここでフロイライン・マリーンドルフの下で、共に感染拡大防止対策に勤しんだ仲間でもある。少なくともここでの卿の仕事ぶりは、有能で誠実だった。できれば、憲兵隊の厳しい尋問を受ける前に、ここで私とフロイラインが、将官の権限を以って聴取を行った上で、皇帝陛下と司法省に直接供述調書を提出する形にしたいがいかがか?」
 リンザーが切り出した言葉に、リスナーはがっくりと肩を落とし、たっぷり10分程項垂れていた。
 実際には、ケスラーを頂点とする現在の憲兵隊は、余程のことがない限り、無闇に拷問紛いの取り調べなど行わないのだが、旧体制下での憲兵隊のイメージの染み付いている帝国民の多くには、まだこの脅し文句は有効だった。
 オーベルシュタインから届いた電文の内容は、ルビンスキーの行方を追っていた直属の一部隊が、事件翌日の10月23日の街頭監視カメラの映像から、98.2%という高確率で、ほぼルビンスキー本人と特定される男が、先程ヒルダが言った雑居ビルに入る姿を捉えたというものだった。
 このビルは、サンピエール商会という会社名義になっており、オーナーは、ルビンスキーの情婦の一人だということもつきとめられている。
 帝国軍のフェザーン占拠後間もなく、1階から最上階の16階まで全てのテナントが契約を解除し廃ビルとなっていた。
 ルビンスキーらしき男は、数名の護衛と思しき男達と、このビルの前に高級車で乗り付け、閉鎖しているはずの入口の鍵を開けさせると、一人で中へ入っていった。
 後にこのビルには、本来無いはずの地下室が存在し、一階奥の目立たない場所に、暗証番号ロックキー付きの扉から地下へ続く階段が延びていたことも判明している。
 フェザーン都内には、まだこうしたルビンスキーのあじとが数箇所あると思われる。
 ルビンスキーがビルに入った15分後、一人の若い男が、ビルの前に現れた。
 残念ながら、監視カメラの位置の関係で、この男は後姿と一瞬の横顔しか映っていない。軍務省でも、現時点ではまだこの男を特定できてはいないという。また、目抜き通りからも遠く、重要地点でもないことから、カメラ自体が旧式で、画像の解像度も低かった。
 男は、体付きはリスナー管理官によく似ていたが、サングラスをかけていることもあり、この映像ではフェザーンの技術をもってしても特定は難しいだろとう思われる。
 男は、車を囲んでビルの前で待機しているルビンスキーの部下の一人と短い会話を交わすと、躊躇う様子もなくビルに入っていった。
 30分後、一人でビルを出てくると、周囲を気にしながら、さっさと大通りに向かって歩き始め、監視カメラの視界から消えていった。この時の映像も、大半が後姿になっており、リスナーだという証明は難しいと思われた。
 ルビンスキーは、更にその5分後にビルから出てきて、再び姿を消している。
 それでもヒルダは、この賭けを続行することに決めていた。
 物証による立件が難しい以上、彼の罪を暴くには、自供による裏付けしかない。
「フェザーンの映像解析技術を甘く見てらっしゃったようですわね。リスナー管理官。ルビンスキーの後から誰もいないはずの廃ビルに入っていった男があなただということは、サングラス一つで隠せるようなものではありません」
 ヒルダは、僅かに良心の痛みを感じながら鎌を掛けると、リスナーの全てを諦めた深い溜息が聴こえた。
 リンザーが、気配を察して、記録装置のスイッチを入れる。
 フレッドことリスナー“中尉”の方も、自分の役目を自覚して、静かに席を立つと、ブラスターを構えてドアの入口に立った。
「では、リスナー管理官。皇帝陛下の臣僚である卿が、なぜ手配中のルビンスキーと会談し、通報の義務を怠ったのか、まずはそこからお話し頂きましょうか」
 リンザーの冷静な口調に、リスナーはいきなり激昂させた顔を上げた。
「俺は…! 俺は、この帝国を改革したかった。腐りきったゴールデンバウム王朝を根底から立て直したかった。無益な戦争を終結させ、社会の不公正をなくし、誰もが幸福に暮らせる世にしたかった。俺自身の為でも、門閥貴族の為でもなく、250億帝国民全ての為に。俺にはその能力があった。だから、あの空っぽ頭の女の結婚相手に選ばれたと知った時は、大神オーディンのご意思を感じたのさ。なのに…なんで…こんな…」
 最後は涙声で再び項垂れるリスナーに、隣のリンザーは、露骨に嫌悪感を現した。
「貴族のお坊ちゃんが何を言ってやがる」という言葉が、言わずとも聴こえてきそうな雰囲気中で、ヒルダのみは、リスナーの心の叫びを神妙に聞いていた。
「わかります。あなたのお志が、純粋なものであったこと、私にはわかります」
 私も同じ気持ちだったからという言葉を飲み込みながら、ヒルダは深く瞑目して頷いた。
 帝国の最高学府で学んだ彼が、あの当時の社会に改革の必要性を感じたことは、同じ門閥貴族に生まれたヒルダには、誰よりも理解できた。
「でも、それを成すべく大神オーディンがお選びになったのは、あなたではありません」
 蒼碧色の瞳を見開き、真っ直ぐにリスナーと目を合わせたヒルダは、毅然とそういい放った。
 そうだ。大神オーディンは、ゴールデンバウム王朝に対して、もう小粒な改革者など遣わす気はなかったのだ。
 その神命を担ったのは、人類史上最も偉大な恒星の如き黄金の覇者であった。
 リスナーは、再び大きく嘆息すると、意外なほどあっさりと、供述を始めた。

コメント一覧

りっく (07/26 20:00) 編集・削除

更新お疲れ様です。

クリューガーの過去もきついですが、リスナー君の叫びも辛い。

まあしがらみが山ほどある中で、実際に改革者たりえたかはおいとくとしても、旧貴族側にだって志を持った人がいてもおかしくないですもん。

全体の絵図は地球教徒&ルビンスキーで、のせられたという感じでしょうか。

エリザベートの世話をしてた婆やさんまで地球教徒だったというのにはびっくりですが。

全体の構図は見えてきましたが、夜会のビデオがどうつながるのかがいまいちわかりません。

それにしても、ロイ家、マニアックというかまめな使用人がいるなあ・・いろんな角度から撮ってるって(爆)

では。

ゆうやん (07/26 22:07) 編集・削除

帰宅当日に見れたなんてらっき~と喜んでます。

いよいよ会議室での謎解きが始まりましたね。
だけど完全な悪人って本当にいなくってそれぞれに事情があって、結局そっちのほうにしか解決を結びつけて考えられなかった・・・というのは切ないですね。
一番あくどいのはその弱みに付け込んだ地球教&ルビンスキーなんでしょうけど。

時間が時間なので連投?とか勝手に期待したりしてますがwwお仕事も忙しいようなので無理なさらないように。
・・・と言いつつビデオの謎が気になります。

Jeri (07/27 15:46) 編集・削除

>りっくさん
ロイ家の使用人たちは、とにかく「立派な旦那様とお血筋のいいお美しい奥様が自慢」というのが先代から続いておりまして…
広い庭だし、立体映像なんで、なるべく多く記録しようと気合い入れたんでしょうw
勿論、クライマックスのダンスシーンや悶絶する△組もしっかり写ってます。

>ゆうやんさん
私には、巧妙なトリックや敵役を創作する腕前はないので、原作に忠実に(笑)、「悪役はルビンスキーと地球教徒」ということにしてしまいました。
私も、もう書く事は決まっているので、あとは時間が取れれば連投目指したいんですが…

りっく (07/28 21:19) 編集・削除

レスありがとうございます。

今読み返したら、少しだけ、ビデオの使い方が分かりました。(一読目で読み飛ばしてたところがあったんで)
リスナーの彼女(?)を探してたんですね。ここから予想したオチは二通り…

さて、当たるか、かするか、はずすか(爆)

では。

Jeri (07/30 00:50) 編集・削除

>りっくさん
そうそう。
リスナー君は、まさに彼女と結婚することが、新王朝内で出世競争に勝つ最短距離だと考えたんです。
そう思ってしまった理由も明らかになります。
リスナーくんの彼女(?)は、実は本編にちらっと登場しています。
まだ名前がないので、これから考えるところです。

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 アイスラー事件の結末は、ヒルダの予想以上に凄惨を極めた。
アイスラー本人が国事犯として、ろくな取り調べも受けぬうちに、逮捕の3日後に処刑されたのは当時の帝国ではある程度予測できることだったが、類が及ぶ範囲の広さに、幼少時から折りに触れて貴族間の権力闘争を耳にしてきたヒルダも一瞬耳を疑った。
 彼の妻と両親、兄弟姉妹をはじめ、成人に達していた4等親内の親族全員が、男女の別なく連座して処刑されたのである。
 更にアイスラーのまだ幼い二人の子供達と未成年の親族達は、全員農奴の身分に落とされて、辺境惑星へ流刑となり、劣悪な環境で平均生存率約1年という過酷な強制労働に従事させられることとなった。
 血縁関係の遠い本家筋の子爵家も爵位を剥奪され、財産を没収された上にオーディンを追放されている。
 ゼミで主導的な役割を果たし、出版にも積極的に協力したとされた学生13名も共犯として、師と共に処刑された。無論、彼等の家族も連座して処刑、又は流刑に処された。
 他は、取り調べの過程で死亡した者と、証拠不十分で釈放された者だが、彼等の命運を分けたのが、アイスラー思想への傾倒の度合いではなく、内務省へのコネと金であったことは、世間知らずのヒルダにも想像がついた。
 入学の際に、出自による優遇措置も差別もないとされる帝国大学であったが、やはり高等教育を受ける若者達だけに、平民にしろ貴族にしろ、殆どが裕福な家庭の出身者だった。
 彼等の親達の中には、我が子の命を救うため、全財産を掻き集めて助命を請うた者も多かったらしい。結局のところ、学生達の命運は、最後には実家の財力が明暗を分けたと言って過言ではなかった。
 但し、一方で、内務省と憲兵隊が功を競う中、治安秩序維持局は、親に財力のない学生に対して、尋問の過程で釈放をほのめかしながら、巧みな誘導尋問を行い、アイスラーの共犯者としての国事犯の数を増やしていった。
 後にヒルダは、無事釈放された学友達を一人一人訪ね歩いたが、全員が廃人同様になっていて愕然とする。
 ある者は、仲間を売った自責の念に耐えかねて精神を病み、ある者は、取り調べ中の拷問によって生じた障害を悲観して自殺していた。
『人間は、自分で思っているよりも遥かに残酷になれる生き物なのだ』
 これは、この事件に間近で接したヒルダの感慨であり、後年、全く違った形で再びそれを実感することとなる。
 最も胸を痛めたのは、ヒルダと一緒にゼミに入った友人の女子大生が、釈放されたその日に自ら命を絶ったことであった。
 葬儀に列席したヒルダは、遺族達の様子や、遺体に外傷はなく、痩せ衰えてもいなかったことで、彼女の受けたであろう拷問がどのような種類のものであったかが想像できた。
「すまない。ヒルダ。私にもっと力があれば…」
 自邸に戻り、喪服姿のまま泣き崩れる娘に対して、父のマリーンドルフ伯は、そう言って肩を落とした。
「いいえ…いいえ…お父様は、できるだけのことをして下さいましたわ」
 父は、あらゆる伝を使って、内務省に働きかけてくれたが、名門貴族の伯爵である彼は、逆に内務省の官吏からも、親族のカストロプ公爵家からも、太い釘を刺されることとなってしまった。
 もし、ヒルダが他のゼミの学生と同じように思想犯として逮捕されるようなことにでもなれば、マリーンドルフ家には、大勢の一族郎党がおり、ヒルダの母方の侯爵家にまで類が及ぶことも免れないだろう。
 ヒルダは、この時、自由に生きているつもりでいた自分が、いかに多くの柵を背負っていることか、また、貴族も平民も、この帝国の大多数の人が、無自覚に精神を抑圧されているかということに気づいた。
 しかし、意外な事実も判明した。
 ヒルダは、当初、ゼミの受講生の中で自分一人が逮捕されなかったのは、内務省が伯爵家に遠慮したのと、当時はまだ官界に顔が利いたカストロプ公爵家の力によるものと思い込んでいた。
 しかし、そうではなく、押収された受講生名簿の中に、なぜかヒルデガルト・フォン・マリーンドルフの名が最初からなかった為であることを知る。
 単なる事務的なミスだったのか、アイスラーの意図的なものだったのかは、今でも判っていない。
 しかし、ヒルダは、そこに、ロベルト・フォン・アイスラーという男の強い意思を感じ取っていた。
『アイスラー先生は、自分の理想の実現を、私に託されたのだ』
 常識的に考えれば、この分野の権威である准教授が、まだ受講2ヵ月目の学生に、しかも彼の思想では否定的立場にある伯爵令嬢に託すなどというのは、非現実的である。
 もしかしたら、同じゼミに所属しながら、自分一人無傷でいることへの罪悪感から生じた妄想だったのかもしれない。
 しかし、ヒルダは何故か確信に近い思いで、この事実を受け止めたのである。


 この国に必要なのは、「改革」などという中途半端なものではない。
 この国は、一度壊れるべきだ。
 そして、一から新しく創り直すのが人類全体の為だ。
 そう、ゴールデンバウム王朝は、滅びるべきなのだわ。


 涙が枯れた顔を上げたヒルダが出した結論は、当時は決して口に出来ないものだった。 だが、同時に、自分達の手でその実現に動くには、自分も父も余りにも多くの手枷足枷で縛られていることも理解していた。
 伯爵家という身分には、特権だけでなく、多くの義務と責任が伴う。幼い頃から言い聞かされてきた教えを、この事件で強く実感することになったのである。
 同時に、この帝国の現状が、歴史上の数多の専制国家の終焉の例に見るよう、既に末期的症状であることも感じ取っていた。
『歴史の流れからいけば、この国には遠からず革命的人物が現れるだろう。銀河連邦の末期に、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが現れたように。何年、何十年先になるかわからないけど、私と同じ志を持ち、私の前を歩く先駆者が現れた時、私は真っ先にその人の元にはせ参じよう』
 その時までに、自分はその人物が必要とする知識と行動力を身に付けよう。
 新たな世で、愛する家族や親族、使用人達が生き残れるかが、自分の才覚にかかっているのだ。そして、それまでは、自分が革命思想の持ち主であることを、決して周囲に悟られてはならないとも思った。
 貴族社会に於いては、せいぜい『変わり者の令嬢』の域を出ず、なるべく周囲と摩擦を起こさずにやり過ごし、静かに、そして確実に、来るべき日に備えて爪を研ぐのだ。
 もし、自分の代で実現できなければ、その志を次代のマリーンドルフ家の当主に受け継がせよう。
 こうして、ヒルダは、自らの人生の方針を定めた。
 そして、待ち望んだ革命家は、彼女の予想を遥かに凌ぐ速さで、颯爽と現れた。
 ラインハルト・フォン・ローエングラム。軍部の圧倒的支持を背景に、姉以外近しい係累を持たないという彼は、ヒルダのように改革を躊躇しなければならない柵を持たない。まさに理想的な革命家だった。
 軍政に天才的手腕を発揮する黄金の髪と蒼氷色の瞳を持つ青年は、その圧倒的な美貌とカリスマ性で国民を魅了し、ヒルダの眠っていた女心にさえ仄かな灯を灯した。
 彼こそが救世主であると確信したヒルダは、自分と一族の命運を背負って賭けに出て、そして勝利した。
 こうして、ローエングラム政権の中枢に身を置くようになったヒルダは、新たに登用された改革派の官吏達と連携して、ゴールデンバウム王朝時代の政治犯の釈放や、彼等の名誉の回復に尽力することになる。
 アイスラー事件で政治犯収容所に収監されていた元学生達も、ラインハルトが帝国宰相に就任して間もなく、無条件で釈放された。但し、その時点で生き残っていた者のみということではあったが。
 アイスラーの研究は、現在、地球学と名を改めて、研究対象範囲を拡げ、独立した学問として発展を遂げようとしている。
 しかし、ヒルダがどれほど奔走しても、彼の研究成果が見直され、新帝国で地球学が奨励されるようになっても、アイスラー自身の名誉が回復されることはなかった。
 原因は、彼の時代を超越した政治思想にあった。
 アイスラーの思想は、ゴールデンバウム王朝を否定したが、同時にローエングラム“王朝”も認めていなかった。
 地球時代末期の先進文明国の政治形態を理想とする彼の思想では、一人の人間が長く権力の座にあることや、国家元首を世襲することを是としていなかった。
 現在の新銀河帝国は、ラインハルト・フォン・ローエングラムを始祖とする世襲王朝であり、彼の子孫によって統治されていくことで民心の安定を図っている。現時点では、2代皇帝は彼の息子へ、3代皇帝はその息子へと統治権を受け継いでいくことが建前となっている。
 アイスラーの思想は、これを真っ向から否定するものだった。
 ヒルダは、理論としては、それが正しいと思っている。
 一人の傑出した人物の才能や人格が、子々孫々まで受け継がれるとは限らないし、また、そうならない例の方が恐らく多いのではないかと思う。
 今回の事件で知った“ブラウンシュヴァイク家の三傑”にしても、リップシュタットで醜態を晒した最後の当主オットー個人に忠誠を誓っていたわけではないだろう。
 貴族社会の動静に疎いヒルダだったが、ブラウンシュバイク家の隆盛を築いたとされる中興の英主、今から120年程前の第14代ブラウンシュヴァイク公の功績については、女学院時代の近世史の授業で習った覚えがあった。
 当時のブラウンシュヴァイク家は、元々帝国内でも100家に満たない数しかない最高位の爵位である公爵家の中では、可も無く不可もない地味な家だった。
 それを巧みな領地経営と、卓越した統治能力で、兵役で男手の少なくなった領地内の産業を復興し、生産力を飛躍的に上げたことで、自領を帝国内屈指の富裕星系に押し上げた。
 彼が後世にまでその業績を讃えられたのは、単に領地を上手く治めて経済発展を達成したことではなく、貴族としては珍しく、領民主体の改革を行ない、それによって領民達の生活を飛躍的に向上させたことにあった。
 惑星ヴェスターラントに入植し、開墾を奨めたのも彼の存命中のことであった。
 また、身分を問わず、優れた人材を積極的に登用し、才能のある者は、平民や下級貴族でも重臣に取立て、一門の貴族よりも優遇された程だったという。この時期に、取り立てられた平民の中には、公爵によってフォンの称号を与えられた者も少なくない。
 このゴールデンバウム王朝後期の名君は、優れた人格と人徳を併せ持ち、強いカリスマ性にも恵まれていたという。そして、彼に見出され、彼の元で手腕を発揮した臣下達から、絶対の忠誠を得ていた。
 そして、彼等は主家の御恩に報いる為、その忠誠を子々孫々までブラウンシュヴァイク家に捧げることを誓ったという。
 アンスバッハもシュトライトも、多分、この時の忠臣達の末裔なのだろう。
 ヒルダが、立派な女伯爵となるべく父に言い聞かされてきたように、彼等もまた、ブラウンシュヴァイク家の為に尽くすことこそが、自分に課せられた使命であると親に言われながら育ち、それを忠実に実行してきたのだと考えられる。
 この14代ブラウンシュヴァイク公は、妻も賢夫人の誉れ高い女性で、夫婦共に次代当主の教育にも熱心だったという。しかし、彼から数えて5代目で、ブランシュヴァイク家は最悪の暗君を当主に仰ぐことになってしまう。
 そんなことを思い出すと、確かに血統によって国を統治することの限界を考えさせられる。
 自分も含めて、現在、皇帝ラインハルトに忠誠を誓う武官も文官も、彼の子孫にどんな人物が現れても、自分の子孫にローエングラム王朝への忠誠を誓約させたいのだろうか?
 文官はともかく、彼を軍神のように崇める提督たちは、多分、迷いなくそう考えていることだろう。
 だが、ヒルダは敢えて今はその矛盾と危険性には目を瞑ることに決めていた。
 理由は、当のラインハルト自身に、子供どころか家庭を持つ気があるのかさえあやしく、自分の死後も自身の血統が代々帝国を支配していくという世襲王朝のセオリーにあまり執着がない様子であることにあった。
 そして、軍首脳と閣僚、側近達を合わせても、ヒルダを除いては皇帝が最も若く、彼が普通に寿命を全うすれば、その時点で建国の功臣であり英雄でもある国家の元勲達は、皆ヴァルハラに旅立っていることであろう。
 ラインハルトがやろうとしているのは、500年に渡って荒廃し退化した帝国を、まず強権を発動しての「上からの改革」を早急に推し進めることである。それにより、社会発展を促し、自分の在位中にやれるだけの改革をやってしまえば、後は立憲体制に移行しようが、大統領制に移行しようが、それが人類を幸福にするならば、敢えてローエングラム王朝の存続に固執しない考えでいるらしい。
 少なくとも現時点での彼はそう考えている様子だった。
 いきなり民主主義だの国民主権だのと言ったところで、500年近くに渡る専制支配に慣らされた今の帝国民は、かえって混乱するばかりだろう。
 帝国の大多数の国民にとって、政治とは、お上のやることで、自分達がそれに参加するという意識は殆どない。
 国民の半数以上が、初等教育しか受けず、大学や専門家養成機関(士官学校や軍医学校がこれに含まれる)で高等教育を受ける人間が全体の3%にも満たない現状では、これは無理からぬことでもある。
 国民の教育レベルの底上げや意識改革には、10年単位の時間が必要であることは、誰もが認めることである。
 現在、23歳の若き皇帝には、その時間が充分にある。
 彼が頭の中で構築した改革を全て終えた時、帝国の政体がどうなっているのかは、今は分からない。
 ただ、確かなことは、その時こそ、アイスラーの名誉が回復され、彼の思想が晴れて帝国内で自然に受け入れられることになるだろうということだった。
 私はそれを、この目で見ることができるのかどうかと、ふとヒルダは思った。


 サーシャと対策室に戻ったヒルダは、用意された軽い朝食を食べると、通常業務に入った。
 だが、頭の中は、爆破事件のことでいっぱいで、彼女には珍しく仕事が手につかなかった。
 軍病院からの報告によると、殺されかけたケルトリングは、まだ意識を取り戻していないらしいので、彼が今度の事件に関わっていたのか否かは依然として謎のままだ。
 普通に考えればヘレーネが言うように、最後の生き証人として口を塞がれたと見るのが妥当だろう。しかし、あの時、逮捕に向かった兵士達が、あと数分、いや1分遅かったら、彼は組織からシュトライト暗殺失敗を知らせれて観念して自害したと判断され、事件は決着したかもしれない。
 リンザーが迅速に兵を動かしたことで、間一髪それは阻止できたわけだが、そうなると、ここまで周到に事を運んだ人物にしては、どうにも間抜けな話だと思う。
 実行犯が、ケルトリングにしろリスナーにしろ、彼等は良くも悪くも骨の髄まで帝国貴族のはずだ。特に彼等のような、生家の爵位を継がない立場の優秀な次男、三男なら、自分の身を守る術に於いては、人一倍優れているはずだ。地球教徒などと組んだ時点で、自分自身も最後に消される可能性を充分計算に入れていたはずである。それを易々とあのような形で毒殺されかけたということは、ケルトリングが無防備であり、この事件とは無関係である証拠ではないか?
 だが、シュトライトの暗殺者が、リスナーが訪問するはずのフェザーン中央病院ではなく、ケルトリングに知らせたフェザーン医科大学附属病院に現れたのは、紛れもない事実である。
 これをどう見るか?
 ヒルダは、全く頭に入っていない端末画面に視線を落としながら、思案に暮れた。
  
「宗教を盲信する人間を、精神的に弱いの一言で片付けてしまうのは軽率な判断だよ」

 ふいに、ゼミでのアイスラー准教授の言葉が頭の中で響いた。
 たしか、話が少し脱線して、地球教について話題になった時のことだった。
 昔から、地球時代の文化やテクノロジーについて研究する学問と、地球教という怪しげな宗教とを混同する傾向があり、その所為か「地球学」が、新王朝に代わって重要な国家プロジェクトを担う学問として政府公認となるまでは、一般には地球研究についての偏見は根強かった。
 その為、アイスラーのゼミに長く在籍していた学生達の間では、地球教という怪し気な宗教の為に、自分たちの先進的な学問がなかなか理解されないと嘆く者も多かった。実際、ヒルダもゼミのタイトルを見た時点では、地球教の布教活動か何かの集りかと一瞬思ったくらいだった。
「人間は、皆弱いものさ。生きていくには、何か拠り処を必要とする生き物なんだ。その拠ろ処が、人によって違いがあるだけの話しさ。家族や友人だったり、仕事だったり、自分を慕ってくれる弟子達の場合もある。自分自身が才能や容姿に優れていれば、それが自信に繋がり、生きる糧になるかもしれないし、財力や家柄、血統なんかを拠り処にしている連中だっているさ」
 嘲笑を含んだ最後の一言は、明らかに当時の無能な門閥貴族達を指していた。
 アイスラーの言葉は更に続いた。
「宗教は、元々救いを求めて何かに縋りたい人間を救うものだ。私だってもし、ある日突然、好きな研究を取り上げられ、妻と子供達が消えてしまったら、迷信だろうが非科学的だろうが、最終的に宗教にでも縋りたくなるかもな」
 軽口を叩くように言った准教授だったが、目が意外に真剣だったことをヒルダは鮮明に覚えていた。
『そうだわ。この国には、何かに縋らなければ生きていけない程の絶望を味わっている人達が、まだ数え切れない程いるんだわ』
 ヒルダは、出兵の度に大切な人を亡くす何万人もの人々がいることを思い出す。
 アイスラー自身は、宗教に救いを求めるようなタイプの男ではなかったと思うが、彼が言わんとしていたことは、今ならば当時よりよく理解できる。
 そう考えた時、ふいに頭の中が明るくなっていく感覚を覚えた。
 ヒルダの明敏な頭脳の中で、この事件の最後まで不明だった部分が、急に明確な輪郭を描き出した。
『実行犯は、一人とは限らなかったんだわ。そして、動機も一つとは限らない…!』
 ヒルダの蒼碧色の瞳が、いつもより強く輝いた。
「皆さん、ご苦労ですが、今から至急会議室へ集まって下さい。ヘレーネ、リンザー准将にもいらして頂くよう連絡して下さい」
 椅子から立ち上がったヒルダは、その場にいる対策室のメンバーを見渡しながら決意を秘めた表情で、軽く頷いた。
 いよいよ犯人にとって、最後通告の時が迫っていた。

コメント一覧

葵猫 (07/08 20:34) 編集・削除

色々大変な中、更新お疲れ様です。
いよいよ大詰めですね。
期待してます!

Jeri (07/09 00:03) 編集・削除

>葵猫さん
ありがとうございます。
今、急ピッチでラストに向けて書いてます。

非公開 (07/09 00:38) 編集・削除

管理者にのみ公開されます。

Jeri (07/09 01:16) 編集・削除

>アイスラー先生がヒルダ覚醒のためにわざとお縄になったんだとしたらあまりな

いえいえ、切っ掛けとなった出版物は、フェザーンで刊行されたものだし、ペンネームだし、まさか本人も同盟領まで巻き込んでのベストセラーになるとは思いもよらなかったんでしょう。
バレたのは、学生の中に、スパイというか、何かの事情で密告したのがいたんでしょうね。
そういう世界なんです。

>原作の限界というのはほぼ当時の一般的な日本の風潮の限界

私はそこまでは思わないんですよね。
あの当時も今も、世襲の専制国家を滅ぼしたら、次は取り敢えず強力なリーダーのを元首にしての非世襲独裁政権でしょう。
その役職が、大統領でも最高執政官でも首相でもいいと思うのですが、世襲による国家の統治をあれだけ否定していたラインハルトが旧体制を倒した後、自ら新しい世襲王朝の始祖となるのは、どう考えても主義主張に一貫性を欠きます。
彼は、あれほど心の中で蔑視してたエルウィン・ヨーゼフやカザリン・ケイトヘンの即位を敢行しながら、自らの後継者に、人格も資質も不明な生後2ヶ月の息子を残して死亡します。
もしろん、母親であるヒルダが摂政となることが前提であり、彼が実質帝国を託したのはヒルダであると言えます。
まらば、なぜ、「皇帝の遺言により、予の最も相応しい後継者をローエングラム王朝第二代皇帝として指名する。武官、文官共に、予の死後、次の皇帝を助け、改革を進めて欲しい」と、居並ぶ閣僚達と軍高官を前にして言えなかったのか?
素直にヒルダに対して、「カイザーリン、あなたを二代皇帝に指名したい。予の意思を継いで、ローエングラム王朝第二代皇帝、ヒルデガルト1世として即位して欲しい」と言えなかったんだろうか。
「アレクサンデルが帝国を統治するに相応しい男なら、皇太子として、皇帝に即位させるもよし、他に適任者がいれば、その者へ帝権を譲渡しても構わない。立憲体制に移行するもよしだ。全てあなたに任せる」
 即答を躊躇するヒルダに、
「予があなたを次の皇帝に指名したのは、あなたが予の妻だからでも、息子の母親だからでもない。あなたが、この世で最も優れた統治者であると見込んだからだ」
この言葉に打たれ、時期皇帝を了承するヒルダ。

こうして考えると、いくらいい両親の間に生まれたとはいえ、生後二ヶ月の乳児を絶対権力者にして死んでゆくラインハルト、なんか情けない。

中継ぎにしろ、ヒルダの即位が一番納得できるし、摂政と実際の皇帝とでは、やはりいざという時に発する命令の重さも違ってくるだろう。
女は中継ぎで、表のことに口を挟むべきでない。
保守的な団塊世代オヤジの本音なんでしょうか。

非公開 (07/09 09:28) 編集・削除

管理者にのみ公開されます。

Jeri (07/09 10:44) 編集・削除

>宗教なんぞに走る奴の気が知れん的な意見は特に左系に多かった

なるほど。確かにそうかも。

ゆうやん (07/09 13:09) 編集・削除

梅雨が明けて蒸し暑さ全開!です。体力うせる・・・

次回、いよいよ会議室なんですね。出世にジャマな女を消しただけの動機からさらに発展していくようで続きが楽しみです。

Jeri (07/09 15:46) 編集・削除

>ゆうやんさん
万年猛暑の国でくらしてると、かえって動かなくなって皆体力なくなってます。
そちらは梅雨明けしたんですね。
なんかすごい豪雨が降ってるニュースを見たんで、よかったとも思ったんですが、これから暑さとの戦いになるんですね。
私は既に連日35度超で、感覚麻痺してますw

まこりん (07/09 17:12) 編集・削除

お暑うございます。いよいよ次回ですね。
ところで、細かいことですが、ブラウンシュヴァイク家とアンスバッハの関係について。
原作では、大名と家老のような関係だったのか、アンスバッハがたまたま配属された先がブラ公のところだったのか(社長と従業員のような関係)、どうもはっきりしないんです。
あれだけ忠誠心があるのだから、前者と考えた方がスッキリするのですが、そうすると、中央集権的に見える帝国軍の組織のあり方と矛盾するような気がするし~と、ずっと頭を悩ませておりました。
ところが、舞台版では、アンスバッハが明確に「ブラ家に代々仕える」と言っておりまして、「な~んだ、それで良かったんかい」とw
そんなわけで、Jeriさんの今回のブラ家の話も、すんなりと入れました。

Jeri (07/09 20:53) 編集・削除

>まこりんさん
ほんと暑いですねー
ブラ公とアンスバッハの関係ですが、もう20年近く前、一緒にOVAを見てた友人に、「いくらマーロン・ブラントでも、なんであんなおバカな奴にあそこまで忠義を尽くせるんだろうねー。アンスバッハは元々ラインハルトの覚えもめでたかったんだから、早くに投降してれば新王朝で出世もできただろうに」と言ったところ、「きっとブラ公の先祖に『暴れん坊将軍』の吉宗みたいなすっごい名君がいて、アンスバッハの先祖は、大岡忠相みたいに大抜擢を受けたんだよ。だから『以後、子々孫々まで忠義を尽くします』とか何とか…」
というわけで、今回の舞台で、アンスバッハ役の高山氏の名演技に刺激されたこともあって思いついた捏造です。

>中央集権的に見える帝国軍の組織のあり方と矛盾する
それ、私もすごい感じました。
リップシュタット以前のアンスバッハやシュトライトは、ブラ公の私兵の中の幹部みたいな役割でいながら、正規軍の准将だというのが、どうにも矛盾するんですよね。
でも、やっぱりそれも思考停止して無視するのがよしりん流なのかと、あらためて思いました。

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「どうせあなたには、一生わからないでしょうね」

 懐かしくも悲しい声がする。
「いいえ。私もあなた達と同じ人間よ。痛みも苦しみも感じるわ」
 必死に訴えるヒルダに、声の主から返事はない。
 いくら待っても、底無しの静寂が不気味に続く中、ヒルダは必死に仲間達の姿を探した。
「ヒルダ…ヒルダ…」
 サーシャの声で目を覚ますと、時刻は0830時になっていた。
 思ったより長く眠ってしまったらしい。
 憲兵隊の仮庁舎ビルから大本営に移動したヒルダ達は、登庁時間になるまで別室で仮眠をとることになった。
 簡易ベッドで微睡み始めたヒルダは、久しぶりに遠い記憶が蘇る夢を見ていたのだ。
「皆、隣の部屋にいます。コーヒーとサンドイッチがありますから、召し上がって下さい」
「ありがとう。…あ、あの…あなたは確か、帝大で私と同級だったわよね?」
 部屋を出ようとするサーシャを、ヒルダは思いがけない言葉で呼び止めた。
「ええ。私は平民出の経営学科の一学生でしたが、政治学科のフロイライン・マリーンドルフといえば、全学的に有名でしたわ。今こうして話しているのが不思議なくらい」
 サーシャは笑い声で言ったが、話を切り出したヒルダの目は暗かった。
「それなら、あなたも覚えてるかしら? アイスラー事件のこと」
「ええ、当時は箝口令が敷かれて、世間にはあまり知られなかったみたいですが、在学生だった私達にとっては、忘れようにも忘れられない事件でしたわ」
 サーシャは、勿論といった表情で頷きながら、突然ヒルダの口から旧体制下の風化しつつある事件の話が出たのが意外そうだった。
「…私も、あのゼミの一員だったの」
「えっ!?」
 苦悶に満ちた表情で目を伏せたヒルダに、サーシャは「嘘でしょう?」と言わんばかりの顔で声を上げた。その様子に、ヒルダは苦笑した。
「そんなに意外かしら?」
「ええ、だって、あなたは伯爵令嬢で…」
「そうね。皆そう思っているようね…」
 答えたヒルダの声は、いつになく寂しそうだった。
 帝国歴487年1月、オーディン帝国大学准教授ロベルト・フォン・アイスラーと、彼のゼミの学生38名が、当時の社会秩序維持局に政治犯及び思想犯として逮捕されるという衝撃的な事件が起こった。
 大学生を中心とした反政府組織は、旧王朝の初期からたびたび見られ、古くから弾圧の対象となっていたが、帝国の最高学府であり、毎年多くの高級官僚を官界に送り込む、謂わば帝国政府の下部組織と言って過言ではない大学の職員と学生の逮捕は、帝国の支配階層を震撼させた。
 この事件は、結局、ゼミを開講していたアイスラー自身と、学生13名が処刑他、政治犯収容所に送られた後、ローエングラム政権に代わってから釈放された者9名、獄中死した者11名、証拠不十分で不起訴処分になった者4名という結果に終わり、逮捕された38名は全員大学を除籍されている。
「あれって、歴史研究のゼミの名を借りて、共和主義思想を礼賛して洗脳していたんでしょう?」
 サーシャが少し嫌悪感を覗かせて訊くと、ヒルダはそれを否定するように静かに首を振った。
「では訊くけど、共和主義の何がいけないのかしら?」
 サーシャは更に「えっ?」という顔をしたが、それでもインテリ帝国人の端くれとして、何とか上司の設問に答えようと努めた。
「それは…衆愚政治化し、国を腐敗させるからでは…?」
 判で押したような答えに、ヒルダは軽い失望を覚える。
「ゴールデンバウム王朝の専制政治も臣民を弾圧し、国を腐敗させたじゃない? あなたもそう考えたからこそ、ローエングラム体制を支持しているのでしょう?」
 聡明な皇帝主席秘書官の言葉に、サーシャは今度こそ反論できなかった。
 彼女のように高い教育を受け、しかも貴族特権のない平民出身者でも、『共和主義』という言葉そのものに反射的な拒否感を覚えるのかと、ヒルダは改めて500年に渡る刷り込みの根深さを知る。サーシャに限らず、この反応はほとんどの一般帝国人に共通しているものだろう。
 確かに彼女の言う通り、当時の政府は、外部にはそのように発表していた。
 ゼミの名は『地球時代末期先進文明地域の政体と文化研究』といい、実学的なものではなく考古学や古典文学等に近い研究分野とされていた。主催者のアイスラーも文学部史学科の准教授であり、その為、長く思想検閲の対象とはならずにいたのだ。
 民主主義、共和主義思想に対して激しい弾圧を行い、それらに関する研究自体にも厳しい監視の目を向けてきた旧王朝ではあったが、銀河連邦が成立する遥か以前の地球時代の文明に関する学術分野には、時間的距離も大きいことから比較的寛容だった。
 現在『地球学』として独立細分化したこの学問は、当時は古代ロマンに想いを馳せる人文科学のみの領域だった。
 しかし、アイスラーのゼミは、個人間の通信手段が未発達だった旧体制下の学生達の間でも口コミで徐々に評判となり、単位互換制度のあるオーディン商科大学やオーディン文理科大学の学生にも受講者がいた程だった。
 大学入学当初、貴族女学院時代には遂に対等に語り合える友に邂逅できなかったヒルダは、志を同じくするであろう大学の同級生達に大いなる期待を寄せていた。
 しかし、その期待は、早い段階で挫折することとなる。
 女学院時代は、その優秀過ぎる頭脳と貴族令嬢らしからぬ短髪とが同級生や教師達から敬遠されたヒルダだったが、出自による入学の優遇措置のない大学に入ってからは、門閥貴族の令嬢という身分が、平民と下級貴族の子弟が大半を占める中で距離を置かれることとなってしまった。
 自分がいくら心を開いて接しても、彼らはヒルダを受け入れなかった。
 ヒルダは、そんな大学生達に失望し、彼等の態度を狭量と判断した。
 しかし、自分の考えが甘かったと思い知らされたのは、入学後4ヵ月ほど経ったある日のことだった。
 この頃になると、ヒルダの門閥貴族の令嬢とは思えない気さくで優しい人柄が徐々に理解され始めて、何人か友人と呼べる存在も出来ていた。
 教室に行くと、同じ履修科目を受講している数名の学生達が顔を寄せ合って、ひそひそと何事かを相談している。
 彼等は、ヒルダが声をかけようと近づくと、皆一斉に気まずそうに顔を背けた。
「どうしたの?」
 ヒルダの問いに、一番近くにいた学生が、友人の一人であるこの場にいない一人の女子学生の名前を出し、徴兵された彼女の兄が戦死したので、皆で見舞金を出す相談をしていたのだと教えてくれた。
 ヒルダは即座に、自分も仲間に入れて欲しいと申し入れた。
「やめて! こんな時に貴族様から施しを受けたって、誰も喜ばないわ」
 別の女子学生が、強い口調で叫んだ。
 ヒルダは、脳天をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
「いいわよね、あなたは。伯爵令嬢ですもの、お身内が戦死することなんてないから、こんな悲しみとは一生無縁でいられて」
「そうだな。俺たちと違って、爵位のある貴族なら前線に飛ばされることもないしな」
「よさないか。彼女だって好んで伯爵家に生まれたわけじゃない」
「そうね…ごめんなさい、ヒルダ。私の父も、一昨年戦死しているから、つい…」
「俺も感情的になって悪かった。貴族と平民が違うのは、フロイライン・マリーンドルフの所為じゃないしな…」
 学生達のそんな会話が、ヒルダの耳には遠くで聴こえる。
『私は…何もわかっていなかったのだわ…』
 ヒルダはこの時初めて、彼等と自分との間に、決して越えられない壁が存在することを知ったのだ。
 そして、自分の無知と傲慢を思い知らされた。
 帝国が戦時下にあることを、頭ではわかっていたが、実際に近しい人を戦地に送り出し戦死の報を受ける人々の心に全く思い至らなかった自分に、この時やっと気づいたのだ。 そんな苦い経験を経ながらも、ヒルダは有意義な大学生活を送り、同期の学生達と友情を育んでいった。
 幼い頃から、善き女伯爵、善き領主たらんとして、領地惑星の統治に役立てる為に大学へ進学したヒルダだったが、この時期に、その人生指針を一大転換させる。
『この帝国には、改革が必要だ。その為には、非主流派の一領主に甘んじていては何もできない。上級官吏登用試験を受けて、卒業したら中央政界へ進もう。そして、時間はかかるかもしれないが、貴族と平民との不公正を少しでもなくして、戦争を何とかして終わらせるよう働きかけよう。もうあんな悲しい思いをする人たちを作らない為に』
 ヒルダはそう決意した。
 帝国は、極端な男社会ではあるが、幸いにも始祖ルドルフが男児に恵まれなかった為、女性でも爵位を継ぐことが可能であり、女が閣僚になることも前例はないが法的に禁じてはいない。ならば、自分が帝国で最初の女性高級官僚となり、女性尚書となることも可能なはずである。勿論、想像を絶するような反発が起こるだろうことは十分予測できるし、派閥抗争や粛清といった激しい政争の只中に身を置くことになるだろう。だが、誰かがそれを成さなければならない。それには、伯爵という身分も利用できるものは全て利用しよう。
 この当時のヒルダが考えていたのは、あくまでもゴールデンバウム王朝が存続することを前提とした司法、行政、経済の三大改革と、戦争の終結である。
 地球時代の歴史を学んでいくうちに、ゴールデンバウム王朝が盛んに提唱してきた復古主義にも、逆にそれを利用できる前例があることも知った。
 地球時代末期の先進地域に数えられていたゲルマン国家は、政治の最高指導者に何人か女性がおり、少し遡った専制国家時代には、国家を繁栄に導いた偉大な女帝も存在した事実があった。
 ヒルダは、将来、自分が政権の中枢に近づいた時に、これらの前例を大いに活用することを考え始めた。
 それを更に一転させた出来事が、アイスラー事件だった。
 第1学年のうちに、卒業に必要な単位の9割を取得したヒルダは、第2学年に入ると、余裕ができた時間を面白そうな講座を受講することに充てることに決めた。
 この際、もっと視野を拡げようと、他学部にも足を運んで、友人達といくつかのゼミを見学して回っていた。
 アイスラーのゼミもそんな中で、友人の一人に誘われて入った部屋の一つだった。
 当初、本音を言えばヒルダは大昔の歴史などに興味はなかったが、一緒に回っていた友人に仕方なく付き合う形で教室に入った。
 だが、そこで繰り広げられている世界は、ヒルダの人生観を根底から覆す程のインパクトがあった。
 人類が、まだ地球という現在では辺境となった一つの惑星の中だけで、大小200を超える国に分かれて生活していた時代、歴史の教科書に出てくる『13日間戦争』の直前の頃の極一部の地域は、一部の科学技術レベルや、司法、行政制度の公正性に於いても、文化的多様性に於いても、1700年後の現代帝国よりも遥かに優れていたことを知る。
 特に医療レベルに直結している平均余命については、ヒルダは大きな関心を寄せた。
 彼女の母親は、彼女を出産してから体調を崩し、療養先の領地惑星で感染症にかかり若くして亡くなった。このようなケースはヒルダの母に限らず、帝国では平民から皇族まで特に珍しくなかった。
 しかし、地球時代末期の先進国家では、こうした出産が切っ掛けで母親が死亡するケースは、1%以下と極めて稀であり、乳幼児死亡率の低さも高い医療水準を裏付けている。
 帝国では、出生から5歳まで生存できる子供は、全体の8割と言われている。残りの2割は、死産か何らかの病気で亡くなるのだ。更にその内、成人に達することのできる者は、約6割と言われている。不思議なことに、この割合は、平民も貴族もあまり変わらない。
 人類は、医療技術を退化させてしまったんだわ。いいえ、医療技術だけではない。もしかしたら、政治体制も社会制度もあらゆる分野で1700年前の叡智を失ってしまったのかもしれない。
 ヒルダはそう思うに至った。
 そして、人間は、なぜこの偉大な文明を放棄してしまったのだろうかと考えずにいられなくなったのだ。
 もし、当時の先進国家の医療水準を維持できていれば、1700年間に更なる発展を遂げたであろうことは疑いない。そうすれば、私のお母様も生きていたかもしれない。
 ヒルダの地球時代末期文明に対する関心は、加速度的に高まっていった。
 特にヒルダが興味を覚えたのは、ゼミ見学当日に俎上に上がっていた『人間開発指数』と呼ばれる地球時代末期の短い期間に、当時の世界基準で測定し使用されていた国毎に人々の生活の質や発展度合いを示す指標であった。
 この基準に照らし合せれば、現在の帝国は、明らかに当時の超高人間開発国 (先進国)に全ての測定分野で劣っている。総合点をつければ、恐らく当時の中レベルの開発途上国に類すると思われた。
 友人と共に早速ゼミに入ったヒルダは、この指標を復活させ、帝国内の各星系ごとに算出して、今後の国民生活の向上に活かすことができないかと密かに考えるようになった。その上で、地球時代に止まってしまった技術の時間の針を少しづつ動かせば、人類の健康寿命は飛躍的に延びるはずだ。
 思い切って、その事を直接アイスラー准教授にぶつけてみた。しかし、話を聞いたアイスラーの答えは冷淡だった。
「そんなことは、今更提言するまでもなく、ちょと頭の働く知識階級の人間なら誰もがわかっていることなのさ。それがわかっていて敢えてやらない。いや、戦争に直接必要な技術以外は停滞を黙認している。それが何故かわかるかね? フロイライン・マリーンドルフ」
 当時、40代前半だったアイスラーは、少し皮肉を含んだ目でヒルダを見ながらそう言った。
「わかりません。だって、医学の発達は、国民全体の為です。その国民の中には、当然、貴族や皇族も含まれているはずです。自分達の命をも救えることを、なぜ躊躇うのか、私には理解できません」
 純粋培養の伯爵令嬢の素直な疑問に、壮年のアイスラーは、少し穏やかな笑を浮かべて煙にまいた。
「人間は、時には自分や家族の命よりも、既得特権に固執するものです」
 だが、尚も納得できない顔でその場を離れようとしない伯爵令嬢に対して、アイスラーは仕方なく言葉を継ぐ。
「フロイラインの言うように帝国全体の人間開発指数が上がれば、都合の悪い人がいるということですよ。全国民的に教育水準が上がれば、愚民化政策が不可能になりますから、反政府運動に繋がりかねない。帝国の支配層にとって、臣民が賢くなって自分たちに反発するようになれば本末転倒ですからね。そうなって都合が悪いのは、伯爵家のあなたも同様ではないですか。あなただって、今の贅沢な生活を失いたくないでしょう? まして、自分の父親や兄弟が、有無を言わずに徴兵され、少なからぬ確率で遺体もない葬儀を執り行うことになる。そんな恐怖を感じながら生きるなんて、嫌でしょう? そのことにお気づきでないようですね」
 ヒルダは、反論したい気持ちをどう表現していいか判らず、言葉に詰まった。
 確かに、アイスラーの言う通りだ。自分が、少し前まで普通に思っていた生活が、帝国の平均的な家庭からは、考えられないほど贅沢であることを知った。それ自体は失っても構わないが、安全なところで、ひたすら理想論を並べ立ててきたことにこの時のアイスラーの言葉で気づかされた。
 それにしても、今考えてもアイスラーの思想は、当時としては過激だった。
 彼自身も爵位こそないが、門閥に繋がる家の支流で、代々帝国騎士の家柄だった。
 その彼が、いったいどういう経緯で、こんな過激な反専制政治思想を持つようになったのか、ヒルダにも最後までわからなかった。
 後に知ったことだが、アイスラーは、この時点でも、内務省からも憲兵隊からも危険分子の可能性ありとしてマークされており、身辺調査が進んでいた。2年前にも一度内務省に出頭を命じられて取り調べを受け、逮捕されかけたたことがあったが、証拠不十分で保釈されていた。門閥の端に連なる彼の実家が、当時の内務省に多額の金銭をばら撒いたらしい。その代り、彼の薫陶を受けた帝国大学や商科大学、文理科大学等の学生達で作るサークルが反政府地下組織として摘発され、平民と下級貴族の子弟50名が逮捕拘禁され、その内の殆どが獄中死していた。
 アイスラーも、自分の家族に類が及ぶのを恐れたのか、それ以降、過激な言動は慎むようになって、2年経った頃には、監視の目も幾分緩んできていた。
 ヒルダ達がゼミを見学したのは、まさにそのような状況の時だった。
 そのアイスラーとゼミの学生が一斉に逮捕されたのは、ヒルダが受講するようになって2ヶ月程後のことだった。
 逮捕の直接の原因となったのは、アイスラーがペンネームを使い自分の研究成果をフェザーン語で上梓した書籍が、フェザーンのみならず、同盟語にも翻訳され、ベストセラーとなったことだった。
 彼はその中で、民主共和制度の欠陥を肯定しつつも、一人の人間や一つの血統が国家を支配することの危険性を、地球時代末期の独裁国家の例を列挙しながら、詳細に説明している。
 直ぐに発禁処分になった為、ヒルダはその本を読んでいなかったが、アイスラーのゼミの内容から、読まずともだいたいの想像はついていた。
 ペーパー版は全て回収されて焼却されたが、電子書籍版は今でも密かに保存している者がいるという噂で、ヒルダもいつか遺作となった師の著作を読んでみたいと今でも思っている。
 しかし、当時のヒルダは、憲兵隊か治安維持局が屋敷を訪れるのは時間の問題と覚悟を決めていた。
 もし、自分が反帝国思想分子として逮捕されるようなことになれば、父はどうなるのだろう。大勢の使用人達や、親族達にも類が及ばないか気にかかる。
 自分一人であるなら、信念に基づいて参加したことなので、何を言われても、覚悟はできていたが、家族やマリーンドルフ家に関わりのある全ての人間にも迷惑がかかるかと思うと、自分が望むと望まざるとに関わらず、いかに多くの柵を背負って生きているのか痛感した。
 その点で考えれば、いかに正しい主張とはいえ、妻子も親族も大勢いるアイスラーの行為は、天才肌の人間にありがちな身勝手にも思えた。
 しかし、ヒルダの心配をよそに、憲兵隊も治安秩序維持局も遂にマリーンドルフ家を訪れることはなかった。
 拍子抜けして、脱力したヒルダが次に考えたことは、逮捕された同じゼミの仲間達やアイスラーの家族の安否だった。

コメント一覧

非公開 (06/19 11:26) 編集・削除

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Jeri (06/19 13:17) 編集・削除

<大学のモデル

やっぱり誰もが予想するんですね。
私のイメージでは、

オーディン帝国大学→東大
オーディン商科大学→一橋大
オーディン文理科大学→東工大と東京外語大と東京医科歯科大を合わせた感じ。
また、「帝国大学」はオーディン以外にも各主要星系の首都星に存在し、帝国内に20大学くらいあるという裏設定です。
ちなみに、常にオーディン帝国大学と張り合い、比較対象にされる帝大が、銀河連邦時代の政治の中心であった古都テオリアにあり「テオリア帝国大学」という。
ということになってますw

まこりん (06/20 00:59) 編集・削除

こんばんは。
いよいよ犯人が・・・・と思ったら、ただのサスペンス劇場では終わらない雰囲気ですね。ヒルダの過去ストーリー、興味深いです。
ところで、マイ小説の中では、帝国の大学はゼミも卒論も無いという設定になっているのですが、どうしてそうなったかと言えば、銀河帝国の初期にいくつかのゼミが共和思想の温床になっていることが問題となり、またその密室性を危ぶまれ、450年も前に全てのゼミが廃止された・・・・という裏設定があったりします。
またしても微妙に被るのですがw
こんな時は、よしりんが少しでも触れておいてくれれば良かったのにとつくづく思いますわ。でも、生活感がないからねえ、彼は。

ゆうやん (06/20 08:32) 編集・削除

あら?断崖絶壁じゃないw
ヒルダの過去話ですね。聡明だから革命に走るのさでは確かに弱いですので続きが楽しみです。

私は大学よりもなんでそんな地球という「場」の神聖にそんな住んでもいない人間が傾倒できるのか?という疑問があったんですがおかげさまで少し考えがまとまった気がします。
信者にとって地球という「場」ではなく、人類の失ってきた叡智とかそういう「象徴」だったのかなぁ?と退化した人類の部分の復活を願う人が逆に取り込まれたって感じかな?でもってサイオキシンだとかで逆に支配されたとかと考えたこの週末。
今週いよいよ双璧編ですね。強行軍ですが体調崩さないようにしてくださいね。

べる (06/20 09:08) 編集・削除

やっと読めました。
続きが楽しみだわ。

ヒルダたん…、がんばれ…。!!

Jeri (06/20 12:11) 編集・削除

>まこりんさん
確かに、ヒルダたんに限らず、銀英キャラって(特に帝国側)みんな生活感ないんですよね。
大本営も宇宙艦隊司令部も統帥本部も、平時は何の仕事してんのよ?ってずっと思ってましたもん。
まさか、「ない」とか書けないから、皆適当にものすごく難しい仕事をしていることになってたのかとw
大学のゼミが革命思想の温床になるって、やっぱり誰もが考えつくことなんですね。
ゼミも卒論もない大学って、考えようによっては天国かもw
学生に変な思想を植え付けない為にゼミの廃止というのは、考えられると思います。
しかし、一方で理系の学科の場合、戦争相手の同盟と科学技術の著しい遅れをとってしまうのではないかとも思えるんですよ。
まあ、携帯もネットもない通信手段が80年代のまんまで書かれていますんで、そこらへんで思考停止して楽しまないといけないとは思ってるんですが。

>ゆうやんさん
断崖絶壁は、場所がないので(笑)やっぱり金田一少年的に、一部屋に関係者全員集めてにしようかと。
あと、地球教と地球学は、そもそも全く別もんなんですが、名前からして偏見を与えるので、当初はなかなか食いつきが悪かったというマイ設定にしようかと思ってます。

>べるさん
いつもありがとうございます。
上演会場でお会いできるといいですね。

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